開高健「任意の一点」
電車が、ホームに描かれた停車位置の目印から30センチずれて止まりました。
その瞬間、柱のかげに身をひそめていた一人の若い会社員が飛びだします。名前は大隅順一、25歳です。大隅君は何列にも分かれて整然と並んでいた男たちを無視しました。人をかきわけ、押しのけながら、まだゆっくり動いている車体のドアに体をぴったり寄せて、ホームを走ったのです。
列の男たちは、たちまち色めき立ちます。「バカヤロ。」「ならべ、列を崩すな。」怒った男たちの重みが、大隅君の薄い背中へいっせいにのしかかってきます。
けれども、本当に奇妙なのはその後です。もみくちゃになりながら座席を手に入れた大隅君は、腕を組み、目を閉じて、じっと待ちはじめます。大隅君が待っていたのは、誰かが自分に詰め寄り、なじり、殴りかかってくる瞬間でした。作中で大隅君は、心のなかで、はげしく憎まれたい、とまでつぶやいています。
人はふつう、他人の怒りを避けて暮らしています。それなのに、なぜこの青年は、自分に向けられる怒りを待ちわびたのでしょうか。
開高健の短編小説「任意の一点」は、この不思議な朝の出来事を描いた作品です。発表は1960年、雑誌「文学界」でした。
開高健は1930年に大阪で生まれた小説家です。のちにベトナム戦争の取材や、世界の川や海を釣り歩いた紀行文でも広く知られるようになりますが、この作品を書いたときは、まだ30歳になるかならないかの若さでした。
物語の時計を少し巻き戻して、大隅君が目をさましたところから、ゆっくり読んでいきましょう。
◆朝7時、ひび割れた天井のした
小説は、大隅君が朝7時に目をさます場面から始まります。
大隅君は、何か変わったことはないかと思ってあたりを見まわします。けれども、どこにも異常はありません。冬の乏しい日の光がまぶたに当たり、毛布からはみだした手足の先には冷えがまとわりついています。灰皿には灰があり、壁には雨のしみがあり、天井はひび割れています。
ここで開高は、ちょっといたずらな一文をはさみます。大隅君は念のために自分の体を確かめてみますが、カブト虫になっている様子はなかった、というのです。
これは、カフカの小説「変身」を踏まえた冗談です。カフカは20世紀の初めにドイツ語で小説を書いたプラハ生まれの作家で、「変身」の主人公は、ある朝目をさますと、自分が巨大な虫に変わっていることに気づきます。大隅君はその有名な朝を思い浮かべながら、自分は虫にならずにすんだと確かめているわけです。
このくだりは、思わず笑いを誘います。しかし、笑ったあとで少し寒くなる冗談でもあります。大隅君は虫になってはいません。けれども、人間として生き生きと目ざめたわけでもないのです。大隅君の朝は、変身の朝ではなく、何ひとつ変わらない朝でした。
大隅君の部屋の窓は、長い年月と台風と、ときどきの軽い地震のせいでゆがんでいます。開ければ閉まらなくなり、閉めれば開かなくなるので、大隅君は窓を閉めたままにしています。布団のなかから見えるのは、そのゆがんだ窓枠に切りとられた、平行四辺形の、小さなにごった空です。
私はこの平行四辺形の空に、大隅君の暮らしがそのまま映っているように感じます。世界はたしかに窓の外に広がっています。けれども大隅君の目には、その世界が、四角ですらない、ゆがんだ小さな切れ端としてしか届いていないのです。
大隅君は布団のなかでタバコをふかしながら、今日は何曜日だったかと考えます。水曜日のようでもあり、木曜日のようでもあります。大隅君によれば、目がさめてすぐに分かる曜日は、土曜と日曜と月曜くらいのものだそうです。日付となると、なおさら分かりません。
大隅君は下宿で暮らしています。下宿とは、他人の家の一室を借りて住む暮らし方で、当時は独り身の若い勤め人や学生に多い住まいでした。階下に声をかければ、今日が何日かはすぐに分かります。それでも大隅君は、知ったところでどうということもないのだから無駄だ、と考えて声をかけません。
大隅君が曜日を思い出せないのは、もの覚えが悪いからではありません。毎日があまりに似通っているために、一日一日を区別する手がかりが失われているのです。
続いて大隅君は、これから身につける服のことを考えます。背広もシャツもズボンも靴下も、すべて茶系統でそろえてあります。いろいろ失敗したあげく、顔の色に合わせるのがよいと分かったからだそうです。布地を一枚ずつ身につけていけば、天井のしたには、若く勤勉実直な一人の会社員ができあがります。
ところが大隅君は、その逆を想像します。服を一枚ずつはいでいったら、あとに何が残るのか。残るのは、いま古毛布のなかに転がっているものです。大隅君はそれを、「五〇キロ、二十五歳、日本人、東京在住」と言い表します。
私はこの箇所を、作品全体の鍵の一つだと考えています。大隅君は服を脱いだ自分を、名前でも性格でも思い出でもなく、体重と年齢と国籍と住所で言い表しました。まるで名簿の一行か、荷物の送り状のようです。他人に数えられる前に、大隅君はまず、自分で自分を数字に変えてしまっているのです。
ですから、この朝の憂鬱は、ただの怠けぐせとは違います。大隅君の朝には、自分という人間の中身が、どこにも見当たらないのです。
◆自分がいなくても、会社は動く
布団のなかで寝返りを打った大隅君は、ふと、何年か前に読んだ芝居のせりふを思い出します。人間は存在するのではなく、存在すると思っているだけなのだ。いったい、おれというものは存在しているのか、いないのか。おおよそ、そういう意味のせりふです。
大隅君は、これがチェーホフの戯曲「桜の園」だったか、それとも「ワーニャ伯父」だったかと首をひねります。チェーホフは19世紀末から20世紀初めにかけて活躍したロシアの作家で、思うようにいかない人生をかかえた人々の憂いを、哀れみと滑稽さをまじえて描いた劇作家です。
これに近いせりふは、チェーホフの別の戯曲「三人姉妹」にも見られるようです。けれども、ここで注目したいのは出典の正しさよりも、大隅君自身がそれを思い違えていることのほうです。自分が存在するかどうかを問うせりふの出どころさえ、大隅君はあやふやにしか覚えていません。このあやふやさは、大隅君という人物によく似合っています。
大隅君はもうひとつ寝返りを打ち、これではまるでクラゲじゃないか、と思います。骨も形もなく、波のまにまに漂うだけのクラゲです。この比喩は、物語の後半でもう一度大きな意味を持つことになります。
ここで大隅君は、会社を休もうかと考えます。大隅君によれば、自分が休んだところで、誰も困りはしません。日付が分からなくても、給仕の少女が、日付印を入れかえたゴム判を渡してくれます。給仕とは、当時の会社で雑用や書類の運搬などを受け持っていた若い使い走りの職のことです。
大隅君の仕事は、右から左へ流れてくる伝票に、そのゴム判を押していくことでした。それさえしていれば一日は無事に終わる、と大隅君は考えます。小説はそのことを、円は閉じる、と一言で書いています。
ここで、少し立ち止まって考えておきたいことがあります。
自分の仕事を他の人が代わりにできることと、自分という人間に価値がないことは、本来は別の問題です。誰かが風邪で学校を休んでも、授業は進みます。しかし、だからといって、その生徒がいなくてもよい人間だということにはなりません。
ところが大隅君の頭のなかでは、この二つがいつのまにか重なっています。仕事の上で取り替えがきくことが、自分は世界から必要とされていない、という感覚にすり替わっているのです。
大隅君は財布の中身も思い浮かべます。社員食堂のカレーライスの食券が3枚、身分証明書が1枚、千円札が数枚。それだけです。大隅君はそこから、あるとすれば、あると思うことがあるだけだ、という結論に行きつきます。先ほどのチェーホフ風のせりふが、財布の中身にまで染みこんでいるかのようです。
では、人はどうすれば、自分が確かにここにいると感じられるのでしょうか。
身近な例から考えてみます。教室で友だちに「おはよう」と声をかけ、相手が顔を上げて「おはよう」と返してくれる。たったそれだけのことで、人は、自分の声が誰かに届いたと感じます。反対に、何度声をかけても誰も振り向かなければ、人は自分が透明になったような心細さを覚えるはずです。
この問題を深く考えた哲学者に、ヘーゲルがいます。ヘーゲルは18世紀の終わりから19世紀の初めにかけて活躍したドイツの哲学者です。ヘーゲルは、人間が自分を確かな存在として知るうえで、他の人との関係が欠かせないと考えました。
その関係の中心にあるのが、承認という考え方です。承認とは、ほめられることだけを指すのではありません。一人の独立した人間として、相手からまっすぐ受けとめられることです。しかもヘーゲルは、承認は一方通行では満たされず、互いが相手を一人の人間として認め合うときに初めて本物になる、と考えました。
ヘーゲルの議論そのものは、たいへん複雑です。ここではそのなかから、自分を知ることには他者との関係が深くかかわる、という一点だけを借ります。もちろん、開高がヘーゲルを下敷きにしてこの小説を書いた、という証拠はありません。ヘーゲルの名は、大隅君の心の動きを読みとくための補助線として出しておきます。この補助線は、後半の電車の場面で、思いがけない形で役に立つことになります。
◆ガラス瓶のなかの一滴
大隅君の憂鬱には、もうひとつの形があります。布団のなかの大隅君は、体のまわりでとつぜん気圧が高まり、息苦しくなるのを感じます。大隅君はこれを、午後3時の兆候だと言います。
会社のビルで金属の机に向かっていると、毎日きまって午後3時ごろ、うめきたくなる衝動がやって来る、というのです。体のなかが空っぽになり、まわりの空気が岩のように重くのしかかる。かと思えば、逆に空気が薄くなって、体のなかの圧力がのどもとまでこみ上げてくる。紙一枚持ち上げる元気もなくなり、ただ叫んでみたくなる。その午後3時の重苦しさが、今朝は布団のなかで早くも始まってしまったのです。
その結果どうなるかを、小説は皮肉たっぷりに書いています。儲かるのはコーヒー店だ、と言うのです。いくらか澄んではいるけれど焦点の合わない、魚のような目をした男たちが、ビルという石の穴からいっせいにぬけだして、香ばしい暗がりへもぐりこみます。
店のなかで男たちが口にするのは、「モカ」「ジャバ」「スマトラ」「熱いの」「いつもの」「お冷やア……」といった短い言葉だけです。モカ、ジャバ、スマトラは、いずれもコーヒーの産地や銘柄として使われてきた名前です。
この場面の男たちには、名前がありません。男たちが自分を言い表す手段は、コーヒーの銘柄か、「いつもの」という一言だけです。「いつもの」が通じるのは、店の人に覚えてもらえている証拠でもあります。けれども、覚えられているのはその人の暮らしや心ではなく、毎日同じものを頼むという習慣のほうなのです。
この「魚のような目」という言い回しも、物語の終わり近くでもう一度姿を現します。心のすみに留めておいてください。
大隅君がまた寝返りを打ったとき、今度は妙なものが心に浮かびます。小説は、今度は言葉ではない、チェーホフではない、もっと手ごたえのあるものだ、と書きます。それは、学校の化学実験室にあったガラス瓶でした。
はるかな記憶の薄明かりの向こうで、そのガラス瓶がキラキラ光っています。瓶には、名前を忘れてしまった液体が入っていました。教師が舐めさせてくれると、味も匂いもなく、まるで水のようだったといいます。冷たく澄んで、おとなしくよどんでいるだけの液体です。
そこへ教師が、スポイトで別の液を2滴、3滴と落とします。それでも液は色もつかず、泡も立てず、何食わぬ顔で澄んだままでした。ところが教師が試験紙を浸してみると、紙は見る見るまっ赤に染まり、電流計の細い針がススキのようにそよいだのです。
この思い出の場面は、作品のなかでもとりわけ美しい箇所です。目には何も変わっていないように見える。けれども、見えないところでは、たしかに反応が起きていた。試験紙という小さな証人が、その反応を赤い色で証明してくれたのです。
大隅君がこの記憶に何を見たのか、小説ははっきりとは書いていません。けれども、思い出したとたん、大隅君は「……よし!」と何ごとかを決心します。大隅君は古毛布のなかからそそくさと立ち上がり、まずは便所へ駆けだしました。
決心した直後に便所へ駆けこむというおかしみも、開高らしい味わいです。ただし、この決心の中身は、まだ読者には明かされません。その答えは、駅のホームで、たった一行の文となって返ってきます。
◆15人の列、900キロの重さ
しばらくして下宿を出た大隅君は、まっすぐ駅へ急ぎました。新聞も買わず、ラジオにも背を向け、売店に積まれた週刊誌にも目をくれません。改札を通り、階段を駆けあがり、陸橋をわたってホームへ降ります。作中ではホームのことを、当時の言い方で「プラット」と呼んでいます。
ホームでは、いつもの男たちが4列の縦隊をいくつも作って待っています。きれいにひげを剃り、ポマードで髪を固め、清潔な白いうなじを並べて、新聞を読んだり空を眺めたりしています。誰ひとり、列からはみ出す者はいません。
この作品が発表された1960年ごろ、日本は高度経済成長のただなかにありました。多くの人が都市の会社に勤め、毎朝同じ時刻の電車で通勤するようになりました。ホームに整然と並ぶ男たちの列は、そうした時代の朝の風景でもあります。
大隅君は柱のかげに隠れて、その列の様子をうかがいます。そして、こっそり数えます。15人。1人60キロとして900キロ。50キロなら750キロ。
ここで大隅君は、目の前の男たちを、顔や名前ではなく、人数と重さで捉えています。一人ひとりがどんな家から来て、どんな仕事をし、どんな悩みをかかえているのか。大隅君の視線は、そこまで届いていません。
ただし、ここで思い出しておきたいことがあります。大隅君は布団のなかで、自分自身のことも「五〇キロ」と数えていました。大隅君は他人だけを物のように見ているのではありません。自分も含めて、人間をまるごと重さとして見てしまう目を持っているのです。
都会の群衆のなかでは、人は互いの名前も事情も知らないまま肩を並べて立っています。こうした都市生活の性質を、匿名性と呼びます。匿名性は、人をわずらわしいしがらみから自由にしてくれる面もあります。けれども同時に、その人がその人であることを誰にも見てもらえない寂しさも生みます。
大隅君は、この駅のことを隅から隅まで知っています。電車はこの駅の車庫で仕立てられて入ってくる、いわば始発の電車です。だから座席が空いていて、乗りこむ瞬間に、その座席をめぐる力の取り合いが起こります。大隅君はその仕組みを、生半可な知識ではなく、毎朝の経験で裏打ちして知っている、と小説は書いています。
さらに大隅君は、電車がたいてい停車位置の目印どおりには止まらないことも知っています。止まる位置がずれると、待っていた列はいっせいにざわめいて動きだし、乗車口の前で押し合いが起こります。
小説はこの押し合いを、わずか20分間の安楽をめぐって、ひとにぎりの特権者と圧倒的大多数の苦行者が生まれる、と大げさな言葉で語ります。座れるか座れないかという朝のささいな争いを、まるで国家の権力の配分のように描いてみせる。ここには、開高一流のユーモアがあります。
ここで、題名の「任意の一点」について考えてみます。
「任意の一点」は、もともと数学の言葉です。数学の証明では、たとえば「線分の上の任意の一点をPとする」といった書き方をします。これは、特にどの点と決めずに選んだ一点、という意味です。
大事なのは、ここからです。数学では、特別な条件をつけずに任意に選んだ一点について、その点だけに固有の性質を使わずにある事柄を証明できれば、その議論を同じ条件にあるすべての点へ広げることができます。つまり任意の一点とは、どうでもいい一点のことではありません。どれを選んでもかまわないからこそ、すべての点の代わりに立つことのできる一点なのです。
開高がこの題名にどんな思いを込めたのか、作者自身の説明を私は確かめられていません。ですから、ここから先は私の読み方として書きます。
外から見れば、大隅君は900キロの群衆のなかの、50キロの一点にすぎません。ホームのどこを指さしても、そこには同じような会社員が立っています。けれども、その任意の一点を選んで内側へ入っていけば、そこにはゆがんだ窓の空があり、名前を忘れた液体の記憶があり、午後3時の息苦しさがあります。そして大隅君について言えることは、おそらく、隣に並ぶ14人の誰についても、それぞれの形で言えるはずなのです。
◆液が、一滴、おちた
いよいよ電車が来ます。
案の定、電車は停車位置の目印から30センチずれて止まりました。その直後に、小説はたった一行、次の文を置きます。
「液が、一滴、おちた。」
この一行は、読む者をはっとさせます。朝、布団のなかで大隅君が思い出した、あの化学実験の一滴が、ここで戻ってくるからです。
大隅君が「よし!」と決心したことの中身が、ここでようやく見えてきます。大隅君は、澄んだまま何の反応も見せない群衆という液体のなかへ、自分という一滴を落としてみようとしたのではないでしょうか。見た目には何も変わらなくても、どこかで反応が起き、試験紙が赤く染まり、電流計の針が揺れるかもしれない。大隅君は、そう願ったのではないでしょうか。
思い返せば、大隅君は柱のかげで、狙った列の先頭に立つ男たちの肩や首すじの太さまで観察し、測っていました。この割りこみは、とっさの思いつきではありません。静かに準備された、大隅君なりの実験だったのです。
大隅君は柱のかげから飛びだし、列を無視してホームを走りました。人をかきわけ、押しのけ、まだ動いている車体のドアにぴったり体をつけたまま走ります。
列の男たちは、たちまち騒然となりました。「バカヤロ。」「ならべ、列を崩すな。」「最低だぞ、こいつ。」そのなかには、とっさに「日本人!」と叫んだ男もいました。
この「日本人!」という叫びには、注意が必要です。叫んだ男はおそらく、こんな行儀の悪いことをするから日本人は駄目なのだ、という、なかば自分たちへのあきれを込めて叫んだのでしょう。けれども大隅君の側から見ると、この罵声はなんとも皮肉です。大隅君は朝、裸の自分を「日本人」という言葉で数えていました。そして、ようやく他人から投げつけられた言葉もまた、大隅君という一人の人間の名ではなく、「日本人」というひとくくりの呼び名だったのです。
大隅君は、900キロの筋肉と血と骨が、なだれのように背中へ押し寄せてくるのを感じます。肋骨がきしみ、肩甲骨が鳴ります。膝を蹴られ、肩をつかまれても、大隅君は黙って、厚かましく、しかし必死にドアにしがみつきました。
群衆の力は、まず電車の進む方向へ右に流れ、次にその反動で左へ流れます。大隅君は、その次に何が起こるかも知っていました。押し合っていた男たちは、右と左のぶつかり合いのなかで一瞬の調和を見つけ、共通の敵である閉じたドアへ向かって、まっすぐ押し寄せるはずだ、というのです。
ここで小説は、煽動者はそのとき忘れられる、と書きます。煽動者とは、人々をあおって騒ぎを起こさせる人のことです。この騒ぎのきっかけを作ったのは、ほかならぬ大隅君でした。それなのに、群衆の力が一つの方向にまとまった瞬間、大隅君のことは、もう誰の意識にも残っていないのです。
この短い一文は、物語の結末をひそかに予告していたのかもしれません。
ドアが開くと、大隅君は空気が抜けるようにして車内へ押しこまれ、目についた座席に飛びこみました。座った瞬間、川床の砂が舞うように、日の光のなかで埃がもうもうと立ちのぼります。大隅君は肩で息を整えながらレインコートの襟を立て、腕を組んで猫背になり、口をすぼめて目を閉じました。
さらに大隅君は、なで肩と猫背を、嫌味にならない程度に、しかしはっきりそれと分かるように示しておいて、声を待ちました。自分がここにいることを、誰にでも見つけてもらえるようにしておいたのです。
後から乗りこんできた男たちは、いらだたしく床を踏み鳴らしながら、口々にののしります。「せっかくならんでたのに。」「毎日これなんだからナ。」「くそ。」そして、またしても「これだから日本は!」という声が聞こえます。
大隅君はその響きと怒りを、薄いまぶたのふるえで受けとめます。ここで小説は、大隅君の心の声をはっきりと書いています。何でもよい。誰かが詰め寄ってくるだろう。罵られても、殴られてもよい。それを手がかりに出発しよう。そう考えたあとで、大隅君はこう思います。
「酸を浴びれば凝固する。はげしく憎まれたい。」
ここで、さきほどのクラゲを思い出してください。布団のなかの大隅君は、自分を形のないクラゲのようだと感じていました。生き物の体をつくるたんぱく質は、酸性の条件によって形が変わり、寄り集まって固まることがあります。大隅君は、他人の憎しみという酸を浴びることで、ぐにゃりと形のない自分に、ようやく確かな輪郭が与えられると考えたのではないでしょうか。
憎しみは、少なくとも誰かが自分に向けてくれる感情です。無視され、重さとして数えられるくらいなら、憎まれるほうがまだ、自分がここにいる証になる。大隅君がこの瞬間を、小説のなかで「出会い」と呼んでいることは、とても大切です。大隅君が本当に欲しかったのは、殴られることそのものではなく、他人との出会いだったのです。
けれども、ここで一度、立ち止まらなければなりません。
大隅君の気持ちは、たしかに分かる気がします。しかし、分かることと、正しいと認めることは別です。大隅君は、きちんと並んでいた人たちの順番を奪い、押し合いのなかで誰かを危ない目に遭わせたかもしれません。大隅君の孤独がどれほど深くても、その孤独は、他人の朝を踏みつけてよい理由にはなりません。
さらに、ヘーゲルの考えをもう一度当てはめてみると、大隅君の願いには、もっと根本的な矛盾が見えてきます。ヘーゲルによれば、本当の承認は、互いを一人の人間として認め合うときに成り立つものでした。ところが大隅君は、ホームの男たちを、ついさっきまで900キロの重さとして数えていたのです。
相手を重さとしてしか見ていない人が、その重さの塊から、自分だけは一人の人間として見つめ返されたいと願っている。大隅君の願いは、最初から、かなえられにくい形をしていたのかもしれません。
では、なぜ誰も大隅君に詰め寄らなかったのでしょうか。
この点を考えるうえで手がかりになるのが、アーヴィング・ゴフマンという学者の考え方です。ゴフマンは20世紀のアメリカで活躍した社会学者で、駅や道ばたのような公共の場で、見知らぬ人どうしがどう振る舞い合っているのかを細かく観察しました。
ゴフマンはそのなかで、儀礼的無関心という振る舞いに注目しました。儀礼的無関心とは、そばに他人がいることにはちゃんと気づいていながら、相手をじろじろ見たり、必要以上に関わったりしないようにする振る舞いのことです。満員電車で隣の人の顔をじっと見つめないのは、冷たいからではありません。相手の領分に踏みこまないための、ささやかな礼儀でもあるのです。
もっとも、罵声が飛び交ったあとの車内は、ゴフマンが観察した見知らぬ人どうしの何気ないすれ違いと、まったく同じ場面ではありません。それでも、この概念を少し広げて補助線にするなら、騒ぎのあと、それ以上の関わりを避けた乗客たちの振る舞いも考えやすくなります。混み合う公共の場で、見知らぬ相手とのいざこざを長引かせないのは、ごく賢明なことでもあるからです。
そう考えると、乗客たちが大隅君に詰め寄らなかったことを、ただ冷淡だったからだとは言い切れなくなります。もちろん、乗客たちの本当の気持ちは小説には書かれていません。ですから、これはあくまで一つの可能性として考えておきたいと思います。
◆微笑と寛容と健忘症
騒ぎは、あっという間に終わりました。
靴音は静まり、車内には新しいポマードと生温かい息の匂いが満ち、ドアが閉まって電車が動きだします。大隅君は目を閉じたまま、うつむいて待ち続けました。まわりには筋肉の壁が立ちはだかり、電車が揺れるたびに、何十人もの男の体が頭の上にのしかかってきます。大隅君はいよいようなだれ、身をかがめました。
けれども、小説はここで短く書きます。
「声はなかった。」
誰ひとり、大隅君を責める者はいませんでした。大隅君は、静かすぎる、と感じます。そこで大隅君は顔を上げ、用心深く目を半分だけ開いて、あたりを見まわしました。
吊革につかまった男たちは、電車の揺れに合わせてふらふらしながら、新聞や週刊誌を読みふけっています。小説はここで、男たちがふたたび魚のような目を取りもどした、と書いています。コーヒー店の場面に出てきた、あの焦点の合わない魚の目が、ここで戻ってくるのです。
座席を手に入れた男たちのほうは、10人のうち7人までが居眠りを始めていました。しかも、たぬき寝入りではありません。目じりにも口もとにも、争いの跡がまったく残っていない、本物の眠りです。一瞬前にはののしっていた男たちが、一瞬後にはもう眠っている。大隅君は唇をかみ、心のなかで、ぐうたらめが、と毒づきます。
ここで、ある一言を思い出しておきたいのです。後から乗りこんできた男の一人は、毎日これなんだからナ、とこぼしていました。
この一言は何気ないようでいて、実はとても残酷です。大隅君にとって、あの割りこみは、自分の存在を確かめるための一世一代の実験でした。ところが乗客たちにとっては、毎朝どこかで繰り返されている、ありふれた迷惑の一つにすぎなかったのです。大隅君が投じた一滴は、群衆にとっては、珍しくもない雨だれの一粒だったのかもしれません。
大隅君は、さらに想像をめぐらせます。やがて男たちは冬の日に温められて匂いはじめ、吊革は指紋と脂でべたべたになり、終着駅には、かゆのように重く生温かい体臭が運びこまれるだろう。口臭と放屁、汗とふけ。そのむせかえるような匂いのなかにあるものを、小説は次のように言い表します。
「微笑と寛容と健忘症。」
私はこの言葉に、この作品のいちばん深い苦みがあると思います。
寛容とは、他人の過ちを許すことです。本来なら、それは美しい徳のはずです。けれども、この車内の寛容は、よく考えたうえで許すことではなく、ただ忘れてしまうことと見分けがつきません。乗客たちは大隅君を許したのではなく、大隅君のことを、もう覚えていないのです。
大隅君にとって、これは憎まれるよりもつらいことだったはずです。憎しみなら、少なくとも相手の心のなかに自分の姿が残ります。けれども忘れられてしまえば、大隅君という一滴は、最初から落とされなかったのと同じことになってしまいます。
大隅君は一度、はっきりと目を開き、心のなかでつぶやきます。いったい、おれは、存在したのか、しなかったのか。
そのあとに続くのが、次の一文です。
「電流は正しく流れ、モーターは正しくうなって快適な動揺を背につたえてきた。」
胸を突かれる一文です。朝の思い出のなかで、電流計の針はススキのようにそよいでいました。見えない反応が、針の揺れとなって現れていたのです。ところがこの電車のなかでは、電流はただ「正しく」流れています。何の乱れもなく、何の反応も起こらないまま、電車は乗客を運んでいきます。
やがて大隅君も、眠くなってきます。曜日も知らず、日付も知らないまま、大隅君は電車に揺られています。古い鉄の箱は、曲がり角に来るたびに、いまにもばらばらになりそうな音を立てます。小石ひとつでこの電車はひっくり返り、壊れてしまうだろう、と大隅君は考えます。それなのに、この静けさ、この眠さはどうしたことだろう。おれも、他人も。
小説は、大隅君がまもなく本当に眠ってしまった、という一文で幕を閉じます。
この結末を、どう受けとめればよいのでしょうか。
一つには、大隅君の敗北として読むことができます。群衆から飛びだそうとした一滴は、結局また群衆のなかへ溶けこみ、他の乗客と同じ眠りに落ちてしまいました。
けれども、それだけではないように思えます。大隅君の体は、ついさっき900キロの重みに押しつぶされそうになり、肩甲骨が鳴るほどの目にあったばかりです。眠くなるのは、何よりもまず、疲れきった体の自然な成り行きです。体が眠りを求めることを、人間としての負けだと決めつける必要はありません。
それに、大隅君の最後のつぶやきには、「おれも他人も」という言葉が入っていました。朝からずっと、大隅君は自分を数字に変え、他人を重さに変えてきました。その大隅君が、最後の最後に、自分と他人とを同じ一つの眠りのなかに並べているのです。
この眠りを、群衆への屈服と読むのか。それとも、他人と同じ弱さを分け合うことへの、かすかな入口と読むのか。小説は答えを書かずに、そっと幕を下ろします。この答えの書かれていない余白もまた、作品の大切な一部なのです。
◆子供部屋のような書斎
ここで少し作品から離れて、この小説を書いた開高健という人のほうへ目を向けてみます。作者の人生を知れば作品の意味が一つに決まる、というわけではありません。けれども、作者がどのように世界と向き合った人だったかを知ると、大隅君の姿が、別の角度から照らされるように思うのです。
開高健は1930年、大阪市に生まれました。少年時代に父を亡くし、戦争のさなかには学生として勤労動員を経験し、戦後は飢えに近い暮らしもくぐりぬけています。大阪市立大学を卒業したあと、1954年に壽屋に入社しました。壽屋は、現在のサントリーにつながる洋酒会社の、かつての社名です。
壽屋の宣伝部で、開高は広告の言葉を書き、「洋酒天国」という雑誌の編集にも携わりました。「洋酒天国」は、壽屋が1956年に創刊したPR誌です。PR誌とは、会社が自社を知ってもらうために出す冊子のことですが、「洋酒天国」はお酒の宣伝にとどまらず、文学や食べ物、旅やユーモアまでを盛りこんだ自由な誌面で、多くの読者に愛されました。
その一方で開高は小説を書き続け、1957年に「パニック」を発表し、翌1958年には「裸の王様」で芥川賞を受けました。芥川賞は、新人作家に贈られる文学賞のなかで最もよく知られた賞の一つです。「任意の一点」は、その受賞から2年後の作品にあたります。会社勤めの日々を自分の身で知っていた作家が、勤め人の朝を描いた小説だと言えるでしょう。
壽屋の宣伝部には、もう一人、のちに作家として名を成す人がいました。山口瞳です。山口瞳は1958年に壽屋に入社しましたが、その入社には、「洋酒天国」の編集をしていた開高の推薦があったと伝えられています。
山口瞳はやがて、会社員の暮らしを描いた小説「江分利満氏の優雅な生活」を書き、この作品で直木賞を受けました。第48回、1962年下半期の直木賞で、選考が決まったのは翌1963年の1月です。資料によって受賞年が1962年とも1963年とも書かれるのは、このためです。直木賞は芥川賞と並ぶ文学賞で、主に大衆文学の分野の作家に贈られます。
「江分利満氏の優雅な生活」は、平凡な会社員である江分利満氏の日々を、ユーモアと哀感をまじえて描いた小説です。江分利満という名前は、英語のエブリマン、つまり、どこにでもいる普通の人をもじったものです。
大隅君と江分利満氏を並べてみると、興味深いことに気づきます。二人とも、どこにでもいる一人の勤め人です。けれども山口瞳は、その「どこにでもいる」ことを、情けなさも含めて親しみをもって見つめ、笑いと涙で包みこみました。一方の開高健は、「任意の一点」のなかで、同じ「どこにでもいる」ことを、自分は存在しているのかという問いの淵まで押し進めてみせたのです。
もっとも、これを、明るい山口と暗い開高、と単純に分けてしまうのは間違いでしょう。山口の笑いの底には深い哀しみが流れていますし、開高の「任意の一点」にも、カブト虫の冗談や、決心したとたんに便所へ駆けこむおかしみがあふれています。同じ宣伝部の空気を吸った二人の作家が、同じ勤め人の暮らしから、違う色合いの文学を汲み上げた。そう考えるほうが、二人にふさわしいように思います。
二人の縁はその後も続きました。1964年には、壽屋の宣伝部にいた人たちが中心となって、サン・アドという広告制作会社が生まれ、開高と山口もその設立に関わっています。また、二人の文章を収めた「やってみなはれ みとくんなはれ」という本も残されています。
その後の開高健は、ますます広い世界へ出ていきます。1964年の暮れからはベトナム戦争の取材に赴き、戦場で死と隣り合わせの体験をしました。その体験は、のちに小説「輝ける闇」などに結実します。
さらに開高は、釣り竿をかついで世界の川や海を旅しました。1978年には、南米アマゾンでの釣りを描いた紀行「オーパ!」を刊行しています。「オーパ!」とは、ブラジルで使われるポルトガル語の感嘆の言葉で、驚いたり感心したりしたときに思わず口から出る声です。
ここに、一つの不思議な符合を感じます。開高は「任意の一点」で、コーヒー店に群がる男たちや車内の乗客たちの目を、魚のようだと書きました。焦点の合わない、どこも見ていない目です。その同じ作家が、のちに地球の裏側まで出かけていき、本物の魚と、竿一本で向き合うことになるのです。
もちろん、若い日の小説の比喩と後年の釣りの旅とのあいだに、作者自身がつながりを語ったわけではありません。これは私の勝手な連想です。それでも、魚のような目をした人間たちを書いた人が、のちに本物の魚の、生きて光る目に会いに行ったのだと思うと、少し胸が熱くなるのです。
私は開高健を、偉大なる趣味人だと思っています。
ただし、ここで言う趣味人とは、ぜいたくな遊びを楽しんだ豪快な人、という意味だけではありません。釣りでは、水の色や流れを読み、長い時間を待ち、ある瞬間には体ごと応えなければなりません。食べることでは、味や匂いや歯ざわりを全身で受けとめます。旅では、見知らぬ風景や人々に出会います。開高にとって趣味とは、世界に自分から触れにいき、世界から確かな手ごたえを受けとる営みだったのではないでしょうか。
昔、私は茅ヶ崎にある開高健記念館を訪ねたことがあります。
開高健記念館は、神奈川県茅ヶ崎市に残る開高の旧宅と仕事場を公開している施設です。開高は1974年の暮れに茅ヶ崎に書斎を構え、晩年までそこを拠点にしました。
その記念館で、いちばん心に残ったのは書斎の風景でした。私には、そこが子供部屋のように見えたのです。
なぜ、大きな仕事を成しとげた作家の書斎が、子供部屋に見えたのでしょうか。いま振り返ってみると、その答えは、子供部屋というものの持つ性質にあるように思います。子供部屋は、ただ子供が寝起きする部屋ではありません。好きなものを集め、眺め、手に取り、まだ見たことのない世界を思いえがく場所です。
記念館の案内にも、書斎にはルアーや釣り上げた魚の剥製、地図等といった彼が海外などで蒐集した愛蔵品が展示されていると記載されています。
そうした空間の気配のなかに、私は、いくつになっても好奇心を手放さなかった人の、少年のような心を感じとったのだと思います。
ここで、大隅君の部屋をもう一度思い出してください。ゆがんで開かない窓、平行四辺形のにごった空、雨のしみ、ひび割れた天井。大隅君の部屋は、毎日の繰り返しのなかで、世界の手ざわりが薄れてしまった部屋でした。
一方、私の記憶のなかの開高の書斎は、世界へ向かう好奇心の気配に満ちた、子供部屋のような部屋でした。
もちろん、片方は実在した作家の部屋で、もう片方は小説のなかの若者の部屋です。しかも開高が茅ヶ崎に移ったのは、「任意の一点」を書いてから14年も後のことです。二つの部屋をそのまま比べることはできません。
それに、豊かな趣味を持った人の心が、いつも満ち足りていたとは限りません。開高の書いたものには、旺盛な食欲や好奇心と並んで、深い倦怠や虚しさの影もたびたび顔を出します。もしかすると開高は、大隅君の朝の重さを、誰よりもよく知っていた人だったのかもしれません。そうだとすれば、あの子供部屋のような書斎は、その重さに押しつぶされまいとして、世界に手を伸ばし続けた人の部屋だったのではないか。そんなふうにも考えるのです。
◆悠々として急げ
開高健の名前を聞くと、多くの人が思い浮かべる言葉があります。「悠々として急げ」です。
ゆったりと構えることと、急ぐこと。ふつうに考えれば、この二つは正反対です。「悠々として急げ」は、その正反対の二つを一つに結びつけた、不思議な言葉です。開高はこの言葉を好んで用いたことで知られ、いまでは開高健ゆかりの言葉として広く親しまれています。
この言葉には、古い源があります。古代ローマの歴史家スエトニウスは、紀元前後にローマを治めた初代皇帝アウグストゥスが、「ゆっくり急げ」という意味のギリシア語の格言を好んで口にしていたと書き残しています。この格言は、のちにラテン語の「フェスティナ・レンテ」、Festina lente という形で広く知られ、ルネサンス期には、速く泳ぐイルカと船をとどめる錨を組み合わせた図柄で表されたこともありました。ただし、開高がどの本を通してこの格言に出会ったのかは、私には確かめられていません。
この逆説的な言葉には、まず、慌てるな、という戒めが込められています。急がなければならないときほど、人は手順を飛ばし、大事なことを見落とすからです。
けれども、悠々と構えることは、ぐずぐずと決断を先のばしにすることとは違います。じっくり観察し、準備を整えて待ち、ここぞという瞬間には迷わず動く。釣りがまさにそうです。釣り人は何時間も水面を見つめて待ちますが、魚が食いついたその一瞬には、ためらわずに竿を立てなければなりません。釣りのなかでは、待つことと素早く動くことは矛盾しないのです。
ここで、ある皮肉に気づきます。
大隅君の朝の行動を思い返してみてください。大隅君は柱のかげにひそみ、列の男たちの肩や首すじを観察し、電車が目印からずれて止まる瞬間をじっと待ちました。そして、その一滴が落ちた瞬間に、迷わず飛びだしたのです。形だけを見れば、これは「悠々として急げ」そのものであり、水面を読んで竿を立てる釣り人の動きにそっくりです。
それなのに、大隅君は何も釣り上げることができませんでした。いったい何が違ったのでしょうか。
釣り人が待っているのは、水の向こうにいる一匹の生きた魚です。魚は釣り人の誘いに応え、糸の先で全身を使って抵抗します。釣り人はその手ごたえのなかで、自分もまた生きていることを感じます。そこには、生きたものどうしの出会いがあります。
ところが大隅君が釣り糸を垂れた先にあったのは、一人ひとりの人間ではなく、大隅君自身が900キロと数えた重さの塊でした。大隅君は出会いを待ちながら、出会うはずの相手の顔を、最初から見ようとしていなかったのです。
そう考えると、「悠々として急げ」は、ただ速さの加減を言った言葉ではなく、自分自身の時間をどう生きるのか、という問いでもあるように思えてきます。
大隅君は、曜日も日付も知りませんでした。大隅君の時間は、電車の時刻表と、会社の伝票の流れと、午後3時の息苦しさに預けられたままでした。大隅君が駆けだしたのは、20分間の座席と、誰かの一言を手に入れるためです。けれども、そこには、自分がどこへ向かって生きたいのかという方向が欠けていました。
悠々とは、世間の時計から少し身を離して、自分の時間を自分の手に取りもどすことなのかもしれません。急げとは、その自分の時間のなかで、本当に会いたいもの、触れたいものに向かって、ためらわずに手を伸ばすことなのかもしれません。開高健という偉大なる趣味人の生き方には、そうした意味での「悠々として急げ」が流れていたように、私には思えます。
とはいえ、この言葉を大隅君への説教として差し出すつもりはありません。開高が「任意の一点」でこの格言を表そうとしたわけではありませんし、この言葉ひとつで大隅君の朝が救われるわけでもないからです。
最後に、もう一度、あの朝の電車へ戻りましょう。
ひとつかみほどの窓から冬の日が差しこみ、車内には人いきれがこもっています。吊革がきしみ、古い鉄の箱は曲がり角のたびに音を立てます。座席の一つで、レインコートの襟を立てた若い会社員が、腕を組んだまま眠っています。
向かいに立つ乗客がふと目をやったとしても、そこに見えるのは、どこにでもいる眠りこけた勤め人の一人にすぎないでしょう。ホームに並んだ15人のうちの一人。900キロのなかの50キロ。まさに、任意の一点です。
けれども私たちは、その一点の内側を知っています。ゆがんだ窓から見えた平行四辺形の空を知っています。名前を忘れた液体の、冷たく澄んだ記憶を知っています。はげしく憎まれたいと願うほどに、誰かとの出会いを求めていた心を知っています。
開高が選んだその一点を内側から見たとき、50キロという数字の奥には、これだけの朝が隠れていました。同じ車内で眠る男たちの一人ひとりにも、きっと、それぞれに違う朝があったはずです。
あの日の実験室の細い針は、眠る大隅君の胸の奥で、まだススキのようにそよいでいたのでしょうか。それとも、もう静かに止まっていたのでしょうか。開高はその答えを書かず、ただ大隅君を眠らせます。
本日もご覧いただき、ありがとうございました✨
(参考文献・参照資料)
・開高健「任意の一点」(初出「文学界」1960年。本文は「開高健全作品」新潮社、1974年による)
・公益財団法人開高健記念会ウェブサイト(開高健年譜、開高健記念館の案内)
・山口瞳「江分利満氏の優雅な生活」新潮文庫
・開高健、山口瞳「やってみなはれ みとくんなはれ」新潮文庫
・公益財団法人日本文学振興会「直木賞受賞者一覧」
・岡田芳郎「名コピーを生む小説家、開高健・山口瞳」(「宣伝会議」2014年3月号)
・株式会社サン・アド 会社案内
・スエトニウス「ローマ皇帝伝」アウグストゥス伝
・ヘーゲル「精神現象学」
・アーヴィング・ゴフマン「集まりの構造」(原著 Behavior in Public Places, 1963年)
