「 青春歌謡映画 」一瞬の光芒 ③
舟木一夫・和泉雅子コンビの60年代
久間十儀 「新潮45」 2月号
「北国の街」について、久間氏はひときわ熱く熱く
語り、まるでこの掲載前編における中心であり、代表であるかのように考察される。
それは氏にとって和泉雅子の美しさに開眼し、この”極私的考察”の発端になったという事情もあろうが、舟木・和泉コンビの魅力を引き出す中で、結果的に時代が内包していた問題を適確に表現された柳瀬観監督の作品自体が良かったから、とも思えるのだ。
久間氏のあぶり出した「北国の街」が内包する時代性とは、、、
映画「北国の街」には、貧乏と希望、健気さ、純愛、「若さ」と「新しさ」、時代背景のドキュメント性という、久間氏の言われる「青春歌謡映画」の特徴のほとんどが表現されており、その上で 「出て行く者」と「とどまる者」の相克
も暗に描いている、とされている点であろう。
久間氏は「北国の街」に関連し、60年代の若者
について以下のように考察される。
(「新潮45」2月号P141~P142)
① ”都会に出た若者にとって、田舎は錦を飾る
べき場所、帰るべき故郷であった”
② ”結果的に「出自コミュニティ」を放棄し、崩
壊させることにつながったが、この事実は
若者たちに直視されなかった。”
③ ”青春歌謡映画が讃えた「若さ」や「新しい
(民主的な)」生き方”は、”予想外の世界を
招来した”のであり、
④ ”青春歌謡映画を見る中で若者たちが
謳歌した希望は倒錯していた。 そして
彼らはその事実(=民主的な生き方の
倒錯性)に気づかなかった。”
1960年代に中高生時代を送った私たちは
、田舎から都会へほとんど「出て行く者」で
あったが、
① のような感覚はあっただろうか? 個人的には??の部分が残る。
② 「出自コミュニティ」の放棄が、「村落共同体」「家父長制」「旧民法の家督相続」などからなる”封建制
からの脱却”にあるならその通りである。
だからこそ、「青い山脈」では古い上着とさようならし、戦後世代は思い通りに生きることができる切符
を手に入れた「喜び」と「希望」、「憧れ」を歌うことができた。
それが”幻想”に過ぎないことも意識の端にはあっただろうが、都会に出ることにより、誰にも邪魔され
ない自分の人生を手に入れられる喜びは、大いにあったと思う。
その意味で「出自コミュニティを放棄し崩壊させた事実」は直視しなかったかも知れない。
③ 戦前、 戦中の若者と違い、死を意識することなく生きられる青春を手にし、その上人生の入り口で
「夢」や「希望」を語ることも許されるようになった戦後生まれの若者たち
歴史上、初めて手にすることのできた「自分で決められる自分の人生」の切符に心躍らぬわけがない。
「若さ」も「新しさ」も自分たちのものだ。
たとえ15歳で故郷を離れることになったとしても、「夢」や「希望」のほうが大きい。
だからみんなで「青春歌謡」を歌い、「青春歌謡映画」を見た。
50年たって今、私たちは ”人々の生活の孤立化”、”会社主義の崩壊”、”地方の疲弊”に直面してい
る。 これが、久間氏の言われる ”予 想外の世界 ” ということか。
④ 久間氏の言われる、 ” 民主的な生き方の倒錯性 ” について
民主的ということは、(主として戦前の旧民法の規定する)旧来の考え方に邪魔されることなく、考えた
り生きていったりすることができる自由と捉えていいのだろう。
そこに青春歌謡映画の特徴である 「若さ」 と 「新しい生き方」 があったわけだから。
では60年代後半、実際に 「若さ」と「新しい生き方」が特徴である「青春歌謡映画」の中で、「私たちの
新しさ」は、どう表現されているか。
人生の岐路に立ったとき、 私たちがこぞって支持した舟木一夫・和泉雅子の黄金コンビは青春をどう
生きたか?
ここで、人生の岐路に立ったときに、という縛りの元に二人を見ていくことは大変重要なことだと思
っている。 二人が人生の岐路に立ったとき、
「北国の街」の志野雪子は難病ながら東京の大学進学への道を選んだ。
小島海彦は、志野雪子とともに東京へは行かなかった。
父親の病気のため進学を断念し、家業を一旦継ぐ決意をする。
「きっと後から追いかけるから」と。
このときは、小島海彦は「とどまる者」を選んだ。
その決断をした海彦の胸中と、東京での一人の生活を始めようとする雪子の不安を思いやり、観客
はみんな涙したものだ。
ここに「出て行く者」と「とどまる者」の相克が描かれているわけであるが、
「新しい生き方」を享受できたかに見えた戦後世代においても、家業の問題、親の問題が無縁に
なったわけではない。
ただ、選択肢として有無を言わさずたった一つの規範があるのみ、という時代ではなくなった。
「たった一つの規範」が「いくつかの規範の中でより良い選択を」となったとき、それぞれの選択が
積み重なって、結果 ” 予想外の世界 ” が出現したのだ。
それゆえ、久間氏が、<”民主的な生き方”が結果的に本来目指していたものとは違う形で、”倒錯
した形 ” で現れてきた>、と云われていることを図式化するなら、
「民主的な生き方」=「個人の中でのよりよい選択」≒「予想外の世界」の出現
とでもなるのではないか、と私は解釈した。
そこで 【団塊の世代の一員としての所感】
60年代後半、私たちは若く、新しくはあったとしても、”自分ひとりだけで決められる人生”を、強行
突破することはできなかった。
強行突破できると考えたことがあるとしたら、それは”幻想”であり、現実に打ち砕かれていった。
私たちが行使したのは、自分の人生を選ぶとき、「いくつかの中で、自分にとってよりよい規
範を選ぶことのできる自由」であった。それが私たちの持っていた新しさの中身だったのだ。
だからこそ実際には迷い、「出て行く者」と「とどまる者」の相克があったわけだ。
私たちは、小島海彦があの時、「とどまる者」としての選択をしたことは、可哀想であり、歯がゆくも
あったが、父親に寄り添う道を選んだことにほんの少し、どこか共感する気持ちもあったと思う。
その海彦の迷い、相克があるからこそ、スクリーンの中で和泉雅子は余計に可憐で、いじらしく
輝いていく。 仄かに恥らう含羞に満ちた表情が、 後に久間氏に衝撃を与え、 私たちは遥かに去り
ゆく東京行きの汽車を見送る舟木一夫の表情に、万感の思いを重ねていった。
雪子が難病に侵されていることを知らない海彦の、迷った上での決断。
雪原に立ちつくす小島海彦の胸中に、志野雪子への思慕とともに、「出て行く者」と「とどまる者」
の相克があることを見ていくには、久間氏のブログや「新潮45」を目にするまでは、はっきりと
” 考察 ” できて いなかったことである。
あまりにも舟木一夫・和泉雅子の黄金コンビの純愛に心を奪われていたから。
しかし、リアルタイムで舟木・和泉黄金コンビを観てきた団塊の世代も、50年たてば一応
自分たち、自分たちの新しさを考察していかなければならない。
全くの私見に過ぎないが、久間氏の考察による所感としては、ここで、
「私たちの持っていた新しさ」は、「選択肢がある自由を持てた新しさ」ではあったが、「出て行
く者」と「とどまる者」との相克を伴わない自由さまでも持っていた「新しさ」ではなかった。
とまとめようと思う。
付け加えて、
私たちは充分に迷い、出て行ったり、とどまったりして、結果青春歌謡映画で夢見た世界は倒錯
し、” 予想外の世界 ” を生きることになった、ということは頷ける。
しかし決して、<自分たちの個人主義や民主主義の理想は、拡大する経済と利便生活の中で、
ほぼ達成されたという幻想を抱いた” (P141)> 訳ではない、ということも所感の中に入れておき
たいところである。
この後、戦後世代の私たちが担っ
た「若さ」や「新しい生き方」が、
時代の波の中でどのように変化
せざるを得なかったか。
久間氏が「青春歌謡」や映画の中
から、後半のブログをどのようにま
とめられるのか、
「新潮45」 の後編掲載号を待ちた
いと思う。
「北国の街」
昭和40年3月発売
作詞: 丘 灯至夫
作曲: 山路 進一