夜の帳が深く下り、街の輪郭がいよいよ曖昧に溶け出していく頃、男たちはふらりと灯りの点るガラス張りの箱へと引き寄せられる。
全10回で綴る『ナイトホークス』の夜の思索。
第3夜となる今宵は、この無機質なダイナーのカウンターで供される食事について語ろうと思う。
深夜のダイナー。
そこは本来、大衆の胃袋を満たすための安食堂であり、油の爆ぜる音や肉の焼ける匂い、甘ったるいチェリーパイの香りが充満しているはずの場所だ。
しかし、エドワード・ホッパーが描いたこの絵からは、不思議なほど「食欲」の生々しい匂いが漂ってこない。
カンヴァスの中に美食の歓びは存在せず、男たちの前にはただ虚無を持て余すための小道具として、カップやグラスがポツンと置かれているだけである。
夜の底を這う住人たちが、真夜中に本当に求めているものは何だろうか。それは腹を満たす温かいミートローフなどではなく、ヒリヒリとするような孤独や、やり場のない苛立ちを強引に麻痺させてくれる強い酒のはずだ。
文豪アーネスト・ヘミングウェイが1927年に発表した短編『殺人者』に登場する、二人の殺し屋がそうであったように。
禁酒法時代の田舎町のダイナーに、山高帽に黒いオーバーコートという双子のような出で立ちで現れた彼らは、席に着くやいなや店主のジョージに「何か飲むものはあるか」と凄んだ。
ジョージが「シルバー・ビールや、ビーヴォ、ジンジャーエール(いずれもノンアルコール飲料)なら」と答えると、「ぐいっとやれるようなものはないのか!」と叫び、彼らはあからさまに不機嫌になる。
さらに、彼らはディナーのメニューであるローストポークを要求し、「ディナーが出せるのは6時からでまだ用意できない」と断られると、「大した町だぜ、ここは」と吐き捨てるように叫び、仕方なくハムエッグとベーコンエッグをそれぞれ口にする羽目になるというくだりであった。
ジョージの「サンドイッチでも」という何気ない提案を跳ね除け、手袋も外さずに卵と肉を胃に流し込む殺し屋たちの姿は、ダイナーの無機質な空気感と相まって、ハードボイルドの冷徹さが見事に表現された名シーンといえるだろう。
酒で神経を鈍らせることもできず、時間通りにしか動かない世間の無機質な歯車に苛立つ彼らの殺気は、ダイナーという逃げ場のない閉鎖空間でひたすらに純度を高めていった。
本来なら強いバーボンを煽りたい男たちが、不本意な食事で時間を潰さざるを得ない時のあの重苦しい空気感は、まさにダイナーという誰人も支配できない空間がはらむ暴力的なまでの静けさの正体である。
そしてもう一人、私が愛してやまない探偵もまた、夜の街で酒を求め、行き場を失った孤独な男である。
レイモンド・チャンドラーの『高い窓』で、主人公の私立探偵フィリップ・マーロウが陥ったあの痛切な放心状態を思い出す。
厄介な事件の真相に触れ、深い徒労感と人間への絶望に打ちのめされたマーロウは、ふらりと入ったドラッグストアの軽食カウンターに座り、あろうことか「スコッチのストレートをダブルで」と注文してしまう。
当時のドラッグストアには「ソーダ・ファウンテン」と呼ばれる軽食専用のコーナーが併設されていて、ダイナーとよく似た機能を持っていたのだ。
店員に「すみませんが、ここはバーじゃないんです。リカー・カウンターでボトルを買うことはできますが」と呆れ顔で窘められ、ようやく我に返った彼が自嘲気味に放った台詞は、ハードボイルド文学屈指の哀しい名言だ。
「コーヒーをもらおう。ろくに味のしないやつを。それから紙のように薄いハムと、黴臭くなりかけたパンで作ったサンドイッチを。いや、食べるのもまだ無理かもな。それでは」
そう言い残して、何も口にせずにスツールを降りるマーロウ。
傷ついた彼がその時求めたのは、温かくて美味しい食事などではない。
すり減った心をどうにかその場に繋ぎ止めるための、惨めなほど味気ない「燃料」でしかなかったのだ。
再び『ナイトホークス』のカンヴァスに目を向けてみよう。
右奥のカウンターには、冷たく銀色に光る巨大なコーヒーの保温器(アーン)が二つ鎮座している。
クロームメッキで覆われた無骨な円柱形のボディには、黒い液体の残量を示す細いガラス管が張り付き、静かに周囲の光を反射している。
これらは「ツイン・アーン」と呼ばれる二連式のシステムで、一方のタンクで新鮮なコーヒーを「抽出」している間、もう一方のタンクで「保温」し続けることで、24時間絶え間なくコーヒーを供給し続ける。
アメリカのダイナー特有の「底なしカップ(お代わり自由)」を支え、眠らない都市の鼓動を絶やさないための、まさに不眠不休の心臓部なのだ。
深夜のダイナーにおいて、それは男たちの命綱であった。
アルコールという甘い逃避を許されない彼らは、代わりにあのタンクから注がれる、煮詰まってエグみの増したブラックコーヒーを胃に流し込み、カフェインで無駄に神経を研ぎ澄ませながら、ただ黙って夜をやり過ごすのだ。
誰も言葉を発しようとしない深夜のダイナーに、彼らの背後でシュンシュンと音を立てる双子の銀色のタンクは、夜のしじまを一層引き立てるうってつけの舞台装置だったのである。
さて、ホッパーの妻、ジョセフィンの残した詳細な制作ノートによれば、カウンターの向こう側で赤いドレスを着た女は「サンドイッチを食べている」という。
1940年代のダイナーの定番といえば、こんがり焼いたベーコンにレタスとトマトを挟んだBLTや、ジューシーなターキー、あるいは分厚いハムとチーズを重ねたボリュームのあるものだったはずだ。
しかし、彼女の指先にあるそれは、決して食欲をそそるような豪勢なクラブハウスサンドには見えない。
マーロウが吐き捨てるように注文した「紙のように薄いハムと、黴臭くなりかけたパンで作った」あの味気ない代物のように思えてならないのだ。
彼女もまた、決して空腹を満たしているのではなく、ただどうしようもない深夜の時間を、少しずつ噛み潰しているだけなのだろう。
深夜のダイナーとは、かくも残酷で美しい場所である。
腹を満たすためではなく、己の心の空洞の大きさを測るために立ち寄る場所。
ホッパーは現実のダイナーから、ケチャップの匂いや肉の焼ける煙、そして人間の生々しい食欲を徹底的に削ぎ落とした。
残されたのは、新時代の象徴である蛍光灯の容赦ない青白い光と、ろくに味のしないコーヒー、そして決して埋まることのない完璧な孤独だけだ。
グラスの底に残った黒い染みを見つめながら、男たちは何を思っているのだろうか。
酒に酔うことすら許されないこの透明な真空の箱の中で、彼らはひたすらに澄み切った虚無を味わい尽くしている。
どんなに苦いコーヒーを飲み下しても、喉の奥の渇きが癒えることはない。
さて、そろそろ私のマグカップのコーヒーもすっかり冷めてしまった。
今宵の語りはこの辺にとどめておくことにしよう。
明日の第4夜には男のファッションについて語ることにしようか。
それにしても、まだ夜は始まったばかり。
終わりのない外の闇を時折眺めつつ、私は静かに懐かしい本を楽しみながら、思索の旅を続けることにしよう。
それにしても、夜はまだ深くて果てしない。


