「青春歌謡映画」一瞬の光芒 舟木一夫・和泉雅子コンビの60年代~所感① | 満天の星Lovelyのブログ

満天の星Lovelyのブログ

60周年をあれほどに輝かせながら61周年へと繋げていかれた舟木さん、本当にお見事でした!
2023年もこれからもずっと、素晴らしい夢時間を頂けますように・・・。

                    「 青春歌謡映画 」 一瞬の光芒     ①
                       舟木一夫・和泉雅子コンビの60年代
 
                      久間十儀   新潮45 2月号 掲載
 
 
イメージ 1
久間氏の「青春歌謡映画」についての考察がブログにあるのは知っていたが、この度月刊誌「新潮45」にも掲載されているとの情報を得たので、早速読んでみた。
 
ブログの記事を大幅に短縮した上で、加筆されている箇所もあり、簡潔にまとまった考察という点では、「新潮45」の方が断然読みやすい。
ただし、ブログ名は「Youtubeでたどる私の和泉雅子と舟木一夫」であった。
 
久間氏にとっては闘病(していると思っていた)の日々を和泉雅子の美しさに慰められたのであるから、この考察についての気持ちの持って行きようはどうしてもマコちゃんの方が先だったのだろう。
 
それにブログの段階では、まだ私的覚書の整理のためだったのだから、「青春歌謡映画」を論ずるの                                      に、舟木一夫より先に和泉雅子(マコチャンに恨み
                                      はないけれど)の名前が出てくるのはどうよ!なん
                                      てことは云わないでおこう。
 
      ともかく久間氏が<舟木一夫と和泉雅子コンビの60年代>を「青春歌謡映画」を通して考察してくれ  
       るのだ。一定の購買層を得ているであろう月刊誌に、こうして現役作家の「青春歌謡映画」の考察が
      掲載されることを素直に喜ぶことにしよう。
 
 
      では、「青春歌謡映画 」といわれるジャンルの映画の始まりはいつとするか?終焉はいつか?
      
     「青春歌謡映画」が、御三家や三田明のヒット曲に吉永小百合、倍賞千恵子、本間千代子、和泉雅子、
      松原智恵子といった若手女優陣の組みあわせとすれば、「いつでも夢を」 「下町の太陽」 「高校三年
      生」が封切られた1963年をその始まりとし、 終焉は、 舟木さんの日活青春歌謡映画最後の作品とな 
      る1968年の 「青春の鐘」 となる。
 
     久間氏のグログをまとめると、大体以上のようなことが書いてある。
     したがって1963年から1968年までの約6年間がこの考察の時期となる。
 
 
                   《青春歌謡映画始まりの頃~》
 
 
イメージ 2
  
                         
          イメージ 3
              <橋幸夫・吉永小百合さん>
 
     <倍賞千恵子さん>
 
                                                                            イメージ 5           <西郷輝彦さん>
    イメージ 4 
     イメージ 6   < 出身地でのロケ 舟木さん映画初出演 >                      
                                                                                     <三田明さん>
 
 
 
    この頃は、御三家のヒット曲はほとんど映画になった。                                    
    観客動員数が見込める上に、制作費が安く抑えられる
    人気歌手と若手女優陣出演の青春歌謡映画は、映画界
    の救世主となっていった。
 
 
 
    久間氏が闘病中(と、ご本人は思っていた)に慰められ、「青春歌謡映画」に惹き込まれていくきっかけ
         となったのは、「北国の街」の和泉雅子の美しさ(可憐さ、いじらしさ)であった。
    1965年(昭和40年)公開だから、まさに久間氏は、最初にして「青春歌謡映画」舟木・和泉コンビのど
         真ん中に巡り合ったといえるだろう。
    それゆえ ” 含羞に満ちた和泉雅子の映像は、半世紀近くを経て、 現在の私たちに届けられた、 高度
         経済成長期からの送りもののように感じられ ”、
    ” ひょっとして肝心なものを何も見ず、 何も聴かずにうかうかと半世紀を過ごしてきたのではないか?”
    とまで氏に思わせてしまったのだ。
 
    日活映画をはずした人生は寂しいかも・・・と思ううちに、和泉雅子の美人女優を止めた見事な転身
    ぶりを、重大な時代のサインだったかと現代の時代の閉塞感の中で捉えていく久間氏。
 
    本当にそうですよ、久間さん。
    私たちは日活の青春歌謡映画で随分楽しませてもらいました。
    1963年から1968年初めまでは、映画の中で私たちは”もう一つの青春”を生きることが可能でした。
    中心となった舟木一夫、山内賢、和泉雅子、松原智恵子さんたちとともに。
    1968年後半から1969年になるともう世情も変わって、 「青春歌謡映画」の中で「もう一つの我が青春」
         を生きることはできなくなりましたけど。
    それにしても、病床にあって鬱々とした日々を慰めてくれたのが「寅さんシリーズ」でもなく、 これこそ
         青春歌謡映画といって差し支えない東宝の「若大将シリーズ」でもなく、和泉雅子に連なる「日活青春
         歌謡映画 」 であったとは、、、。
    いろいろ云われる団塊の世代ですが、私たち真面目だったのですよ。何にでも真剣に向き合ってね。
    若くて新しい世代だったけど、和泉雅子さんが表現していた可憐さ、いじらしさ、はじらいなどは、
    まだまだ充分に残して生きていた世代ですからね。
    団塊の世代の中にあるそれらを見出し、光を当てて下さるような考察が嬉しいです。
 
 
 
    青春歌謡映画を同時期に観ることのなかった世代である久間さんの「青春歌謡映画」考。
    今月号は前編だそうだから、3月号には後編も掲載されるに違いない。
    私は同時期に見ることの可能だった世代の一人として、少しだけその感想を書いてみたいと思う。
    もちろん、私のための、私だけの極私的所感に過ぎないのだけれど。