四月のある日曜日。
私は茨城県笠間市にある笠間日動美術館へ行ってきました。

笠間稲荷前の賑やかな門前商店街を通り抜けて、その北側にある小高い丘に抱かれるように美術館が聳え立っていました。

この美術館は、東京銀座にある日動画廊の創業者・長谷川仁夫妻が、昭和47年に夫妻の金婚式を祝って建設したものである。




この日は「古代文明への旅」という企画展をやっていた。
窓口で入場券を買い求めると、初めて来館した人のために建物の概要について話してくれた。

この美術館は敷地内に企画展示館・パレット館・フランス館と三つの建物があり、およそ3,000点もの美術品が収蔵されているとのことであった。

今回の企画展はもちろんその3,000点には含まれていないわけで、これらを全部見るには相当時間がかかると腹を決めて取り敢えず企画展を観ることにした。

今回の企画展は、日本と南米エクアドルの外交関係樹立100周年を記念して開催されたもので、エクアドルをはじめ中南米の古代文明に関する発掘品が所狭しと展示されていた。

そこで見たのは大変ユニークな品々であり、それらは何れも独創的な造形をしていた。

一概に古代文明といっても時代や地域によってその特徴は大きく異なる。
とくに土偶に関して言えば、日本で出土された遮光器土偶もそのユニークな造形に驚かされるのだが、南米の土偶も独創性という点でそれに全く負けていない。


特に目を引いたのがこの土偶である。
現代でも通用するようなマスコット的な愛着を感じるのは私だけではないはず。

実際この企画展の展示物を解説してくれたのはこの土偶をモティーフにしたゆるキャラであった。

南米の人々の情熱的で開けっぴろげな気質は、おそらく彼らの先祖から代々受け継がれたものなのだろう。

このユニークな造形を眺めるだけで、これらを作った古代人たちの常識に囚われない無限の発想力を感じずにはいられなかった。



こちらはマヤ文明の玉座で、おそらく歴代国王もこの椅子に座っていたに違いない。
しかし、なにぶん石で出来ているので座り心地という点でどのように感じていたのだろうか?




さて、企画展を見終えると、渡り廊下を通り抜けてフランス館へと向かうことにした。

渡り廊下には途中に喫茶店や喫煙所などが用意されていて、なかなか近未来的な構造で素晴らしい雰囲気であった。

しかし圧巻だったのはその先にある竹林の光景である。
ちょうど雨が降っていて何とも幽玄で奥ゆかしい風景であった。



竹林を通り抜けると今度は綺麗なお花畑が続く。
そこに配された様々な彫刻は雨に濡れて何やら悲しげでもあり、一方で躍動感を備えているようにも感じられた。





パレット館の脇にはこのような日本風の池があり、こちらも趣深く観ているだけで心が洗われるようであった。

まさしく美術館そのものが芸術を奏でているように感じられる。


さて、写真右手のフランス館には、フランス印象派をはじめとする名だたる画家の名画の数々が展示されている。

ゴッホ、ルノワール、セザンヌ、ドガ、モネ、ピカソ、シャガール、マティス、ユトリロ、ローランサンなど東京の美術館でしか見る事が出来ないような巨匠たちの作品をここで全て観ることができるのである。

かたや左手のパレット館一階には、その名の通り有名画家たちのパレットが壁一面に展示してあった。

サルバドール・ダリが使用していたとされるパレットをはじめ、梅原龍三郎、東郷青児、片岡球子、鴨居玲など錚々たる画家のパレット画が展示されていた。

二階に上がると今度はフランスのアンティーク人形などが展示されていた。
ジュモーやゴーチェといった貴重なアンティークドールの数々を鑑賞する事ができた。

さらに三階に上ると、風景画の巨匠・金山平三と佐竹 徳の作品が記念展示されている。

全国各地を歩きながら日本固有の美しい四季の風土を描き続けた両氏の作品を鑑賞することができる。

とくに印象深かったのが金山画伯に関する金子阿岐夫氏の回想である。
山形県大石田町に住みながら画家活動を続けていた金山画伯について、大石田出身の金子氏が幼い頃の記憶を辿りながら或るエピソードを語ったものである。

その当時、大石田に斎藤茂吉氏が病気療養で転居してきて、金子氏の父やその友人らが酒宴を開いて斎藤氏をもてなしたそうで、その中には金山画伯も含まれていた。

日本を代表する歌人である斎藤茂吉翁が転居してきた事で、大石田の住民の話題の中に斎藤翁の最近の様子について常に語られるようになったという。

やがて斎藤翁の容態が回復した時に見舞客が「お元気になって何よりです。芭蕉に負けない句を作ってくださいね」といったのに対して斎藤翁も「はい、そうですね」と応じたことがあったらしい。

その様子を見聞きした近所の人から別のご近所さんへと話が伝わっていくうちに、やがて話に尾鰭が付いて斎藤翁自身が「わしは芭蕉に負けない句を作る」と宣言したような話になったのだそうだ。

子供ながらその噂を聞いた金子少年。
ある時、金山画伯と散歩しながら世間話をしていると、斎藤翁の最近の様子について画伯が訊いてきたという。

そこで金子少年が例の「わしは芭蕉に負けない句を作る」と斎藤翁が宣言したという噂話を画伯にしてみたところ、金山画伯は言下に「おじいさん(斎藤翁)はそんな事考えてないよ」とキツイ口調できっぱり言われたという。

金子氏が後年この時のエピソードについて考え直してみたところ、確かに斎藤翁はそんな事を言うはずはなかったし、事実言ってなかったのだという。

そもそも求道者というのは他者と比較したり勝ち負けを求めていないのである。
誰彼に勝つとか負けるとか言うのは芸術家にとっては心外な事であり、同じ芸術家として金山画伯自身も斎藤翁の心情をわかっていたのである。

その一方で、これから大人になっていく金子少年に対して、道を求めるならば誰かと比較するのではなく、日々研鑽しながら、ひたむきに己の道を進むべきとの戒めの言葉を送ったのかもしれない。


芸術家というのは孤独であるけれど、その中で己と向き合い、過去の己を乗り越えながら新しい境地を切り開く求道者であり開拓者であることを改めて実感するエピソードであると思った。



長年北関東に住みながら笠間日動美術館に来たことがなかったというのは本当に惜しい事だけれど、今回は色々な展示物を眺めながら多くの事を学ぶ事が出来たような気がした。

外へ出てみるとすっかり雨が止んでいて、雲間から虹が出ていた。きっと良いことがあるかもしれないと、素敵な心持ちになったのである。