はつあきの水に落せし咳ひとつ

鷲谷七菜子




秋のはじめを詠んだ句を、こうして幾百も並べて眺めてゆく時間は、静かな贅沢です。

子規の軽やかな旅寝の句があり、蛇笏の重く沈んだ雨の句があり、龍太の、海へ向かってふと心のほどける句があります。

どれもそれぞれの秋を持っていて、読み進むうちに、こちらの体温までがゆっくりと下がってゆくような心地がいたします。

その長い連なりの途中で、私の目はこの一句の前で立ち止まりました。

読んだ瞬間、あたりの物音が消えました。何が起きたわけでもありません。

人がひとり、水のほとりに立っていて、小さく咳をした。ただそれだけの句です。
それだけの句が、なぜこれほど深く、こちらの内側へ入ってくるのでしょうか。

まず心を打たれるのは、「落せし」という言い方です。
咳は、ふつう「出る」ものです。

こちらの意志にそむいて、体の奥から勝手に漏れてくるものです。

ところが鷲谷七菜子は、それを落したと書きました。
落すという動詞は、手のうちにあった何かを、うっかり、あるいは思いきって、下へ放つときの言葉です。

この一語によって、形を持たないはずの咳が、にわかに小さな重さを帯びます。

掌からこぼれた木の実のように、あるいは指を離れた一粒の玉のように、それは秋の水面へ向かって落ちてゆきます。

音が物になったのです。
俳句という短い詩形が起こしうる、もっとも美しい変化のひとつが、ここで静かに起こっています。

次に「ひとつ」です。
この語には二つの働きがあります。ひとつには、咳が一度きりであったこと。続けざまに咳き込んだのではなく、たった一度、それきり静けさが戻ったこと。

もうひとつには、その咳を数えている人がいるということです。人は、まわりに誰かがいるとき、自分の咳を数えたりはしません。数えてしまうのは、あたりが静まりかえっていて、自分の立てた音がやけにはっきりと聞こえてしまうときです。

つまり「ひとつ」の二文字は、この人がいま独りでいることを、一度も寂しいと言わずに伝えてしまう。
俳句の言葉の経済というものを、これほど鮮やかに見せてくれる例は、そう多くありません。

上五が「はつあき」と平仮名で置かれていることにも、作者の耳の細やかさが働いています。

初秋と漢字で書けば、句のはじめに固い塊が据わります。
ひらがなに開けば、輪郭がやわらぎ、季節そのものが薄く軽くなる。

初秋の空気は、盛夏の重く湿った空気とは違って、澄んで、そのぶん音をよく通します。

その薄い空気の中を、咳がひとつ、まっすぐに水へ届く。ひらがなの三文字は、その通りやすさをそのまま形にしています。

水についても申し上げておきたいことがあります。
日本の詩歌において、秋の水は古くから澄むものとされてきました。

水澄むという季語があるとおり、秋の水は、夏のあいだ濁っていたものが沈み、底までが見えるようになる水です。

この句の水が、池なのか、川の淀みなのか、あるいは家の裏手の古井戸なのかは書かれていません。

書かれていないからこそ、読む者はそれぞれの記憶の中の水を思い出します。

ただ確かなのは、その水が透きとおっていて、静かで、何かが落ちてくるのを待つように平らであったということです。

そこへ、人の体から出た小さな音が届く。澄んだものと、いささか濁ったもの、無心なものと、生きて病むものとが、一瞬だけ触れ合います。

さらに味わい深いのは、咳という語が、本来なら冬の季語であるという点です。

歳時記において咳は、冬の寒さに喉を傷める人の姿とともに置かれてきました。

ところがこの句では、咳は季語としての顔をすっかり脱いでいます。

初秋という上五があまりに明瞭に季節を告げてしまうために、咳はただの音、ただの身体の出来事に還るのです。

季語を季語のまま使わず、素の物質に戻して用いる。これは相当に高度な技であって、季題の約束をよく知り尽くした人にしかできません。

ここで作者について、少しばかり触れておきたく思います。

鷲谷七菜子は1923年、大阪に生まれました。
父は楳茂都流の舞踊家、母は宝塚の舞台に立った人で、芸の呼吸に囲まれた家に生を享けています。

ただし本人は生後まもなく祖父母のもとへ引き取られ、その手で育てられました。

幼くして親元を離れた人が、必ず寂しさを詠むとは限りません。

むしろこの句を読んでいると、独りでいる時間というものの質を、この人は早くから知っていたのだろうと感じられます。

誰も見ていない場所で立てた自分の音に耳を澄ます習慣。
それは孤独というより、ひとつの資質と申すべきものでしょう。

また、舞踊の家の空気も無縁ではないはずです。
舞は呼吸の芸術です。
息を吸い、留め、放つ、その間合いがすべてを決める。

咳とは、その呼吸のほころびにほかなりません。
呼吸の乱れをこれほど的確に一句へ据えられたのは、身体の内側の律動に敏感な人であったからだと思われます。

俳句は高等女学校のころから始め、1942年に「馬酔木」へ入って水原秋櫻子に、1946年からは「南風」で山口草堂に学びました。

のちに草堂の指名を受けて「南風」を主宰し、『花寂び』で現代俳句女流賞、『游影』で俳人協会賞、そして2005年には『晨鐘』で蛇笏賞を受けています。
2018年、95歳で世を去りました。長い長い作句の生涯です。

掲句を収める『銃身』は、1969年に刊行された句集です。

銃身という題名の硬さ、冷たさは、いま読むと少し意外に響くかもしれません。

けれども初期の七菜子の句には、たしかにしなやかでありながら容易に人を寄せつけない張りがありました。

透きとおっているのに、うっかり手を触れれば指を切りそうな澄み方。
この一句の静けさも、実は柔らかいだけの静けさではないのです。

水に落ちた咳が、そのあとどうなったかを、作者は一切書きませんでした。

波紋が広がったとも、音が吸われて消えたとも書かない。ここで筆を置いた潔さこそ、この句の品格の源であり、そして読者を長く立ち去らせない理由でもあります。

書かれなかった余白の中で、小さな輪は今も静かに広がり続けています。

先に挙げた一覧には、忘れがたい句がいくつもありました。

子規の「初秋の枕小さき旅寝かな」は旅の心細さを枕の小ささひとつに託して見事ですし、龍太の「海なんとなく親しくて初秋かな」は、季節が人の心をゆるめてゆく呼吸をそのまま写しています。

桂信子の「初秋やひとの蹠の真白くて」も、思いがけないところに秋を見つけた驚きが鮮やかです。

それでも私が鷲谷七菜子の一句を採るのは、この句だけが、季節を目で捉えず、耳で捉えているからです。

しかもその音は、風でも水音でも虫の声でもなく、自分自身の体から出た音でした。外の景色を借りずに、身ひとつで秋のはじめを言い当てている。

俳句の道の、もっとも細く、もっとも険しいところを通って得られた一句だと思います。

咳の背後に、体の弱りを読み取ることもできましょう。

しかしこの句は、そこに寄りかかってはいません。

むしろ咳ひとつは、この人がここに生きて息をしているというしるしです。

澄みきった秋の水は、人の気配などなくても、変わらずそこにあり続けます。
その無心な水に向かって、生きている者が思わず小さな音を落した。自然のかたわらに人がいるということの、ささやかで確かな証しが、17音の中に静かに沈んでいます。

夏の名残がまだ昼のうちには残っていて、けれども朝夕の水辺には、もう指先を冷やすほどの気配が漂う季節です。

そういう時刻に、ひとりで水を見ている人がいて、ふと咳をする。

読み終えたあとも、その音は耳から消えません。

初秋の水面に落ちたひとつの小さな音は、半世紀を越えていまなお、読む者の胸のうちで、細い輪をひろげ続けているように思われます。