やっと お江戸に! 日本橋 ④
道の起点としての日本橋
[ 元 標 の 広 場 ]
「日本橋の碑」と同じ場所 に、中央通りが
≪日本の道100選≫
に選ばれていることや、
日本橋が古来から道の
起点であったことを
説明する石碑がある。
その説明文
↓
橋を渡った向こうに 元標の広場 がある。
↑ ↑
「日本国道路元標」複製 「東京市道路元標」
都電廃止(昭和47年)に伴って、日本橋のど真ん中に在った「東京市道路
元標」(都電架線柱)は、北詰めの元標の広場に移設された。
日本橋のど真ん中、道路の中央にあった「東京市道路元標」のその跡に、
元首相佐藤栄作氏の揮毫による「日本国道路元標」のプレートが埋め込ま
れたが、そこは車の洪水の中。
危険なため、近くで見ることは出来ない。
そこで、「日本国道路元標」のレプリカを元標の広場に設置した。
・・・・というのが
「東京市道路元標」と、「日本国道路元標」のレプリカが一緒に並んでいる
真相らしい。
道路元標の起点は、それぞれ各市町村で決めればいいということだった
らしいが、ここでは 「 東京市道路元標 」 の跡に 「 日本国道路元標 」 が
そのまま入った。
道路元標としては、「 東京市 」 も 「 日本国 」 も同じになった!
ややこしい話。
しかし、 その昔、 五街道の起点であった日本橋が、 時を経ても東京の、
日本の中心として別格に扱われているのだ、と理解した次第。
その日本の中心地、日本橋からどのくらい離れているかというと、、、
鹿児島市は 1,469キロメートル
札幌市は1,156キロメートル 離れている。
鹿児島の方が300キロメートルも遠い!
それが幕府の狙いとはいえ、島津藩の参勤交代の費用、
さぞかし大変だったことだろうねぇ~。
江戸からは遥かに遠い、薩摩・長州・土佐・肥前、、、
うん、うん、明治維新に占めていく役割の大きさ、、
こんなところにもありかと、わかる気がする。
<日本橋で里程標を見て浮かんで来た、ごく個人的な所感>
元標の広場 を通りすぎ、信号を
渡ると、、、
三井越後屋呉服店から続く、創業300年
以上の老舗
日本橋三越本店。
今は、百貨店の経営もなかなかと
厳しい。2008年には伊勢丹と経営統合
を計り、新しい時代の潮流に乗って、
難局を乗り切る。
「日本橋三越」本店
百貨店の老舗は、やはり、なかなかの威容を誇る。