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ミステリーの女王アガサ・クリスティといえば、名探偵ポワロやミス・マープルなど個性的な主人公によるミステリー小説で世界的に有名である。

 
日本の出版業界では100万部越えれば歴史的偉業などと称えられるけれど、アガサ・クリスティの作品の売り上げは累計で実に20億冊にまで達している。
 
これほどまでに売れに売れれば、さぞかし御本人は幸福な人生であったかといえば、なかなかそうも言い切れない部分もあったようである。
 
とくに1926年12月3日から14日にかけて起きた「アガサ・クリスティ失踪事件」は、事件発生時より新聞各紙によって大々的に取り上げられ、のべ1500名の捜査員を動員して大規模な捜索活動が行われるなど、英国中を騒然とさせた出来事であった。
 
この当時、アガサはロンドン近郊のサニングデールにある「スタイルズ荘」に夫のアーチボルドと娘ロザリンド、そして秘書や使用人たちと共に暮らしていた。
 
この「スタイルズ荘」は彼女の作品にもしばしば登場しており、まさに彼女のミステリー小説を象徴する場所でもあった。
 
アガサと夫で空軍大尉であったアーチボルドとの結婚生活は12年目を迎えていた。そして二人の間に誕生した一人娘のロザリンドは当時7歳であった。
また、彼女の創作活動は6年目を迎え、ちょうど脂が乗り始めた時期でもあり、実際にこの年に名作「アクロイド殺し」を発表し、売れ行きも大変に好調であった。
 
しかし、アガサと夫アーチボルドの中は完全に冷え込んでいたのである。
当時、ロンドンの金融街で働いていた夫アーチボルドと、創作活動に没頭していた妻アガサはすれ違いの日々を送っていた。
 
加えて、アーチボルドはゴルフ場で知り合ったとされるナンシー・ニールという女性と懇ろの仲となってしまい、事件発生当日の朝、まさに夫妻はその事で大喧嘩をしていたのである。
 
アーチボルドはその後、ナンシーとともに週末を送るために家を出てしまうと、アガサも秘書のシャーロットにヨークシャーへ行くと書き置きを残したまま行方不明になってしまったのである。
 
その日の夜、ダンスパーティーから戻って来た秘書のシャーロットは使用人たちのただならぬ様子に気づき、またアガサが彼女に残した書き置きを読んで事態の深刻さを知ったのである。
 
シャーロットはひとまず夜を徹して彼女の帰りを待っていたが、アガサはこの夜遂に帰って来なかったのである。
 
アガサは少なくとも愛車モーリス・カウリーに乗って出かけたようであった。この当時、自動車は一部の富裕層にしか買うことが出来ない代物であったし、またそういう家には必ず専属の運転手がいたものである。
 
しかし、アガサはみずから自動車を運転して出かけて行ったのである。アガサの自立心はこの頃から旺盛だった事がわかる。
 
 
翌12月4日朝になってアガサの車がサリー州ニューランズコーナーの沼地に近い場所で見つかったとの連絡が入った。
愛車モーリス・カウリーは道路脇から斜面を滑り落ちて不自然な格好で草むらに突っ込んで停車していた。
車のフロントライトは点けっ放しで、車の中にはアガサのものと思しき何着かの服と化粧用のバッグ、そして失効した彼女の運転免許証が残されていた。
 
つまり彼女は無免許運転だったわけであるが、その時にはこんな事を咎めている場合ではなかった。
 
地元のサリー州警察は、車の発見現場や周辺の沼地などを入念に捜索したが、彼女の遺体または他の遺留物は発見されなかった。
 
彼女は事件に巻き込まれたのか、それとも自殺したのか、いずれの可能性もあったが有力な手がかりは掴めず捜査は難航した。
 
その一方でマスコミ各社は格好の獲物を手に入れたと張り切って、連日のように大々的な報道合戦を繰り返していた。
 
とくにクリスティ夫妻の不和や夫アーチボルドの浮気などは報道されるたびに話に尾鰭が付いて、英国中の主婦たちの格好な噂話のネタにされてしまったのである。
 
気ぜわしい新聞社の中には懸賞金を付けてくるところもあり、一攫千金を夢見て多くの役に立たない無責任な情報が新聞社や警察に舞い込んで来たのであった。
 
しかし、最後の最後で決定的な情報をもたらしたのは意外すぎる人物からであった。
 
ヨークシャー州の保養地ハロゲートにあるオールドスワン・ホテルにアガサ・クリスティによく似た人物がいるという垂れ込み情報が舞い込んで来たのである。
 
情報の提供者はホテルで働くバンジョー奏者のボブ・タッピンという男で、彼は客席の中から抜け目なくアガサ・クリスティを見つけ出したのであった。
 
アガサはケープタウンからやって来たテレサ・ニール夫人という偽名を使ってこのホテルに滞在していたのである。夫の愛人であるニール姓を名乗るところがいかにも当てつけがましいではないか。
 
ともかく妻の身を案じていた夫アーチボルドはその一報を聞くや、すぐさまハロゲートへと飛んだ。
 
そして、自分の目でニール夫人に成りすました妻を発見し、11日ぶりの再会を果たし、妻がマスコミ連中の目に触れぬように注意を払いながら、なんとかサニングデールへと戻ったのである。
 
その後、夫アーチボルドからマスコミ各社に出された声明の内容は驚くべきものであった。
 
アガサ・クリスティの失踪の原因は一種の記憶喪失であったというのである。
 
 
アガサは夫のアーチボルドですら判別できないほどに取り乱しており、過度の心身もう弱状態の末に奇妙な行動を起こし、めぐりめぐってハロゲートに辿り着いたというのである。
 
しかし、アガサが記憶喪失であったという医学的な記録は何も残されていないし、彼女は失踪中にアーチボルドの弟宛に手紙を書いた事実なども残されている。
 
事件の真相を突き止めるべくマスコミ各社はアガサ発見後も様々な形で騒ぎ立てた。
 
一番有力だったのはアガサがアーチボルドを懲らしめるために自分の創作したミステリーを実演したという説である。
つまり、突然行方をくらましたり、車を沼地近くに置き去りにしたりしたのは、すべて彼女が作り上げた狂言だったというわけである。
 
さらに口の悪い連中に至ってはアガサが自分の作品の売れ行きを良くするためにでっち上げた狂言であるという説だ。つまり、売名行為でこんな事をやらかしたという訳である。
 
いずれにしても、アガサとアーチボルドはその後周囲の想像どおり離婚することになってしまう。
そして、離婚して気持ちが吹っ切れたのか彼女は東方へ長期旅行へ出かける。
 
彼女の長年の夢であったオリエント急行に乗って中東へと旅立ったのである。
この時の体験が「オリエント急行殺人」などの傑作を生み出すヒントになったわけだ。
 
そして、彼女にとってそれ以上に大きな収穫だったのが、イラクにある古代メソポタミア文明の遺跡であるウルの発掘現場でひとりの青年に出逢ったことである。
 
彼はマックス・マローワンといい、考古学者の卵でアガサよりも15歳も若かった。
遺跡発掘現場という奇妙な場所で邂逅し、その場で意気投合したふたりはその後も交際を重ね、ついに結婚する。
 
アーチボルドとの不幸な結婚生活で多くの教訓を得ていた年上女房アガサは二度と同じ轍を踏むことはなく、ふたりの仲は大体において良好であったようで、1976年にアガサが死ぬまで結婚生活は続いたのであった。
 
 

 
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彼女が変装している可能性があったので、このような画像加工したイメージ写真まで作られたようだ。