大 浮 世 絵 展 ~ 江戸東京博物館 ~ ③ | 満天の星Lovelyのブログ

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60周年をあれほどに輝かせながら61周年へと繋げていかれた舟木さん、本当にお見事でした!
2023年もこれからもずっと、素晴らしい夢時間を頂けますように・・・。

                                       大
 
                      ~ 江戸東京博物館 ~
 
                               ~ 3 ~
 
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    観測史上に残る記録的な大雪の後、真冬の京都に出向いたが、その後、
    2月の後半は舟木さんの 「 シアターコンサートin南座 」 にすっかり魅了さ
    れるところとなった。ふれんどコンサート続いて、♪ 津軽の海を越えて
    いく渡り鳥  に引き寄せられていった有様は、さながら歌の翼にいざなわ
    れていったようでもある。しばらく南座の余韻に気分良くたゆたっているうち
    に、両国では「大浮世絵展」の幕が閉じられていた(総入場者数20万9142人)。
 
 
    そうそう、舟木ワールドに突入する前は、浮世絵(展レポート)だって黄金期を
     迎えるところだったのだ。
    今一度、両国を訪ねてみなければ、、。                     
 
 
                 Ⅳ 浮世絵の黄金期                    
 
  
       18世紀後半は、美人画と役者絵を二本の柱として浮世絵の黄金期と言うべき時期
       が到来した。鳥居清長が考案した、八頭身に近いプロポーションの健康的美人が
       隅田川や飛鳥山に遊び、喜多川歌麿の豪華な雲母摺(きらずり)を背景とした作品は
       大評判となった。江戸庶民の憂さの晴らしどころ、歌舞伎小屋の舞台にたつ役者は、
       憧れのスター。老若男女の支持得て、役者絵は浮世絵総版画数の半ば以上を占め
       ていたのではないか、と考えられるほどであった。彗星のように東洲斎写楽が登場し、
       姿を消していった。
 
 
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       鳥居清長「美南見十二侯(みなみじゅうにこう) 六月」   シカゴ美術館
 
    左: 黒羽織の客と前掛け姿の仲居二人   右: 遊女と芸者がそれぞれにくつろいでいる
        が語らっている。                   姿
 
 
       「美南見」とは、北の吉原に対する南の遊里、すなわち品川のこと。
         吉原ほど格式ばらず、江戸市中を離れる気楽さ、海に面した風光明媚なところも
         愛されて人気があった。吉原の営業を脅かすほどの繁栄となり、品川には華やか
         なにぎわいが増しつつあったと想像される。
                                   (参考:図録「大浮世絵展」P290 作品解説)
 
      
            清長は役者絵からスタートしたということだが、本領はやはり「美南見
      十二侯」「当世遊里美人合」などの美人画である。
            「座敷の遊興」と副題が付いていることもあるこの作品にも、八頭身で
       どっしりとした体つきの健康的な女性が描かれている。
      江戸風俗図として今では貴重な資料にもなるが、当時はさぞ、男性
      の視線を引き寄せた錦絵だったことだろう。
     
       
                                                       
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鳥居清長 「大川端夕涼」      大英博物館
 
                     大川端にくつろぐ女性たちを描いた清長代表作。   
         
      左端から                          右   
      両国橋、 回向院の大きな屋根、見世物小屋     本所堅川(たてかわ)の入り口に掛かる橋や
      の幟旗、 二階座敷に提灯を掲げた料理屋      その奥の木場も描かれており、彼女たちの  
      が並ぶ。                            居場所を示す。
 
                 
       当時隅田川のこのあたりは大川と呼ばれていた。
      紋付の振袖姿の娘の二人連れは、隅田川西岸の若い芸者の風俗で、前帯で、眉をそり、鉄漿
      (かね)付けをした年増の女はその母親役である。
      川沿いには簡易に建てられた水茶屋が並んでいたが、店の縁台には、着物の裾が乱れる
      のも気にせず行儀悪く座る女客がいて、傍らには団扇(うちわ)を持った女が立っている。
      忙しい店の娘は一人まだ暑そうにしており、茶托を持ったまま肩に掛けた手ぬぐいで汗を
      ぬぐおうという姿である。
                                       (参考:図録「大浮世絵展」P290 作品解説)
 
       八頭身の美女が、振袖の袂を川風に揺らせてそぞろ歩く錦絵。
     写実的な江戸風景に、野外へ出て遊楽する江戸名所での女性の群像を
     配した鳥居清長の作風は、美人風俗画と称され、一世を風靡した。
     隅田川を吹き渡る心地よい川風が、今にもこちらに吹いてくるようだ。
            
 
                 ” 謎の浮世絵師・東洲斎写楽 登場!”
 
     写楽の活動時期は1794~95に掛けての約10ヶ月。
       本来なら、鳥居清長(1752~1815)から喜多川歌麿(1753~1806)へと
     浮世絵美人画が頂点を極めていく流れのあと、写楽がいささか異端の
     浮世絵師として紹介されることが多く、この展覧会でもそうなっている。
     しかし、写楽のわずか10ヶ月の活動時期は、清長・歌麿の活躍時期に
     重なるし、どうしても清長の後に写楽の役者絵を持ってきたくなった。
 
     それというのも、この「大浮世絵展」を見に行きたかった第一の理由が、
     写楽あのぎょろりと目をむいた異形の役者絵に、ぜひ直に対面した
     いと思ったからある。                                                                                      
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                 〔作品解説〕       
       重要文化財
       東洲斎写楽
      3代目大谷鬼次の江戸兵衛
          大判錦絵 1枚
         寛政6年(1794)
         東京国立博物館
 
               雲母摺の暗い背景に浮かびあがる、鷲鼻の印象的
       な相貌。口元を結び、着物から手を突き出したポーズ
       で見得を切るのは3代目、大谷鬼次演じる江戸兵衛
       である。写楽の第1期の大首絵の中でももっともよく
       知られた、強烈な印象を残す1図。
       全体の色数は多くないものの、描線は墨と薄墨とが
       使い分けられ、特に口の描線ではその主峰が効果を
       生む。寛政6年5月河原崎座「恋女房染分手綱(こい
       にょうぼうそめわけたづな)」に取材。
                        (図録「第浮世絵展」P298)
 
      
       しかし 目指す作品が見当たらない!
     係りの方に伺ってもやはり、ない。 残念!
 
     展示期間は1月15日(木)~1月26日(日)間での12日間、数日前に終了
     していた。 これだけ有名な作品なのだから、きっと全期間展示されるだ
     ろうと甘く考えていたのが失敗だった。
     懐から前へパッと突き出て、不思議な形に広げられた両手。盗賊の頭・
     江戸兵衛から放たれる驚異的な悪のエネルギーに、触れることが出来
     なかった。展示替えにはよくよく気をつけたいものだ
      (この作品は、3/11(火)~5/6(火)まで開かれる名古屋市博物館では、4/23から最終
       日までの2週間の展示のようである。)
                                                                   
 
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    1月30日、展示されていた写楽の作品は、大英博物館
    からの     3代目市川高麗蔵の志賀大七   
               4代目岩井半四郎の重の井、 
    シカゴ博物館からの2点の、計4点であった。
 
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 〔作品解説〕
 3代目市川高麗蔵は、後に
 5代目松本幸四郎を襲名。
 よく通った鼻筋で「鼻高幸四郎」
 と呼ばれ、長きに渡って江戸の
 劇界で活躍する名優となった。
 
 
                                    〔作品解説〕 
     4代目岩井半四郎の乳人(めのと)重の井を描いた大首絵。
     「おたふく半四郎」とも呼ばれ、ふっくらとした4代目半四郎
     の相貌を穏やかにとらえている。
      寛政6年5月河原崎座「恋女房染分手綱(こいにょうぼう
          そめわけたづな)」に取材。
 
 
        
             「3代目大谷鬼次の江戸兵衛」の代わりに、「市川高麗蔵の志賀大七」と
      「岩井半四郎の重の井」を、じっくり拝見してきた。
       出来ることなら、こちらも見たかった。     (展示期間 1/2~1/14)    
 
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             〔作品解説〕
     重要文化財
      市川鰕蔵(えびぞう)の竹村定之進
      大判錦絵1枚
      寛政6年(1794)
      国立東京博物館
 
     
      この作品も、寛政6年5月河原崎座「恋女房
       染分手綱」に取材。市川鰕蔵の前名は5代目
       市川団十郎。江戸歌舞伎を牽引し、役者絵に
       も数多く描かれてきた名優。写楽の描く鰕蔵
       は、独自の誇張を加え、ある種の異様さを
       たたえた印象的な描写となっている。
 
                                                                                                                                                 
 
                  日本橋の版元・蔦屋重三郎が、寛政6年(1794)に一挙に放った
      無名の新人・東洲斎写楽の役者絵28枚。雲母摺、大判の大首絵。
      役者の顔の特徴を誇張し、デフォルメして役者の個性を大胆に表現
      している。当代の人気俳優や名優ばかりのプロマイドだから、強烈
      な印象を残さずにはおかない。ユニークといえばあまりにユニーク。
      ファンにとっては、さぞかし不満だったことだろう。
 
      新人発掘の才能がある名プロデューサー重三郎が見出してくれた写楽
      の才能ではあるが、彼は10ヶ月余りで筆を折り、忽然と姿を消してしま
      った。果たして東洲斎写楽は実在の浮世絵師なのか? 
      余りに短期間に多くの作品を発表したため別人説が出たり、本名、生没
      年、出生地不明、浮世絵界から姿を消した理由も分からず、長い間、
      写楽はミステリアスな謎の浮世絵師のままであった。
      最近の研究の結果では、八丁堀に住む阿波徳島藩主お抱えの能役者・
      斎藤十郎兵衛であることが、ほぼ確実になっているようである。
     
         写楽の役者絵は、贔屓役者の美しいプロマイドを求めるファンからは
      不評だったが、大首絵(今のプロマイド)で描いたのは、人気役者や名
      優ばかりである。大胆に誇張されているからこそ、役者の個性が際立ち、
      その人気も名優ぶりも納得させられる。
 
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   写楽が描いた名優のように、舟木さんも
   声援を一身に受け、舞台で華と咲き、輝く
   役者さんでいてほしい
 
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   ・・・「大浮世絵展」で、写楽の役者絵を
     見に行こうと思った本当の理由は、
     これである。       
 
 
 
 
      
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   東京会場の江戸東京博物館での展示は
   なく、名古屋会場と山口会場でのみ展示
   される、ギメ東洋美術館からの
 
      「市川男女蔵の奴一平」
 
  この作品も寛政6年5月河原崎座「恋女房
  染分手綱」に取材したもの。
 
  今まさに刀を抜こうとする奴の上半身を描く。
 
  立役として活躍した役者さんということだが、
  四条河原での立ち回りの場面がこれから
  始まるのだろう。                                   
 
                                                           
 
                                                                                                  
     新橋演舞場9月公演の舞台は、演目は決まったということだが、さて、
     どんなお話になるのだろう。舟木さんの新しい役者像を期待して待って
     いよう。