日本コロムビア創立60周年記念
『 舟木 一夫 大全集 』
1970.11
丘 灯至夫先生が 日本コロムビア創立60周年記念 『舟木一夫 大全集』
のために書いて下さった舟木さんとの7年間の歩み
(1)
LP5枚組
解説書 表紙
早いものである。舟木一夫くんがデビューしてから、まる7年になった。そして、こんど
この「舟木一夫 大全集」が、日本コロムビア創立60周年記念行事の一環として、装い
も新しくまとめられることになった。 大全集に顔を並べる数少ない男性歌手の中では、
舟木君がいちばん新しく、いちばん若い。 ということは、スター歌手として、押しも押さ
れもしない存在になったのが、いかに早かったか、とともに、いまその地位がまったく揺
るぎないものになっている立派な証拠であるといえるだろう。全国のファンとともに、私も
心から 「舟木君おめでとう!」 と 叫び、 同時に、 私もまたひとしお感慨深いものを、し
みじみ味わっている。
考えてみると、舟木君の7年間の歩みを、私もまた一緒に歩いてきたような感じがする。
大全集に納められた曲数の3分の1が私の詩、 ということにもその理由があるのだろう
が、この期間、私は他の仕事をあまりせず、舟木君の仕事に精力を費やしてきた、とい
っても過言ではないからである。 それはやはり、 舟木君の終始変わらない真面目さ、
清潔な魅力にひかれたから、 といっていいだろう。 ふりかえってみる7年間、そのあいだ
につぎつぎに私がまとめた詩には、 それぞれ、 作曲家の大きな力を得て曲づけされ、
そのひとつひとつに懐かしい思い出がひそんでいる。
会社のデイレクターさんから 「解説を書いてくれませんか」 と依頼された
丘先生は、「 私の覚え書き的なものでよければ・・・・」 ということで、 お引
き受け下さった。 ここで、先生と舟木さんの7年間の思い出をまとめること
ができたならば、とお考えになったからである。
そこで、先生からのあらかじめのお断りの上、主として舟木さんのために
まとめた歌についての思い出話が、この全集の「解説」として綴られている。
★ 「高校三年生」のデビュー秘話 ★
舟木さんが昭和38年1月15日に「高校三年生」の譜面を頂き、2月23日吹き込み
を完了しながら、6月5日デビューまでには、 幾多の曲折があったことはよく知ら
れている。 会社内部から、”これは流行歌じゃないよ。学芸部から出す性質の
もので、文芸部からは出せないよ” とか、そのコロムビア文芸部が部長や中堅
ディレクターともども、一挙にクラウン・レコード会社に移ってしまったことなど。
タイトルの「高校三年生」だけは、どうしても譲れなかった丘先生。
その他にも、諸々続いたということで、丘先生は心底 まいってしまわれた。
私は「高校三年生」の詩を発表することは諦める。 誰か他の詩人に
詩を書いてもらってほしい ・・・すると、遠藤先生が・・・
丘 先生の詩(詞)と遠藤先生の曲であってこその「高校三年生」
なのに、丘先生の詩に、こんな危機があったなんて・・・・
遠藤先生、この詩と丘先生を救って下さって、本当に有難うございます!!
舟木さんの「高校三年生」は、6月5日、幸いにもデビューできたけれど、
丘先生はついにダウン。 6月16日、入院されてしまった。
約1ヶ月後退院されたが、病後の静養のために福島県会津の
横向温泉へ引きこもってしまわれた。
人里離れた温泉宿で療養され、時にいら立つ丘先生のお心を励ましたのは、
思いがけない東京からの便り。
その一つは、「高校三年生」レコードの売り上げ数の記録報告
もう一つは、舟木さんからのお手紙
そして12月6日、ついに新人賞、作詞賞 受賞報告の舟木さんからの電話。
昭和38年12月27日 日比谷公会堂
日本レコード大賞 授賞式
丘先生は、この日、テレビでご覧になっていた。
舟木さんが、あふれる涙をこらえ切れなくなったシーン
~ ~ ~ ~
大ぜいのファンの胸にも、いまも残る感動的なシーンであった。
「 ・・・・ 舞台で泣くとはなにごと ・・・・」 という声も聞かれたが、
純情な舟木君であればこそ許されることではないか、と、いまでも、
私にはあの時の舟木君の心情が、痛いほどよく分かるのである。
舟木さんが彗星の如くデビューされた頃、生来お身体の弱い先生は重なる
心労のあまり、ご病気で療養なさっていた。 それに続く7年間は、ほぼ舟木
さん中心のお仕事をなさり、全精力を傾けて下さった。
そして、どこまでもお優しい丘先生の言葉・・・本当に有り難く感じられる。
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