松竹座から法善寺へ
2017.9.16~9.17
松 竹 座
松竹座前の、行列のできる
たこ焼きやさん「道頓堀くくる」
プログラム購入時に入れてくれた
袋の松竹座のイラスト
法善寺名物「夫婦善哉」
今年5月、新歌舞伎座「鬼吉喧嘩状」千秋楽の終演後、水掛不動さん
にお詣りしたが、境内の「夫婦善哉」のお店には寄らずじまいで帰京し
た。 この次にはぜひ、と思っていたので、16日も17日も昼夜のお茶
の時間は、ぜんざいで舟友さんとご一緒した。
一人前が二椀に分かれて出される。 二人仲よく、円満にということで。
良縁に恵まれるという、縁結びの縁起物ともなっているらしい。
冷たいぜんざいも氷あずきにも心が動いたが、 まずは定番の暖かい
ぜんざいを頂く。 上品だが、しっかりとした甘味だった。
↑ 2017.5.22 ↑ ↓
「 道頓堀からの通路と千日前からの通路の角に当っているところに古びた 阿多福人形
( おたふくにんぎょう ) が 据えられ、その前に「めおとぜんざい」と書いた赤い 大提灯 ( おお
ぢょうちん ) がぶら下っているのを見ると、しみじみと夫婦で行く店らしかった。 おまけに、
ぜんざいを 註文 ( ちゅうもん ) すると、 女夫 ( めおと ) の意味で一人に二杯ずつ持って来
た。 」 ( 『夫婦善哉』 より)
《 織田 作之助(1913~1947) 》
終戦後、太宰治、坂口安吾、石川淳らとともに無頼派、新戯作
派と呼ばれ、「織田作(おださく)」と呼ばれ、親しまれる。 1940
(昭和15)年、短編小説「夫婦善哉」を発表。
《 『夫婦善哉』(めおとぜんざい) 》
織田作之助の短編小説。織田の5作目の小説で、本格的に世
に出るきっかけとなった代表的作品。 大正から昭和にかけて
の大阪を舞台に、北新地の人気芸者で陽気なしっかり者の女と、
安化粧問屋の若旦那で優柔不断な妻子持ちの男が駆け落ちし、
次々と商売を試みては失敗し、喧嘩しながらも別れずに一緒に
生きてゆく内縁夫婦の転変の物語。 織田文学の特色の全てが
原初的なかたちで現れている作品。 ( Wikipedia より )
《 東宝映画・ 『夫婦善哉』 》
1963(昭和38)年、監督: 豊田四郎
柳吉(維康商店の道楽息子): 森繁 久彌 蝶子(売れっ子芸者): 淡島 千景
柳吉の父が亡くなっても、
蝶子との仲を許しては貰
えなかった。 葬儀後、二
十日余り経って、 柳吉と
蝶子は法善寺境内の
「めおとぜんざい」 へ行った。 二人は仲良く「めおとぜんざい」
をすすった。
「夫婦善哉」の店内は、すぐ近くでありながら松竹座周辺の喧騒は全く及んでいなかった。
店内に飾ってある、 織田作之助の写真、 藤島桓夫さんのEPレコードや淡島千景さんの
色紙、その他著明な方のたくさんのサインなど眺めながら、ゆっくりとティタイムを過ごす
ことができた。 ぜひ行ってみたかったお店にいけて、満足!満足! ただし、台風上陸間
近の法善寺周辺で、昭和初期の大阪を舞台にした柳吉と蝶子の物語の雰囲気が味わえ
たかどうかはクエスチョン。 何しろ、美しい舟木一夫様の世界に目を奪われているもの同
士であったのだから。
水掛不動さんのすぐ前に、「上方浮世絵館」 があるのにも全く気づかなかったくらい。
珍しい私設の美術館で、上方の浮世絵は役者絵が中心ということ。 こちらも、この次
お詣りするときの楽しみがまた出来てしまった、というもの。
松竹座 ロビーにて
《 松竹座のお弁当 》
「夫婦善哉」もそうだったが、初めてお邪魔した松竹座のお弁当を、ぜひ頂いてみたかった。
16日、2Fロビーに寄るのが遅くて売り切れ! 17日、お昼の部に入場してすぐだったが、
もう残り二つ。 再入荷はなし。でも、二つあれば大丈夫。 夜の部の休憩時間に、残り二つ
をゲットした私たちは、ラッキーだったね!と顔をほころばせ、皆さんが行き交う通路の椅子
に並んで頂いた。 二部構成のコンサートやお芝居での楽しみのひとつは、お弁当。 この上
なく、美味しかった!!
台風上陸で、せっかくの松竹座シアターコンサートに来られなかった方もいらっしゃったところ、
最後まで無事楽しむことが出来、有り難いことであった。
大阪にお邪魔するたび、少しづつ ” 浪花 ” を楽しんでみたいと思う。