都会の夜は、時に残酷なほど饒舌だが、時に石碑のように沈黙する。

全10回で綴る『ナイトホークス』の思索。
折り返しとなる第5夜の今宵は、画面中央で一際鮮やかに、まるで意志を持つ火を灯すように座っている「赤いドレスの女」の残り香を辿ってみたい。

​"The night is a female time, and the city is nothing but a woman."
『夜は女の時間であり、この街はひとりの女に他ならない』(エド・マクベイン The Mugger, 1956年より)




ホッパーが好んで使った翡翠色のタイルと、冷ややかな街路。
その沈み込むような色彩の調和を破るように、彼女の赤いドレスはこのダイナーを「物語」の場所へと変えている。

彼女の隣に座る男の、手入れの行き届いたスーツ。
女の、完璧に整えられたウェーブの髪と鮮やかなルージュ。

この真夜中の安食堂に不釣り合いな二人の装いは、彼らがつい先ほどまで、ブロードウェイの劇場の、眩いばかりのシャンデリアの下にいたことを物語っている。

1940年代前半のアメリカ。
大恐慌の余波と戦争の足音が入り混じるこの時代において、「ブロードウェイ(The Great White Way)」は、人々が過酷な現実から逃避するための、最も巨大で煌びやかな夢の装置だった。

紳士淑女たちは一番のよそ行きを着込み、ネオンサインの海をくぐり抜け、ミュージカルや舞台演劇の熱狂に酔いしれた。

しかし、どんなに甘美な夢も、幕が下りれば終わる。
劇場という非日常の頂点から、この無機質なダイナーという日常の底へと沈降してきた二人。
その残酷な落差に、私は二つの偉大な文学の面影を見るのだ。

ひとつは、都市の「明」を描いた、オー・ヘンリーの愛すべき短編『緑の扉』である。



1900年代初頭のニューヨーク。
若きルドルフ・スタイナーは、昼間はピアノ店で働く地味な青年だが、夜になれば真の冒険者として街を徘徊した。

彼にとって大都会とは、幾重もの謎が仕掛けられた迷宮であり、気まぐれな奇跡の舞台であった。

夜の街角ですれ違った黒い毛皮の女が、熱々のバターロールを手に押し付け「平行四辺形(parallelogram)!」と謎めいた合言葉を囁いて消え去るような、シュールで途方もない運命からの招待状を、彼は常に待ち望んでいたのである。

ある夜、煌びやかなブロードウェイの歩道を歩いていたルドルフは、異国情緒あふれる大柄な黒人から一枚のカードを渡される。

そこに書かれていたのは、他の通行人がもらっていた歯医者の宣伝ではなく、ただ「緑の扉」という謎めいた言葉だけだった。

「これこそ私だけに宛てられた運命の符丁だ」と信じて疑わない彼は、見知らぬ暗いアパートの階段を上り、本当に緑色に塗られた扉を見つけ出す。

そして勢いよくその扉をノックすると、その向こう側には、飢えと孤独に倒れ、死を待つばかりの若い娘がいたのである。彼女は町工場でお針子の仕事していたが、不幸にも雇い主からとつぜん暇を告げられ、無一文の身となっていたのである。

ルドルフが彼女を救うために食堂から運び込んだ食事の描写は、実に見事だ。

三日間何も口にしていなかった彼女は、ルドルフが買い込んだ食料品の入った紙袋から、いきなりピクルス(イノンドで風味付けしたもの)を取り出し貪り食おうとするが、ルドルフは笑いながらそれを優しく取り上げ、「まずはこれを」と牛乳を注いだカップを差し出す。

飢えた胃を気遣い、牛乳、温かい紅茶、そしてチキンへと少しずつ命の火を灯すように食事を勧めていくのだ。

それは、冷たい都会の闇の中で手渡された、ささやかだが切実な「救済」そのものであった。

オー・ヘンリーが描いたブロードウェイは、勇気を出して扉をノックすれば、見知らぬ誰かと魂を繋ぐことができる「温かい迷宮」と形容すべき存在であったのである。

しかし、時代は下り、『ナイトホークス』が描かれた1942年。
ブロードウェイのネオンはさらに眩しさを増したが、その足元に広がる闇は、より深く、より冷酷なものへと変質していた。

ここで、もうひとつの「暗」の物語が幕を開ける。

奇しくもこの絵と同じ1942年に発表された、ウィリアム・アイリッシュ(コーネル・ウールリッチ)の不朽の傑作サスペンス『幻の女』である。



妻と喧嘩をして家を飛び出した主人公スコットは、あてどなく夜の街を歩き、とあるバーで奇妙なオレンジ色の帽子を被った孤独な女と出会う。

彼は妻への当てつけのように、名前も知らないその女を誘い、ブロードウェイのカジノ座へショーを観に行く。
隣同士で座り、同じ舞台の熱狂を眺め、そして別れた。

しかし、彼が自宅へ戻ると、妻は何者かによって絞殺されていたのである。

警察に疑われたスコットは、自分のアリバイを証明するため、唯一の証人である「オレンジ色の帽子の女」を探し出そうとする。

ところが、バーの店長も、彼らを乗せたタクシー運転手も、そして劇場のピットで狂ったようにリズムを刻んでいたジャズ・ドラマーでさえも、一様にこう証言するのだ。

「女なんて見ていない。あなたは最初から一人だった」と。

数万人もの人間がひしめき合うブロードウェイ。
そこでは、派手なオレンジ色の帽子を被った女がすぐ隣に座っていても、誰もその存在を気に留めない。

ルドルフが信じた「奇跡の出会い」は、アイリッシュの筆にかかると「完全なる無関心と匿名性」という都会の狂気へと反転する。

街はもはや人を救う迷宮ではなく、個人の存在などいとも簡単に呑み込み、証拠隠滅してしまう冷血な怪物として描かれているのだ。

光と影。
ロマンと虚無。
この二つのブロードウェイの物語を胸に抱きながら、改めてホッパーのカンヴァスに視線を戻そう。



ダイナーに座るこの二人は、果たしてどちらのブロードウェイから歩いてきたのだろうか。

ルドルフのように、偶然の出会いから「緑の扉」を開け、互いの孤独を温め合うためにここに座っているのか。

それとも、『幻の女』のスコットのように、数万人の群衆の中で徹底的に孤立し、隣にいる人間が明日には「幻」になってしまうかもしれないという都会の恐怖に怯えながら、ただ無言で身を寄せ合っているだけなのか。

彼女が手に持っているのは、味気ないサンドイッチだという。

ルドルフが飢えに苦しむ若い娘のために運んだ、命を繋ぐための温かいミルクやチキンではない。
この影を許さない冷徹な蛍光灯の下では、オー・ヘンリーの奇跡は入り込む余地がなく、すべてがアイリッシュの描くサスペンスのように、白々しく暴かれている。

赤いドレスはもはやハレの日の舞台衣装ではなく、匿名性の海に溺れないために彼女が纏った、必死の「自己証明の鎧」のようにさえ見えてくる。

男と女の果てしない沈黙を乗せたまま、夜は静かに更けていく。

明日の第6夜は、この沈黙に「アルコールという名の媚薬」を混ぜて、彼らがどこから来たのか、もう一つの可能性を掘り下げてみようと思う。

ハードボイルドの探偵たちが彷徨う、酒と裏切りの街角へ。