舟木一夫 丘 灯至夫を唄う
2017.1.25
舟木さんの「木枯紋次郎」のCD音源は、一昨年発売されたこの曲集に
収録されていた。
丘先生が舟木さんのために作って下さった曲が年代順に並べられており、
舟木さんがいかに先生の大きな暖かい愛情に包まれていたか、大変に
よく分かる。
(DISC3 収録曲)
丘先生ご子息・丘 きんじ氏の寄稿文
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(一部抜粋)
舟木 一夫さんの「高校三年生」が世に出て一世を風靡し大ヒットとなったころ、
父親は一年の半分近くを三井厚生病院(現三井記念病院)と福島か静岡の
湯治場で過ごしていました。体重は30キロ代となり、ベッドで寝てばかりいる
父のもとに、寝る間もない舟木さんがたびたびお見舞いに来てくださいました。
なんとも皮肉な話です。
そのような中にあっても丘先生は、自宅で「時期はずれ忘年会」と称し、ご自宅の
庭にテントを張り、「ヨーヨーすくい」 「綿あめ屋」 「焼鳥屋」 などを呼び、夜通し
「お祭り」のような催しを毎年開かれていた。 また、学園生活への強烈な憧れは、
虚弱で学校生活を満足に送れなかったという簡単なものではなく、
父親の意識は学園生活に対する憧れを抱いたまま、ある時点で大人になる思考
を拒絶していたのかもしれません。
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だから50歳を越えてから、 まだアニメなどという確立された分野ではない漫画の
主題歌にもストレスなくチャレンジできたのかもしれません。 青春歌謡とアニメソ
ングは父にとっては同じ土俵でした。
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父の人生は人を集め、人を楽しませる、まるで「学芸会」の連続のようなものでした。
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舟木一夫さんの青春歌謡をはじめとした様々なジャンルの楽曲をお聴きいただいた
皆様、そして歌い続けていただけることにあらためて熱く御礼申し上げます。
舟木さんは、神田和泉町にある三井記念病院に何回も丘先生のお見舞いに・・・
そのほかCD付属のパンフレットには、この寄稿文でご子息ならではの
「丘 灯至夫 の生涯」を伺うことが出来、また秘蔵写真もいっぱいで、それだけ
でもこの曲集を購入した意味があると思えた。
デビューのときから、舟木さんを暖かく見守って下さった先生
(「密着写真集『華』」P64)
丘 灯至夫先生は、平成21年11月24日、92歳で逝去された。
舟木さんのコメントが、テレビニュースで何回も流れたことが記憶にあるが、
あれからもう10年。
生涯現役で60周年が視野に入ってきた舟木さんは75歳を迎え、コンサートで
舞台で、夢の世界をいまだ精力的に見せて(魅せて)下さっている。
丘先生、舟木さんのデビューから生涯現役までを、どうぞ変らず彼方より見
守って頂けますよう、お願い致します。
「スズメのお宿」歳時記
~丘 灯至夫 92歩の足跡~ 丘 灯至夫 著 (P30)