オ ル セー 美術館 展
印象派の誕生
― 描くことの自由 ―
2014.7.9(水)~10.20(月)
国立新美術館
この少年に早く会いたいよ~!
この美術展の見どころのひとつ、
初来日、クロード・モネの最大級の傑作とされる
「草上の昼食」が 図柄に使われているチラシと
チケット
(2014.7.17)
19世紀後半 近代絵画の幕開けは、1874年、第一回印象派展の開催から。 パリの美術界
を騒然とさせた ” 新しい絵画の誕生 ” から今年でちょうど140年。
世界一有名な少年・エドゥアール・マネの 「笛を吹く少年」 の鮮やかな赤と黒が目に飛び込ん
でくる。 オルセー美術館展の最大の呼び物のひとつとして、今回も登場である。
自身は印象派展に出品することもなく、印象派とは一定の距離を保ち続けた画家でありながら、
近代絵画・印象派の立役者であるモネやルノワールらの指針となっていたエドゥアール・マネ。
「 印象派の殿堂 」 とされるオルセー美術館から84点、がはるばる来日。
―印象派の誕生― として、マネにはじまりマネに終わる章立てで構成された美術展は、居ながら
にしてパリのセーヌ河畔の風に吹かれる心地がする。
近代ヨーロッパの人々の生活、フランスの風、パリの息吹・・・やっぱり六本木へ出かけずにはいら
れない!
1 章 マネ、新しい絵画 印象派の画家への指針となった画家として
この美術展はマネから始まる。
《 笛を吹く少年 》
エドゥアール・マネ 1866年 油彩
161cm×97cm
会場に入ってすぐ、右手の突き当たりで
彼は早々と笛を口に当て、真っ直ぐこち
らに視線を向けて異国の我々を歓迎して
いた。 あちこち彼を探すまでもなかった。
マネの友人の軍高官が連れてきた少年、
フランス近衛軍鼓笛隊のマスコット的少年が
モデル。 しかし、初々しい顔、生き生きした
表情は、(顔だけは)マネの息子だという説も
ある。
まず、少年の身につけている赤いズボンと
黒の上着、笛のケースを止めている斜めがけ
の白い襷が目に飛び込んでくる。
よく見ると、ズボンのサイドは黒のライン入り。
オシャレだなぁ。 金ボタンも光っている。
かつてのグループサウンズのステージ衣装
は、きっとヨーロッパ軍隊の制服を参考にして
いたに違いない。
白い肌、薔薇色の頬、くりくりした目の愛くるしい少年。しかし、しっかりした視線。
背景は単純で奥行きもなく、少年だけを描いている。 少年の視線と強い色のコントラストが同時に
ぱっと目に飛び込んでくる絵だなぁ、、、と思っていたら、 この絵はジャポニズム、 浮世絵の影響を
強く受けている作品として有名なのだそうだ。
浮世絵が、印象派の誕生に繋がる画家の作品にも大きな影響を与えていたこと、もっと美術の時間に
具体的に教えてもらいたかったなぁ・・・もっとも、こちらの頭に入らなかっただけなのかも知れないが。
2章 レアリスムの諸相 大地とともに生きる農民の姿
《 晩鐘 》
ジャン=フランソワ・ミレー
1857~59年 油彩
55.5㎝×66㎝
パリの南50㎞、バルビゾン村の馬鈴薯
畑で、教会から聞こえてくる夕刻の 「アン
ジェラスの鐘 」 に合わせて農作業をする
夫婦が祈りを捧げている。
馬鈴薯しか作れない畑で、それでも多少
の収穫はあっただろうから、 この日の
ささやかな収穫と一日の労働が無事終
わったことをを聖母マリアに感謝する
祈りだろうか。 ミレー45歳の作品。
ミレー自身は、この作品を描いた時のことを、書簡で次のように伝えている。
「 鐘の音が聞こえると、祖母が仕事をやめさせて、気の毒な死者達のために祈りの言葉を信仰を
込め脱帽させて言わせた。その時のことを考えながら描いた 」
3章 歴史画
《 ローマのペスト 》
エリー・ドローネー 1869年 油彩
131.1㎝×177㎝
ローマの惨禍を象徴的に描いた大作
542年から543年に掛けて、東ローマ帝国
を襲ったペストの大流行を題材にした作品と
思われる。 皇帝も感染し(数ヵ月後治癒)、
人口の約半分を失った帝国は一時機能不全
に陥るほどであったという。
4章 裸体 歴史や教義になぞらえて表現していた裸体
《 ヴィーナスの誕生 》
アレクサンドル・カバネル 1863年
油彩 130㎝×225㎝
カバネルは、主として歴史・古典・宗教
をテーマに描き、フランス・アカデミーで
最も成功した画家の一人。
《 ヴィーナスの誕生 》は、ルネサンス
期のボッティチェリの「ヴィーナスの誕
生」 を主題とし、美しく透き通った肌の
甘美さ、官能美を表現したカバネルの代表作。
その美しさに、ナポレオン3世が購入したこと
で知られる。
「伝統主義」「歴史主義」の規範を踏まえた典型
的なアカデミズム絵画であり、印象派の思想や
表現とは対極に位置づけられる作品。
《 ダンテとウェルギリウス 》
ウイリアム・ブグロー 1850年
油彩 280.5㎝×225.3㎝
こちらもアカデミズム絵画の大家、ブグローの作品。
可愛らしい子供や少女の絵で有名な画家ということ
だが、これは来場者の誰もが足を止めずには居ら
れない、オルセー美術館で一番ともいわれるほど、
文字通り(凄惨さにおいて)凄い大作。
古代ギリシャの詩人ウェルギリウスの案内で地獄
を訪れたダンテが、むごたらしく争う男達に遭遇した
場面。 ウェルギリウスは余りのことに口元を覆い、
ダンテは恐怖でその彼に身を寄せている。
サロンでの落選を繰り返したブグローが、審査員達
に自分の実力を見せつけようと解剖学的な技術を
駆使して制作した作品。 「ローマ大賞」を受賞して雪辱を果たし、フランス・アカデミーの
エリートコースを駆け上っていった。
腰も折れよとばかりに喰い込む膝、わき腹の指先、さながら吸血鬼のごとくにかききる
咽喉元、、、余りにおぞましく、リアルで強烈、インパクトありすぎ、、。 見続けるには苦し
過ぎるので、一端は離れる。 しかし、もう一度戻ってまたまじまじと見てしまう。 こんな
ことを繰り返して、 まさに人間の地獄絵図を何度も見てしまった。
”印象派の誕生” を辿る美術展で、反印象派の画家であるカバネルとブグローの作品に
しっかり捉えられてしまった、という気がした。
5章 印象派の風景 田園にて/水辺にて
《 かささぎ 》
クロード・モネ 1868~69年
油彩 89㎝×130㎝
タイトルは「かささぎ」だが、テーマは
「雪景色」。
モネが印象派の技法に目覚めた北
フランスの雪景色を描く。
降り積もった雪に陽光がさし、影が出
来る。 雪の描写を陽光と影の関係で
表現することにより、複雑で繊細な
色彩表現に成功。
その中で、黒いかささぎが際立った存在感を示す。 サロンの保守的な審査員には評価しがたい、
印象派画家モネの、初期の代表作となった。
6章 静物
《 スープ入れのある静物 》
ポール・セザンヌ 1877年
油彩 65㎝×81.5㎝
当初、印象派の画家たちと交流を持って
いたが、伝統的な絵画の約束事にとらわ
れず、独自の絵画様式を探求していった
セザンヌは、ポスト印象派として紹介され
ることが多い。
複数の異なった視点から眺めたモチーフを、同一画面に描き込む技法は、20世紀美術に
大きな影響を与えた。 《 スープ入れのある静物 》 は、 独自の絵画様式確立へ向けて
セザンヌの探究心を伺わせる静物画である。
7章 肖像
《 ダラス婦人 》
ピエール=オーギュスト・ルノアール
1868年頃 or 1872年頃 油彩
48㎝×40㎝
ルノアールはモネとも親しく、1969年には、
パリ郊外ブージヴァルの水浴場で、モネと
ともにイーゼルを並べて制作したということ
である。
《 ダラス婦人 》の制作年は、チラシなど
の配布物に2通りの記載があったのだが、
どちらにしてもルノアールとモネが親しく
交流をかさねていた時期に制作されたこと
は間違いのないことだろう。
ベールつきの黒い帽子は、オシャレなファッションとして会期中のイベントに取り上げられ、
グッズも製作されているようである。
8章 近代生活 戸外でくつろぐ人々
《 草上の昼食 》
クロード・モネ 1865~66年 油彩 (左) 418㎝×150㎝
(右) 248.7㎝×218㎝
二つに分断され、左右の大きさが異なってしまった絵画。
無傷で完成していたとすれば、どのくらいの大きさになっていたのだろう。
あまりに大作のため残念ながらサロンへの提出期限に間に合わず、完成に至らなかった。
大家に家賃代わりに手渡したが、取り戻したときには絵は傷んでしまっていた。 モネ自らが
分断するほかなかった。
《草上の昼食》 で思い浮かべるのは、マネの
こちらの方。
1862~63年制作
マネは1863年のサロン(官展)に出品した
が、不道徳だとされ落選した。
神話や歴史上の出来事を描いた作品に女性
を登場させるのではなく、現実の裸体の女性
を描いたことが保守的な審査員の不評を買っ
た。落選した作品を展示した 「落選展 」 でも
同様の批評がなされ、パリ画壇に大スキャン
ダルが巻き起こった。
マネの《草上の昼食》は、彼へのオマージュであったり対抗心からであったり、画家により
様々であるが、モネのような大作や、セザンヌやピカソ他、多くの画家の 《 草上の昼食 》
が制作されている。
モネの 《 草上の昼食 》
木々の葉、草上に落ちる陽の光と影の細やかなタッチ、流行の先端を行く女性達のドレスに
陰を落とす木漏れ日。 モネは、降り注ぐ光を自由なタッチで捉えることを試み、”戸外でくつろぐ
人々”という近代的な画題を獲得していった。
光を捉えた自由な筆致・・モネはこの作品により、印象派への誕生へと繋がる重要な第一歩を
確実に踏み出したといえる。 それゆえ、
モネ、最大級の傑作、初来日
のキャッチコピーが踊るのだろう。
それにしても、左の女性の豪華なドレスの鮮やかな朱色が、いつまでも目に残った。
9章 円熟期のマネ
《 ガラスの花瓶の花 》
エドゥアール・マネ 1882年
油彩 54.5㎝×35㎝
マネが最晩年に手がけた静物画の代表作。
花瓶に活けられているのは、カーネーション
とクレマチス。
カーネーションの朱色とクレマチスの紫の花弁
の絶妙な配色。
ガラスの左右に配したクレマチスの葉が、画面
に躍動感を与える。
ガラスの花瓶の中で、カーネーションとクレマチス
の茎は軽くまとめられているのだろうか。
光はガラスの中の水を通り、屈折して微妙に変化
する。 このたっぷりと涼しげな透明感は、花が今
差し入れられたばかりのように見える。
水を通しての光の描写、あるいは光を通しての水の描写としたほうがいいのだろうか、
この美術展は、印象派の先駆者的存在であったエドゥアール・マネで始まり、マネで締め
くくられた。
《 オルセー美術館 》
セーヌ右岸のルーブル美術館の対岸にあるオルセー美術館。
旧オルセー駅の駅舎を改造して、1986年に開館した。
パリを駆け足でめぐるツアーでは、きっとオルセーの醍醐味は味わえないだろう。
まずは六本木で、充分にパリの風に吹かれておこう。
ところで、マネの《笛を吹く少年》 に描かれた少年の持つ横笛 ” ファイフ ” が特別
制作され、会期中、休憩スペースに特別展示されているという。
残念ながら、同行の友人ともども気が付かなかった。 二人ともグッズ選びに夢中
だったこともある。 お目当ての特製缶入りクッキーは前日で売り切れ、特製切手
シートは迷った上に、友人は購入した。
《笛を吹く少年》 といえば、舟木さんも 《笛を吹く少年》であった。
リアルタイムでのことはほとんど分らないのだが、ここはぜひとも、 舟木一夫版
《笛を吹く少年》 を辿ってみなければならないだろう。