最近巷で何かと話題になっているAI(人工知能)。

最近では人知で予測不可能な問題について、AIの技術を用いて解析をすると行ったことを大きくの企業や研究機関で行なっている。

以前にNHKスペシャルでAIが高度な情報処理技術によって導き出した結論の意外性ついて特集していた事があった。

たとえば「仕事で忙しい人は道の駅へ行け」とか「仕事の効率を上げたいなら 11時間54分以上 働け」など妙ちきりんな提言も多くあったが、これらの結論がなぜ導き出され、なおかつ有意義な提言なのか検証するのは結局のところ人間の仕事なのである。

また、せんだって放送していたテレ朝系の「朝まで生テレビ」において、ホリエモンこと堀江貴文氏や筑波大学准教授の落合陽一氏などが頻りに特定の思想を植え付ける新聞社などのマスコミは不要で、今後国会中継の内容をAIが一律に解析してダイジェスト版にまとめた内容を国民一般に流せば用足りるといった内容の主張を繰り返していた。

たしかにマスコミの弊害というものは確かに存在するし、国民がこれらのフィルターを経ることなく、無添加の情報提供を得られる事ができれば、情報の受けてたる国民がより正しい理解をして正しい判断が出来るというのである。

しかし、そのAIによる情報提供というものを誰が提供するのか?
たとえば国家が情報提供するにしても国策という着色料が添加される恐れというものを排除する事ができるだろうか。

ナチスドイツ時代の宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルスの暗躍といった歴史的教訓を語るまでもなく、今の安倍政権ですらそのようなプロパガンダを手法を用いた愚民化策をやりかねない部分はある。

だとすれば玉石混淆はやむを得ないが、様々な考え方を持つ民間の新聞社その他マスコミを経済の競争原理で戦わせておいて、多くの選択肢の中から国民一人一人が選んでいく今の状態がベストならずともベターなのかという気にもなる。

この問題について田原総一郎氏は、「新聞社によって様々な考え方があるという事が実は面白いんだよ」と言っていたが私もこちらの意見に近いような気がする。

たとえばYahoo!などのニュース記事についても、時事通信社とか読売新聞とか特定の新聞社や通信社から配信されたニュース記事をそのまま掲載されているものだから、その報道内容が正しいのかどうか公平に判断するには複数社の同様の記事を読んで比較する事が大切である。

朝日を読んだら読売を読むとか、東京新聞を読んだら産経新聞を読むとか、思想の左右が片一方に傾かないように中庸を意識しつつ読むべきである。

これについては、池上彰氏と佐藤優氏の共著の本にも同様の内容が書かれていたし、やはり第一線で活躍する知識人はこういう偏りのない複数紙読みを意識的に実践しているんだと改めて納得したものである。

さて、話をAIに戻してみると、最近では転職先のマッチングや婚活相手のマッチングなどにもAIの手法が用いられているのだとか。

以前にクローズアップ現代+で転職先のマッチングについてやっていたが、AIのマッチング機能で転職を決めた男性の話によれば、なかなかいい会社を選んでくれていたとの事。

やがて、こうしたマッチング機能はAIが主流となり、就職試験の書類選考や大学入試などもAIの判断が取り入れられ、やがて完全に委ねられるのかもしれない。

私はAIによって選ばれましたと胸を張れるのかどうかは別として、みんなAIに選ばれる時代になれば否が応でも受け入れなければならなくなる。

そしてAIの技術が発展すれば発展するほど人間の脳みそは逆に退化して、さっきの話じゃないけれど愚民化して、やがてロボットと支配されるような、かつて三流SF映画に描かれたような時代が本当にやって来るのかもしれない。


むかし、蚕蛾が極めて弱々しい虫であることを知って驚いた事がある。
数千年にわたり人間と共存してきた蚕蛾は、人間の為にシルクを吐いて産業の発展に貢献してきた。

しかし、その過程の中で蚕蛾の身体機能は退化の一途を辿り人間が世話をしなければ生きていけない。
蛾なのに飛ぶことも出来ないし、退化の影響で何かに掴まる事すら出来なくなってしまった。

餌の桑の葉は人間が甲斐甲斐しく与えなければならず、自分で餌を見つける能力を完全に失ってしまったのだ。

蚕蛾の退化の過程が人間の将来を映し出しているようにも見える。自分の知に溺れ、楽を積み重ねていけばやがて不幸な末路が其処にあるような気がする。

AIの技術を過信する事なく、なぜそのような結果が導き出されたのか、その結果をしっかり検証するためには人間自身が絶えずAIよりも賢くならなければならないのである。