新涼や白きてのひらあしのうら
川端茅舎
夏の重たい熱がまだ町に残っているのに、朝の空気がふいに肌ざわりを変える日があります。
汗の引き方が違う。
窓を開けたときの風の当たり方が違う。
暦がそう告げるより先に、体のほうが季節の変わり目を知ってしまう。
新涼という季語は、そのわずかな差を掬い取るために生まれた言葉です。
この季語を冠した句は数え切れないほど残されています。
水を詠んだもの、灯を詠んだもの、膳の上の魚を詠んだもの。
どれも涼しさの手触りをそれぞれの角度から捉えています。
しかし川端茅舎のこの一句の前に立つと、しばらく先へ進めなくなります。
新涼や白きてのひらあしのうら
季語のあとに置かれたのは、掌と足裏だけです。ほかには何もありません。
風景も、器物も、人の姿すらも描かれない。ただ自分の手のひらと足の裏の白さが、そこにぽつんと差し出されています。
この選び方が、まず尋常ではありません。
掌と足裏は、体のうちでも人が普段は見ない場所です。
手の甲や足の甲は日に焼け、風に晒され、外の世界と向き合っています。
ところが掌と足裏は、いつも内側を向いている。
物を握るとき、地を踏むとき、それらは世界に触れてはいても、決して人の目には晒されません。
日を浴びないからこそ、そこだけが白いのです。
茅舎は、その白さに気づいてしまった人です。
仰向けに寝たまま手をかざしたのかもしれません。
あるいは足を投げ出して、ふと自分の足の裏を眺めたのかもしれません。
いずれにせよこれは、外を見る目ではなく、自分の体を見つめ返す目です。
そして掌と足裏こそ、夏のあいだ最も火照りを溜め込んでいた場所でもあります。
寝苦しい夜に、人は無意識に掌を布団の外へ逃がし、足の裏で涼しい場所を探します。
その二か所から、まっさきに熱が退いていく。
新涼は顔や首筋からではなく、体のいちばん奥まった白い部分から訪れる。この句はそう言っています。
新涼という季語が、ここで見事に働いています。
もし「秋涼し」であれば、季節はもう十分に進んでいます。
「涼し」だけなら、それは夏の中の涼です。新という一字が置かれることによって、初めて訪れたばかりの、まだ確信の持てない涼しさが立ち上がる。
そのおぼつかなさと、掌と足裏の頼りない白さとが、静かに響き合っています。
もうひとつ、この句には音の巧みさがあります。
しろき、てのひら、あしのうら。
ら行の柔らかい音が三度重なり、句がゆるやかに閉じていきます。
切れ字の「や」で一度大きく息を吸い、そのあとは吐く息だけで読み下せる。
声に出してみると、ほとんど溜め息のように終わる句です。
誰かに向かって言っている言葉ではなく、自分の内側でつぶやかれた言葉の手触りがあります。
作者の川端茅舎は、1897年に東京の日本橋蛎殻町に生まれました。
本名を信一といいます。
異母兄は、のちに日本画壇で豪快な大作を描くことになる川端龍子です。
茅舎自身も、はじめは俳人ではなく画家を志しました。岸田劉生に師事し、京都に移って絵の修業に打ち込んだ時期もあります。
若い日の茅舎が見つめていたのは、十七音の世界ではなく、画布の上の色と形でした。
しかし体が、その道を許しませんでした。
若い頃から病を得て、療養の日々が長く続き、ついに画業を断念することになります。
志した道を途中で手放さなければならない痛みは、他人には測りようがありません。
ただ確かなのは、絵筆を置いた茅舎の目が、そのまま俳句へ移されたということです。
彼は高浜虚子に師事し、ホトトギスの同人となりました。
虚子は茅舎を花鳥諷詠真骨頂漢と呼んで、その資質を高く評価しています。
写生という言葉の意味を、茅舎ほど深いところで生きた俳人は多くありません。
画家の目とはどういうものか。
それは、対象を素早く要約する目ではなく、動かずに見つめ続ける目です。
茅舎の代表句を並べてみると、そのことがよく分かります。
金剛の露ひとつぶや石の上
ひらひらと月光降りぬ貝割菜
一枚の餅のごとくに雪残る
いずれも、視線がひとつの小さなものに釘づけになっています。
露のひとつぶ、貝割菜に落ちる月の光、残雪のひとひら。
世界を広く見渡すのではなく、目の前の一点をひたすら凝視し、その中に世界の全部を見てしまう。
掌と足裏の白さを詠んだあの句も、まったく同じ視線から生まれています。自分の体すらも、静物として見つめられている。
そして白という色。
茅舎の句には、白がくり返し現れます。
露の白、雪の白、そして掌と足裏の白。
これは単なる色彩の好みではないように思われます。
茅舎は仏教への傾倒が深く、句集に『華厳』と名づけたほどでした。
彼にとって白は、清らかさであり、余計なものを削ぎ落としたあとに残る何かでした。
病に痩せた体の、日を知らない白さを見つめるとき、そこにはわずかな悲しみと、それを超える静けさとが同時にあります。
自分の体をこれほど静かに眺められる人は、そう多くはありません。
生前の茅舎は、『川端茅舎句集』と『華厳』の二冊を世に送りました。
1941年に44歳で世を去り、遺句集『白痴』が残されています。
俳人としての歳月は、決して長いものではありませんでした。それでも彼の句は、いまなお歳時記のあちこちに、白い露のように点在しています。
同じ新涼の季語で、日野草城は「新涼やさらりと乾く足の裏」と詠みました。
並べてみると、二人の違いがくっきりと浮かびます。
草城の句は触覚です。
汗ばんでいた足の裏が乾いていく、その皮膚の感覚がそのまま句になっている。健やかで、いくらか官能的な喜びさえ漂います。
茅舎の句は視覚です。
足の裏に触れているのではなく、それを見ている。乾いたかどうかは分からない。
ただ白い、とだけ言う。
その一歩の距離が、句の温度をまったく別のものにしています。
草城の句を読むと、読者は自分の足の裏を思い出します。
茅舎の句を読むと、読者は自分の足の裏を、そっと見てみたくなる。
森澄雄の「手を當てておのが肌や涼新た」も、自分の体に涼しさを確かめる句です。
しかしこちらは手を当てるという動作があり、体温を確かめる意志が働いています。
茅舎の句には、動作すらありません。ただ、見えてしまった。気づいてしまった。その受け身の姿勢が、かえってこの句を澄んだものにしています。
私たちは季節の変わり目を、たいてい外の世界の側に探します。
空の高さ、雲の形、虫の声、風の匂い。それらはどれも確かな徴です。けれども茅舎は、外を見ずに自分の掌を見ました。そこにこそ秋が来ていた。
十七音のうち、季語を除けばわずか十二音です。
その十二音で示されるのは、掌と足裏の白さだけ。
何の説明もなく、何の感慨も述べられていません。それでもこの句を読み終えたあと、指がひとりでに動いて、自分の手のひらを返してみたくなります。
そして気づくのです。
確かに、ここだけが白い。
夏のあいだずっとそうだったはずなのに、今日まで一度も見なかった。
新涼とは、そういう季節なのかもしれません。
何かが新しく始まるのではなく、ずっとそこにあったものにようやく目が届く、その一瞬のことなのでしょう。
茅舎の掌の白さは、およそ百年の時を越えて、いまこの句を読む人の手のひらの上に、静かに重なってきます。
