先生に共感できなかった私が、『こころ』を読み直す




第1回 夏目漱石「こころ」――Kの死を、先生の後悔だけで語っていいのか

夏目漱石の『こころ』に出てくる先生という人に、私は長いあいだ、どうしても心を寄せきれずにきました。

45歳になったいま、政治学者の姜尚中氏による解説書を傍らに置いて、もう一度この小説を初めから読み直しています。

姜氏の本は、NHKのテレビ番組「100分de名著」で『こころ』を読み解いた内容をもとにしたもので、古典を初めて読む人にも分かるように書かれています。

『こころ』は大正3年、朝日新聞に連載された長編です。まだ読んだことのない方のために、あらすじを少しお話ししておきます。

物語の語り手は、東京で学ぶ一人の青年です。青年は夏の鎌倉の海で、年上の男性と知り合います。その人は職に就かず、東京の家で妻と静かに暮らし、毎月ひとりで誰かの墓参りに出かけていました。

青年はその人を「先生」と呼んで慕い、家に通うようになります。けれども先生は、どこか世の中に背を向けたような人で、自分の過去を語ろうとしません。

小説の後半は、その先生が青年に宛てた長い遺書です。先生はそこで、ずっと胸にしまってきた若い日の出来事を打ち明けます。

学生だったころ、先生は東京の下宿屋に暮らしていました。軍人の未亡人である奥さんと、その娘のお嬢さんが営む、静かな家です。先生はやがて、同郷の幼なじみで親友のKを、同じ下宿に呼び寄せます。

ところが、先生とKは二人そろってお嬢さんに心を寄せてしまいます。先生はKを出し抜くように、奥さんに結婚を申し込みました。その直後、Kは自ら命を絶ちます。

先生はKの死を自分の罪として背負い、長い歳月を生きてきました。高校の国語の教科書で、この場面を読んだ記憶のある方も多いのではないでしょうか。

親友を裏切った悔いの深さは、私にもよく分かります。若い頃の私が落ち着かなかったのは、別のところでした。一人の人間の死が、先生の罪という一本の糸だけで、きれいに説明し尽くされてしまうことです。

先生の悔いは深く、その語りは誠実です。誠実であるがゆえに、読者は先生の説明を、そのままKの死の真相として受け取ってしまいやすい。

今回問い直したいのは、先生その人というより、Kの死を先生の罪の物語としてだけ読んできた、私たち読者のまなざしのほうです。

まず、Kが残した遺書が、どのような姿で私たちのもとに届くのかを見ておきます。先生は遺書のなかで、Kの亡骸を見つけた夜のことを書いています。

夜中にふと目を覚ました先生は、隣のKの部屋の異変に気づき、棒立ちになったまま動けなくなりました。

もう取り返しがつかない、という思いが、これからの生涯を一瞬で暗く照らし出したように感じられ、体はがたがたと震え出します。その震えのなかで、先生は机の上に、自分宛ての手紙が置かれているのを見つけました。

手紙を開くときの心のうちも、先生は隠していません。自分を責める言葉が書き連ねてあるのではないか。

それをお嬢さんや奥さんに見られたら、どれほど軽蔑されるだろう。ざっと目を通したあと、先生は「まず助かったと思いました」と書いています。

そしてすぐに、それは「世間体の上だけで」助かったにすぎない、と書き添えます。親友の死を前に震えながら、手紙を開く指先では自分の体面を案じていた。

その事実を、何年もたってから自分の手で書き残しているところに、この告白の容赦のなさがあります。

意地の悪い見方もできるでしょう。

書き手が自分の醜さを先に差し出せば、読み手はかえってその正直さに心を許すかもしれない。告白というものには、罪を差し出す顔と、差し出すことで赦しを乞う顔とが、どうしても重なり合います。

それでも私は、この「助かった」という一語を、計算として片づける気にはなれません。亡骸のそばで体面を思ったという記憶は、先生にとって何より消してしまいたいものだったはずです。

先生は恐れと安堵を書き、そのあとで、Kの手紙の最後の一文がいちばん胸にこたえたと書いています。

心の動きを、起きた順のまま並べて残したこと。そこに私は、この語りの正直さを見たいと思います。

Kの手紙の文面は短いものでした。

自分は「薄志弱行で到底行先の望みがない」から命を絶つ、というのです。薄志弱行とは、志が弱く、思ったことをやり遂げる力に乏しいことをいいます。

続いて、世話になった礼、死後の片づけの依頼、奥さんへの詫び、郷里への連絡の頼みが、淡々と記されていたといいます。お嬢さんの名は、どこにもありませんでした。先生はそれを、Kが「わざと回避した」のだと受け取ります。

けれども、その受け取り方には、すでに先生の解釈がまじっています。名を書かなかった理由は、K自身の言葉としては何も残っていません。

お嬢さんを巻き込みたくなかったのか。恋はもはや心の中心になかったのか。小説は、そのどちらとも決めさせてくれません。

この手紙を読んで胸を突かれるのは、Kが責めている相手が、ほとんど自分ひとりだということです。

志が弱い、やり遂げる力がない。精神を高めることを何より重んじてきたKが、自分の掟に照らして、自分に下した判決のように聞こえます。

そこにあるのは、誰かに傷つけられたという訴えではなく、理想に届かなかった自分への宣告です。

先生がいちばん痛切に感じたのは、墨の余りで書き添えたらしい最後の一文でした。先生はそれを、「もっと早く死ぬべきだのになぜ今まで生きていたのだろうという意味の文句」として伝えています。

見落としたくないのは、「という意味の文句」という言い回しです。

私たちが読んでいるのは、Kの書いた文字そのものではありません。先生が受け取り、先生の言葉で言い直したKの言葉です。Kの心はいつも、先生という窓を通ってしか、私たちのところへ届かないのです。

窓を通るからといって、向こうの景色が偽りになるわけではありません。先生は自分に不利なことも書いていますし、その記述を偽りと決めつける根拠はありません。

ただ、窓のかたちや曇りぐあいは、景色の見え方を確かに変えます。正直に語ろうとすることと、記憶や解釈が正確であることとは、同じではないからです。

Kの声に耳を澄まそうとするなら、まずその窓があることを忘れずにいるほかありません。

最後の一文には、もう一つ引っかかることがあります。「もっと早く」と言う以上、Kの絶望は、お嬢さんの婚約を知った数日前に始まったものではなかったのかもしれません。

あるいはK自身にも、自分の絶望がいつ、何から始まったのか、はっきりとは言えなかったのではないでしょうか。

なぜ今まで生きていたのだろう、という問いの形には、答えを持たない人の戸惑いがにじんでいるように思えます。

では、先生自身はKの死をどう考えてきたのでしょうか。結婚してからの年月を振り返りながら、先生はKの死のわけを、幾度も考え直したと書いています。

亡くなった直後は、頭が恋のことでいっぱいだったので、失恋のために死んだのだとすぐに決めてしまった。ところが心が落ち着いてくると、それほど簡単には片づかないように思えてきます。

先生はまず、Kの抱いていた理想と現実とのぶつかり合いを考えます。それでもまだ足りない。

やがて先生は、こう疑い始めるのです。「Kが私のようにたった一人で淋しくって仕方がなくなった結果、急に所決したのではなかろうか」。所決とは、ここでは自ら命を絶つと心に決めることです。

この一節は、先生の理解が深まっていった跡として読めます。恋の勝ち負けという分かりやすい説明を手放して、もっと見えにくいKの内側へ、手を伸ばそうとしているからです。

一方で、私は「私のように」という言葉に目がとまりました。先生はKの孤独を、自分の孤独を手がかりに思い描いています。

そのすぐあとで先生は、自分もKと同じ道をたどっているのではないかという予感に、ぞっとしたと書いています。

そうだとすれば、ここに語られたKの孤独には、先生自身の影が半ば映り込んでいるのかもしれません。

人は他人の心を、自分の経験を通してしか想像できません。想像が深まるほど、そこに自分の影が濃く差し込むこともあるのです。

もっとも、孤独という見立ては、先生の思い込みだけでできているわけではありません。あとで詳しく見るように、Kは家族とのつながりを失い、頼れる身内をほとんど持たないまま、東京で暮らしていました。

先生の考えが揺れ動いていく時間の長さにも、目を向けておきたいと思います。失恋という答えは、若い先生がKの死の直後に出したものでした。

孤独という答えは、結婚して自らの孤独を深めていくなかで、ようやくたどり着いたものです。

同じ一つの死が、語る人の歳月によって、違う顔を見せる。漱石は、その揺らぎそのものを小説に書き込みました。

では、先生の説明の外側には、どんなKの人生があったのでしょうか。先生が遺書のなかで語るKの生い立ちを、少していねいにたどってみます。

Kは浄土真宗の寺に生まれた次男で、医者の家へ養子に出されました。養家はKを医者にするつもりで東京へ学びに出しましたが、Kは自分の求める道を選び、医学とは別の勉強を続けます。

Kが求めていたのは、宗教や哲学の書物を通して、精神そのものを鍛えることでした。

やがてそのことを打ち明けたKは学資を断たれ、実家とも縁が切れたような身の上になりました。それからは自分で働いて学費と暮らしをまかないながら、なお勉強をやめませんでした。

先生の目に映ったそのころのKは、体も心もすり減って、ひどく荒んで見えたといいます。見かねた先生は、Kを自分の下宿へ引き取ることにしました。

忘れたくないのは、Kがこの道を自分で選んだということです。養家の望みに従っていれば、医者としての穏やかな暮らしがあったかもしれません。

それでもKは、正しいと信じた道を手放しませんでした。その頑なさは、Kにとって生きる背骨のようなものだったのでしょう。

姜氏は、Kが守り抜いてきたこの信念と生き方を「城」にたとえています。

家族とのつながりを失っても、精神を高めるという理想を手放さないことで、Kは自分を自分として保ってきた。その城が揺らいだところに、姜氏はKの苦しみを見ています。

城は、外の嵐からKを守ります。けれども私は、この比喩をもう一歩先まで受け止めたいと思います。

城はKを支えるだけでなく、人とのつながりを求めてしまう自分の弱さから、Kの目をそらさせてもいたのではないか。

だとすれば、城が崩れることは理想の挫折であると同時に、城壁の陰に隠れていた孤独が、むき出しになることでもあったはずです。

二人で房州、いまの千葉県の南のほうを旅したとき、Kは先生に「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」と言いました。

それはKが自らに課していた掟でもあったのでしょう。その掟を胸に生きてきた人が、一人の女性に心を奪われたとき、自分をどう受け止めればよいのか分からなくなったとしても、無理はありません。

一方で、下宿に移ってからのKには、新しい人の輪も開かれていました。先生は奥さんとお嬢さんに頼んで、Kに親しく接してもらうようにしています。

そのうちに、硬かったKの態度が少しずつほどけていったと、先生は書いています。

下宿での日々は、Kにとって救いの入口でもあったのです。

お嬢さんへの思いも、はじめは凍えた心をあたためる灯のようなものだったのかもしれません。その同じ灯が、やがてKの城を内側から揺さぶっていきます。

城のたとえは、Kの死を失恋だけでは語れないことを、鮮やかに示してくれます。ただ私は、これを新しいただ一つの答えにはしたくありません。

城の崩れ、実らなかった恋、親友の裏切り、長く降り積もった孤独。それらはKのなかで重なり合っていたはずです。

その重なりぐあいは誰にも分かりませんし、K自身にさえ、すべてを言葉にすることはできなかったかもしれません。

ここで少し、三島由紀夫の『金閣寺』を思い出します。昭和31年に発表されたこの小説で、寺で修行する青年溝口には、鶴川という明るい友がいました。

溝口は鶴川を、自分の暗い心を分かってくれる友だと信じていました。

ところが鶴川が亡くなったあと、溝口は、その友がひそかに恋に悩み、自ら命を絶っていたことを知らされます。

明るい笑顔の奥にあった影を、溝口は最後まで見ることができなかったのです。

親しい相手を分かっているつもりでも、その人には自分の知らない面がある。『金閣寺』のこの痛みは、先生とKにもそのまま響き合います。

先生は幼いころからのKの友で、その考え方も気性もよく知っているつもりでした。その知っているつもりがあったからこそ、先生はKのいちばん弱いところを、正確に突くことができたのです。

ここまで来て、二つのことを分けて考えなければならないと思うようになりました。先生がKに対してしたことの是非と、Kがなぜ死んだのかという問いです。

先生のしたことについては、小説にはっきりした手がかりがあります。ある日、Kはお嬢さんへの思いを先生に打ち明けました。

そして、自分でも自分が分からなくなったと言って、先生の公平な意見を求めたのです。それは恋の相談であると同時に、生き方の足もとが揺らいでいる人の、助けを求める声でもあったはずです。

先生はその声を、恋敵の動きとして聞きました。そして、かつてK自身が口にした「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」という言葉を、今度はKに向かって投げ返したのです。

恋に迷うお前は、お前自身の掟に照らせば馬鹿ではないか、と迫ったことになります。

そのやり取りのなかで、追いつめられたKは、覚悟という言葉を口にしました。先生はそれを、お嬢さんへ踏み出す決意だと受け取り、自分が先に動かなければと焦ります。

姜氏は、この覚悟に、すでに死の決意が含まれていた可能性を読んでいます。そのときKが何を心に決めていたのかは、確かめようがありません。

ただ、先生がKの言葉を、自分の恋を脅かすかどうかという一点からしか聞いていなかったことは確かです。

数日後、先生はKに知らせないまま奥さんに結婚を申し込み、承諾を得ました。婚約のことは、先生ではなく奥さんの口からKに伝わります。

それを聞いたKは、先生を責めも問い詰めもせず、それまでと変わらない様子で過ごしたといいます。遺書にも、先生への恨みは一行も書かれていませんでした。

私はこの沈黙を、赦しのしるしとは読めません。言葉にならないほど深い恨みの表れだと決めつけることもできません。

責めるという行いには、まだ相手に分かってほしいという望みが残っているものです。Kがその望みさえ手放していたのか、それとも別の思いを抱えていたのか。Kの沈黙は、どちらへも閉じられないまま、そこに置かれています。

Kが亡くなった夜、二人の部屋を仕切る襖が少し開いていたことも書かれています。以前にも一度、Kがその襖を開けて、眠っている先生に声をかけた夜がありました。

姜氏はそこに、自分の最期を先生に知ってほしかったKの気持ちを見ようとしています。

心に残る読み方です。けれども、襖が開いていたことと、Kがその思いで襖を開けたこととは、別のことがらです。私はこれを、読み手の側の推測として胸にとどめておきたいと思います。

先生のしたことを問うのに、Kの死因を確定させる必要はありません。

心を開いて頼ってきた相手の、いちばん大切にしている言葉で、その人を追いつめた。その一事だけで、先生の振る舞いは責められてよいはずです。そして先生自身が、誰よりも厳しく自分を責めています。

その一方で、先生の裏切りがKの死のただ一つの原因だった、とまでは小説から言えません。

かといって逆に振れて、先生のせいではなかったと言い切るのも、また別の単純さです。裏切りは確かにあり、Kの絶望のどこかに入り込んでいたでしょう。

けれども、その重さを外から量ることは、誰にもできないのです。

この読み直しで、いちばん考えさせられたことを書いておきます。

先生が自分を責め続けたことには、まぎれもない誠実さがあります。

けれども、Kは自分のせいで死んだと考え続けることは、知らず知らずのうちに、Kの人生を先生との関わりだけで縁取ることにもなりかねません。

自分を責め抜くことと、相手の人生をその人自身のものとして重んじることは、かならずしも同じではないのです。

悔いが深ければ深いほど、悔やまれる相手の姿は、悔いる人の胸のなかで小さく固まってしまうこともあります。

先生が意図してKを自分の物語に閉じ込めた、と言いたいのではありません。

深い悔いを抱えた人は、どうしても自分の過ちを中心に世界を見てしまうものです。

大切な人を失ったあと、あのとき自分がこうしていれば、と考え続けてしまう気持ちは、多くの人が知っているのではないでしょうか。

それでも、悔いの深さが、そのままKの人生の大きさを測る物差しになるわけではありません。Kには、先生と出会う前から続いてきた、先生の知らない長い時間があったのです。

かつての私は、Kの死を一つの原因に決めないことは、先生を甘やかすことになるのではないかと思っていました。いまは少し違います。死の理由を一つに決めないことは、Kを先生の物語の脇役から、自分自身の長い人生を生きた一人の人間へと返すことでもあるのです。

人の心が最後まで分からないからといって、私たちが責任から解き放たれるわけではありません。本人にさえほどけない苦しみを抱えた人が、すぐ隣にいるかもしれないのです。  

そのとき求められるのは、相手の心を言い当てることではなく、分からないままでも、その声を自分の都合で読み替えずに聴くことでしょう。

公平な意見を求められたあの日、先生に欠けていたのは、Kを理解する力よりも、そうした聴き方だったのかもしれません。

学校の授業では、限られた時間のなかで、Kの死にいたる場面を中心に読むことが多いようです。その場面には、人の心の動きを一語ずつたどる読み方を学ぶにふさわしい密度があります。

ただ、Kの死の直後で本を閉じてしまうと、先生が長い年月をかけてその死の意味を考え直していく、静かな揺らぎには出会えません。

抜き出された場面は、それだけで完結した答えではなく、長い小説へ分け入っていくための入口なのだと思います。

ここまで読み直しても、先生へのわだかまりは消えていません。

親友を追いつめ、その死を長く背負い、職にも就かずに内省を重ねることのできた先生の暮らしにも、まだ問いが残っています。それは、回をあらためて考えるつもりです。

それでも、この人を「先生」と呼び、心から慕った青年がいました。

Kの死を語り尽くせなかった先生の言葉を、最後まで受け取ろうとした若者です。次回は、その青年と先生がともに過ごした季節に、静かに目を向けてみたいと思います。



出典

• 夏目漱石『こころ』(青空文庫)
• 姜尚中『NHK「100分de名著」ブックス 夏目漱石 こころ』NHK出版、平成26年
• 三島由紀夫『金閣寺』新潮社、昭和31年