視線だけで人を殺すことは可能なのか。


戦後を代表する推理小説家として知られている石沢英太郎が書いた「視線」は、この問題に真っ向から挑んだ意欲作である。




この物語の主人公・梶原刑事は、某県の警察署に勤めるベテラン刑事。


彼がコンビを組んでいる柴田刑事とは、相棒としてウマが合うだけでなく、姪の婚約者でもあり、まもなく親戚関係になろうとしている間柄であった。


梶原刑事は、管内で発生した銀行強盗事件を解決に導いたことで、県警本部長から賞状をもらう栄誉に預かったばかりであるが、この事件のある点について気かがりになっていた。


彼がその疑念を再燃させたのは、相棒の柴田と街中を歩いていた時のことである。


とある神社の前を通りかかったところ、神前結婚式を行なっている最中で、花嫁と花婿が周囲に祝福されている様子を微笑ましく眺めていた時である。


梶原刑事が花婿の顔を何気なく眺めていたところ、その顔に覚えがあったので、一気にその事件の光景が脳裏に蘇ってきたのである。


花婿の名前は有川透と言った。

梶原刑事が解決に導いた銀行強盗事件の発生現場である、T相互銀行に勤める銀行員であった。



事件は白昼の銀行内で発生した。


犯人は、客をよそおって銀行の裏口から侵入し、行内に入るとすぐ天狗の面を被り、奇妙な風態でカウンターに現れたのである。


行員が気づいたときは、もう犯人はカウンターの前に立ち、眼を行員たちにそそいで、拳銃を構えていた。行員たちは、天狗の面の中にギラギラと光っている犯人の殺気だった眼に射すくめられた。


犯人はカウンターにいた有川透行員に対して、銃を突き付けて現金を用意した袋に入れるように要求。


ところが、その直後、犯人は横とびに、一メートル走ると、有川の隣に座っていた同僚行員の高山恵一を銃撃。


高山は犯人に眉間を撃たれて絶命した。


高山は隙を見てデスクの下にある非常ベルの釦を押そうとしたところを、犯人に見つかってしまい狙撃されたのである。


犯人は、慄える手で有川が入れた札束の袋を奪い、犯人が裏口から逃走したのは、それから一分も経たない間だった。侵入してから逃走まで五分とかかっていない。


警察は強盗殺人事件として捜査本部を立ち上げ、緊急配備で犯人の足跡を追ったところ、梶原刑事は事件当時、銀行内にいた客の一人から有力な証言を得ることに成功する。


犯人は天狗のお面を被っていたが、その客は犯人の背後に立っていたため、犯人の右耳の付け根に十円銅貨ほどのアザがある事を目撃してしたのである。


この犯人の特徴を手掛かりにして、梶原刑事は、元暴力団構成員の朝浦康介に目星をつけ逮捕に漕ぎ着けたのである。


梶原刑事は、取り調べの中で朝浦を厳しく追求したところ、ある事実に行きあたる。

それは、朝浦が高山行員を銃撃した時の状況についてである。


朝浦が有川に現金を要求したところ、有川がとつぜん視線を高山の手元を移したことで、彼が非常ベルを押そうとしている事に気づき、咄嗟に銃撃したという供述であった。


つまり、有川が高山の手元に視線を走らさなかったら、高山恵一は殺されずにすんだ、ということである。


この視線が引き金となって、一人の人間の命が奪われたとするならば、有川にも責任が生じることになるが、それが意図したものか否か証明することは至難であると言わざるを得ない。


更に言えば、それが仮に意図的にものであったとしても、それをどう立証すれば良いのか、まさに雲を掴むような話である。


その後、梶原刑事は丹念な聞き取り捜査によって、事件の裏に隠されたある重大な真実を突き止めることになるのであるが、果たしてどのような展開が待っているのだろうか。


本作品は短編小説ながら、視線を用いた故殺という課題を美事に無駄なく描き切っており、短編ならではのキレと爽快感を愉しむことができる名作である。


石沢は、1977年に本作品で第30回日本推理作家協会賞短編賞を受賞したわけであるが、まさにその栄誉に値する素晴らしい仕上がりとなっていますので、この続きはご自身の目で確認していただきたいと思います。


評点

★★★☆☆