消えない落書き
――藤子・F・不二雄「山寺グラフィティ」を読む



序 34年ぶりに開いた一冊

1992年の夏でした。

母と連れられて広島の祖母の家へ向かう道中、東京駅の雑踏のなかで、私は何気なくキオスクに立ち寄り、一冊の漫画コミックを買いました。

『藤子不二雄少年SF短編集第3巻』。
旅の車中で読むためだけの買い物です。

そのなかに「山寺グラフィティ」という話がありました。

以来34年、この作品は私の脳裏から消えませんでした。

と言っても、筋書きを細部まで覚えていたわけではありません。

けれども、春の雪、東京の雑踏、崖下の洞穴に並べられたミニチュアの家具、そして最後の夜のノックの音――そうしたいくつかの映像が記憶の底に沈んだまま、時折ふいに浮かび上がってくるのです。

このたび思い立って中古の一冊を取り寄せ、34年ぶりに頁を開きました。

読み終えたとき、私は少し呆然としていました。

あのころ、少年の私が受け取っていたものは、この作品の半分にも満たなかったと分かったからです。

初出は1979年、『少年サンデー』の増刊号でした。
藤子・F・不二雄が少年誌と青年誌の双方で短編を旺盛に発表していた、その充実期の一作です。

物語として怪談の衣を着ていますが、中身は実質的には怪談ではありません。

以下は、その再読の記録です。

なお、結末にまで触れますことを、あらかじめお断りしておきます。


Ⅰ 失われた未来としてのかおる

主人公は加藤広康と言います。

イラストレーターとして身を立てるべく上京した眼鏡の青年です。

彼には木地かおるという幼馴染がいました。

かおるもまた広康とともに東京へ出ることを望んでいましたが、家族の理解を得られず断腸の思いで断念します。

そして高校生であったある年、春の雪の降りしきる夜に、短い一生を閉じました。

物語は、その死んだはずのかおるを、広康が東京の街の雑踏で見かける場面から動き出します。

まず、この場所です。

彼女は広康との思い出の場所である山寺(立石寺)にも、故郷の実家にも現れません。

彼女は、人波の行き交う街なかに立っていたのです。

通常の怪談の作法であれば、死者は薄暗い場所、人気のない場所、時間の澱んだ場所に現れるものでしょう。

ところが藤子・F・不二雄は、最も明るく、最も雑然とし、最も「現在」に満ちた場所を選びました。

東京は、広康にとって夢を追って出てきた場所であり、彼が現に生きている「今」の象徴です。

しかし同時に、かおるが来られなかった場所でもあります。

二人は高校時代、同じ未来を思い描きながら、家庭の事情というまことに散文的な理由によって引き裂かれました。

かおるは最後まで希望を捨てなかっと思いますが、残念ながら寿命が尽きて無念のうちに亡くなりました。

その未練を広康は少なからず背負いながら上京を果たします。

いわば広康にとって東京は成功の地であると同時に、かおるとの接点が失われた筈の場所でもあるのです。

その東京の往来に、かおるが立っている。

周囲の人々にとってはただの雑踏にすぎず、広康ひとりが、そこに在り得ぬ事実を目の当たりにしているのでした。

そして、二度目の目撃は、山村女学院という女子大の校門近くでした。

この大学は、生前のかおるが進みたいと願っていた学校です。

訝しんだ広康は友人の伝手を頼って在籍者名簿に木地かおるの名前があるかを調べてもらいますが、実際にそのような名前の学生はいませんでした。

にもかかわらず、彼女は再び校門に現れ、広康の問いに何ひとつ答えず、ただにこやかに微笑むのです。

一度目が「いるはずのない場所にいる」謎だとすれば、二度目は「いるはずだった場所にいる」謎です。

そして、この作品でもっとも不思議なのは、かおるが死んだ時の姿ではなく、女子大生の身なりで現れることです。

古今東西、幽霊は死んだ時の姿で現れます。

18で死んだ者は18のまま立ち尽くす。

時間が止まっているからこそ、幽霊は幽霊なのです。

ところが、かおるの時間は進んでいる。
広康が東京で年を重ねたのと寸分たがわぬだけ、彼女も年を重ねている。

肉体は春の雪の夜に絶えました。

けれども「生きていたならばこうなっていたはずのかおる」という可能性のほうは、成長を続けていた。

現れているのは死者ではなく、実現しなかった未来そのものなのです。

彼女が姿を見せるのは、いつも「失われた未来」の座標でした。


Ⅱ 見える者と見えない者

やがて、かおるは広康のアパートを頻繁に訪れるようになります。

そうした日々のうちに、広康は「かおるは本当は生きているのではないか」という錯覚に傾いていきます。

そこへ安子が訪ねてきます。

美術学校時代の同級生で、ひそかに広康に心寄せる女性です。

酒の勢いを借りて彼の真意を探ろうとする、その振る舞いには生身の体温がある。

かおるが一言も発しないのに対して、安子はよく喋り、よく酔い、よく踏み込んでくる。

そして――部屋にかおるがいるのに、安子にはまるで見えていない。
だから修羅場にもならない。

この場面の不思議さは、超自然の恐ろしさではありません。

自分の見ている世界が、他者の世界と食い違っていることに気づいてしまうという戸惑いに似た不思議さです。

と同時に、かおるが生きていたという甘い錯覚が、他者の目という冷たい鏡によって、一瞬で砕かれてしまうのです。

かおるが「過去と、失われた未来」であるとすれば、安子は「現在と、これから来る未来」です。

広康はその二つの時間のあいだに立っている。
恋の三角形ではなく、時間の三角形なのでしょう。

ここで多くの物語なら、「主人公の幻覚だった」という結末へ向かうはずです。

しかし藤子・F・不二雄はそちらへ行きません。

心打たれた広康が山寺へ向かい、そこで見出すのは、これまで彼の頭の中で思い浮かぶことのなかった、美しい真実でした。


Ⅲ 父が作った「未来の模型」

高校時代、かおるとともに広康が遭難した山寺の裏手にある屹立した断崖。

その崖下の洞穴に足を踏み入れると、新生活のためのミニチュアの家具と、山村女学院の学校案内が置かれていました。

かおるの父の仕業だと察した広康は、彼のもとを訪ねます。

果たしてその通りでした。

父は、死してなお娘の成長を願い、娘が生きていれば手にしたはずの品々を、ひとつずつ洞穴に納めていたのです。

かおるによく似た温海こけしとともに。
親としてしてやれる、それが精一杯の愛情なのだ、と。

家具の「ミニチュア」であることが、なんと痛切でしょうか。

本物の家具ではない。
本物の下宿でもない。
本物の人生でもない。

父が置いたのは、娘の未来の模型です。

生きていれば、大学へ入り花の女子大生の日々を謳歌したことでしょう。


一人暮らしを始めて、こんな部屋に、こんな家具を置いただろう。

――親であれば誰しも思い描く、平凡きわまりない未来の像がそこに存在したのです。

子が生きてさえいれば、想像するまでもなく自然に現実になっていくもの。

その平凡が、父には与えられなかった。

だからこそ、父はそれを一つずつ手で作り、人目につかぬ洞穴に納めにきた。
誰に見せるためでもなく、誰に理解されるためでもなく。

そしてこけし。
人ではありません。
命もありません。
手も足もない。

それでいて、はっきりと人の形をしている。
似ているけれども、その人ではない。そこにあるけれども、生きてはいない。
かおるの存在そのものが、まさにその通りです。

宇宙船も、タイムマシンも、巨大な機械も出てきません。

出てくるのは、掌に載る木の人形です。

そこに娘の人生と、父の愛情と、失われた未来とが託される。

気づけば、広康とかおるの父とは、奇しくも同じように、かおるの影を追い続けてきたのではないでしょうか。

広康もまた「生きていたら、かおるはどうなっていただろう」と考え続けてきた。

かおるの父もまた同じことを考え続けてきた。

謎を追ううちに広康がたどり着いたのは、同じ喪失を抱えたもう一人の人間だったのです。

Ⅳ 死者を送り出す――ムカサリ絵馬

舞台の山寺というのは、山形市の宝珠山立石寺であります。

奇岩の連なる山肌に堂塔が点在する古刹ですが、この地には古くから、死者の霊はこの山に集まるという信仰がありました。

遺骨や遺髪を納めに登る人が絶えなかったと伝えられます。

生者の世界と死者の世界とが接している場所――作品がこの山を選んだのは、風光のためではありません。

その山形県には、「ムカサリ絵馬」と呼ばれる習俗が伝わっています。

ムカサリとは「迎えられ」に由来する婚礼の方言。

未婚のまま亡くなった子のために、遺族が婚礼の様子を描いた絵馬を寺に納め、あの世での幸福を祈る。

あの世でも一人前にしてやりたいという親心が、その根にあるといわれます。

そして、この習俗にはひとつ、忘れがたい掟があります。

絵馬に描かれる伴侶は、必ず架空の人物でなければならない。

実在の人物を描いてはならないのです。

描けば、故人がその相手を真の伴侶と思い込み、あの世へ連れて行ってしまうから、と。

物語の終盤、父は最後の決意を広康に語ります。

かおるを独り立ちさせる――すなわち、嫁がせるというのです。

山寺の奥の院では、死者のために結婚式を挙げてくれるという。

父は広康にそっくりの温海こけしを彫らせ、かおる似のこけしと二体そろえて奉納することにした、と。

冥婚と聞けば、多くの人はまず不気味さを思うでしょう。

実際この題材は、しばしば怪談やオカルトの文脈で語られてきました。

また一方で、遺族の悲痛のあまりの深さゆえに、外部の者が軽々に触れることのできない領域でもあります。

藤子・F・不二雄は、その両方の陥穽を避けました。

恐怖からも入らず、憐憫からも入らない。

ただ、「この娘が生きていたらどんな人生を歩んだだろう」という、一人の父親の想像から入っていく。

家具を置く。
学校案内を置く。
こけしを置く。
そして最後に、娘を嫁がせて独り立ちさせる。

並べてみれば、そこにあるのは奇習ではなく、どこにでもある親心の順序そのものです。

そのうえで、なお踏み外されない一線があります。

奉納されるのは広康に「そっくり」なこけしであって、広康その人ではない。

娘の願いに最も近い面影を与えながら、父は生身の青年を娘の死に縛りつけることをしませんでした。

もし相手が広康そのものであったなら、この物語は美しい心中譚に堕していたでしょう。

風習の掟が、そのまま倫理として働いているのです。


Ⅴ ハッピーエンドの倫理

帰京してのちのある夜更け、アパートの戸を叩く音がします。

開けると、何とかおるが立っていました。
そしてその傍らには、広康にそっくりの夫。

二人は相変わらず何も語りませんが、見るからに幸せそうで、これから新婚旅行に発つところらしい。

広康は心から二人を祝福し、二人も礼をするようにして旅立っていきました。

死者が現れる物語は、悲劇に落ちるのが常道でしょう。

ところが藤子・F・不二雄は、これを堂々たるハッピーエンドにしてしまった。

しかも、安易な蘇生をひとつも用いずに、です。

かおるは生き返っていません。

大学に在籍してもいない。

死という現実は、最後まで一片たりとも否定されていない。

にもかかわらず、彼女の人生は幸福なものとして完結します。

学び、独り立ちし、嫁ぎ、旅立つ。

死んだ時点で止まっていたはずの時間が、物語の内部でゆっくりと前へ動き出す。

死者の人生を、悲惨なままで終わらせなくてもよい。

かおるの生は短く、上京という願いは生きているうちには叶いませんでした。

それは動かしがたい。

けれども、その生を「かわいそうな人生」として記憶するか、「短かったけれど、これほど愛された人生」として記憶するかは、残された者に委ねられています。

新婚旅行という細部が、また心憎いところです。

式で終わらせず、その先の時間まで用意している。

式は一日の出来事ですが、旅は続いていく時間です。

父の願いは、そこまで届いたのでしょう。

かおるは最後まで一言も語りません。

「私は死んでいるの」とも、「ありがとう」とも、「さようなら」とも言わない。

ただ幸せそうに微笑んでいる。

この感動を台詞で説明しないのが、この作者の節度だと感じるのです。

思えば、死者というものは私たちに何も語らない。

語らないからこそ、残された者はその沈黙のなかに、無数の言葉を読み取ろうとするのでしょう。

そして広康は筆を執り、かおるの父へ手紙を書きます。

かおるが素敵な旦那さんと、幸せそうに挨拶に来てくれました、と。

かおるの父が生涯かけて願ったことを、広康が現実の出来事として肯定するのです。

かおるの父の愛情が広康へ渡り、広康の言葉が父へ返る。この往復によって、物語は閉じます。


Ⅵ 「グラフィティ」とは何だったのか

ここで題名に戻ります。

「山寺」という土着の言葉と、「グラフィティ」という舶来の言葉。

この不釣り合いな二語の連結が、すでに作品の構造を告げていました。

1973年の『アメリカン・グラフィティ』以来、この外来語は単なる「落書き」の意を越えて、過ぎ去った青春の断片という含みを帯びています。

1979年にこの語を選んだとき、そこには確実にその響きがあったはずです。

グラフィティとは、壁の落書きを意味します。

美術館に収められる作品ではない。

いつか塗り潰され、雨に洗われ、消えていく。

それでも人は、そこに何かを描く。

思えば、かおる父がしていたことも、突き詰めればそれに近いように感じるのです。

大学はない、けれども学校案内がある。

新生活はない、けれども家具がある。

娘はいない、けれどもこけしがある。

壁に絵を描くように、彼は最愛の娘のために娘の死によって生じた人生の空白に人生の続きを必死に描いていたのです。

かおるの生は短く、広康との未来は実現しませんでした。

それでも、二人が同じ町で同じ時間を過ごしたことは、消しようがない。

人の一生とは、そういうものではないでしょうか。

永遠の記念碑ではなく、いつかは消えるグラフィティに近いと。


Ⅶ 34年後の読者

ここで、私自身のことに戻ることをお許しください。

1992年の夏、東京駅のキオスクでこの本を買った少年は、34年後の自分がどんな人間になっているかを知りませんでした。

知らないまま、母と並んで列車に乗り、広島へ向かった。

あの夏はまだ、すべてが「これから」の側にありました。

そして今日、私は同じ作品を読んでいます。

作品は一字も変わっていません。

変わったのは読者すなわち私のほうです。

あのころ私が読んだのは「死んだ女の子が大学生になって現れる不思議な話」でした。

しかし、今日読んだのは、「人は、失われた人と、選ばなかった人生とを抱えながら、それでも自分の時間を生きていくのである」という話です。

同じ頁から、まるで違う作品が立ち上がってくる。

歳月を経て読み返すとき、私たちは作品のなかの死者に会うだけではありません。

かつてその作品を読んだ、自分自身にも会っていると。

広康が「生きていればこうなっていたはずのかおる」を見たように、私は「かつてこの本を読んだ少年」を見ている。

あの夏の自分は、もう戻ってきません。

けれども、消えてしまったわけでもない。

一冊の漫画を開いた瞬間、ほんの数秒だけ、あの夏がこちらへ戻ってくる。

これはタイムトラベルではありません。

もっと小さく、もっと確かなものです。

記憶という、人間だけが持つささやかな装置のはたらきです。

結び 死者にも、その先の人生を

この短編は、死の克服を描いた物語ではありません。

死を克服できない人間のための物語です。

死者は帰ってきません。

過去も帰ってきません。

少年時代も、1992年の夏も、あの日の列車も帰ってはこない。

作品はそのことを、一度も甘やかしません。

けれども、それらが「なかったこと」になるわけでもない。

父は娘を蘇らせられませんでした。

上京させてやることも、望んだ学校へ通わせてやることも、大人になった姿を見ることもできなかった。

それでも彼にできたことが、ひとつだけありました。

「生きていたなら、きっとこうなっていた」と想像し続けることです。

そして最後には、その娘を自分の手もとから送り出した。

もうお前は私の娘だけれど、私だけの娘ではない。

自分の人生を歩みなさい――そんなふうに娘を見送ることだったのではないでしょうか。

生きている子に対して親が言うのと、寸分たがわぬ言葉です。

そこまで行ったとき、父は悲しい父であることをやめ、娘を送り出すことのできた父になりました。

広康もまた、かおるを失った青年から、かおるの幸福を祝福できる大人になりました。

そしてかおるは、高校生のまま死んだ少女から、学び、嫁ぎ、旅立っていく一人の女性になりました。

三人がそれぞれの仕方で、時間を前へ進めたのです。

死んでしまった人にも、その先の幸福を想像してあげてよいのだと。

たったそれだけの発想が、これほど深く人を打つとは。

これは、漫画という或る種のファンタジーの新たな役割を感じた瞬間でもありました。

1979年に少年誌の増刊号に載った、わずか数十頁の短編のチカラとは、読者である青少年に新しい生きる可能性を与えたように感じるのです。

藤子先生が世を去られてから、すでに30年に近い歳月が流れました。

それでもこの作品は、34年前の少年の脳裏に残り続け、その少年に中古の一冊を取り寄せさせ、もう一度読ませてしまう。

壁に描かれたグラフィティは、いつか消えます。

けれども、誰かの心に残るかぎり、完全には消えないということを、学んだ気がするのです。