思えば推理小説家の中には様々な経歴を持つ人達がいる。中でも幼児期の教育がその後の人生を左右するという意味において興味深いエピソードが幾つかある。

 
たとえば、ミステリーの女王アガサ・クリスティの場合、母親の独特の教育方法に基づいて育てられた。
 
彼女は正規の教育を受ける機会が一般の子供と比べてかなり遅かった。7歳まで字を書く事を学ばなかった彼女は後年作家として大成するものの、スペルミスが矢鱈に多かったと言われている。
 
一方で学校に行かせてもらえなかったので、空想の中で友人を作って遊んでいたようである。結果的にこの様な経験が類稀な想像力を付ける事になり、ミステリーの女王としての素質へと繋がったのかもしれない。
 
 
それからもう一人、興味深い幼少期を送った女流作家がいる。
1940年代から50月年代にかけて活躍したクレイグ・ライスという作家である。
 
1908年、彼女はアメリカのシカゴで生まれた。彼女の母親であるメアリー・ランドルフ・クレイグは、世界旅行の真っ最中であったが、第一子を出産するために急きょ旅行を中断する。その後、彼女はシカゴの自宅に戻り子供を無事出産した。この子こそ、ジョージアナ・アン・ランドルフ・クレイグ、のちのクレイグ・ライスである。
 
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クレイグ・ライス(1908〜1957)
 
メアリーの夫、つまりジョージアナの父親の名前は、ハリー・クレイグと言い、ウィスコンシン州フォート・アトキンソンの出身で、仲間からはボスコと呼ばれていた。

ジョージアナを出産後、母親メアリーは産まれたばかりのジョージアナを親戚に預けて、海外にいる夫ボスコの元へと戻ってしまう。
 
両親がふたたび娘のジョージアナと再会したのは1911年のことで、ジョージアナはその時3歳になっていた。しかし、再会もそこそこに両親はふたたびヨーロッパに戻り、第一次世界大戦が始まると夫妻はインドへと移住することになる。
 
それ以来、彼女は二度と実の親と一緒に生活する事はなかったのである。

その後、ジョージアナは父親の故郷であるウィスコンシン州フォート・アトキンソンで叔父夫婦と一緒に暮らすことになった。
エルトン・ライス夫婦はフォート・アトキンソンの南大通り607番地にあるアパートメントに住んでおり、ジョージアナはそこで成長するのである。

叔父のエルトンは、幼い頃からジョージアナにエドガー・アラン・ポーの詩や小説を読んで聞かせたとされ、この事が彼女に作家という職業への関心を抱かせるきっかけに繋がったとされている。
 
長じて社会人になったジョージアナはシカゴで働くようになる。この頃の彼女はラジオ番組や広告関係の仕事をしていた。
彼女は、その合間をぬって小説や詩、音楽の作詞などに挑戦するが、初めの数年間はなかなか成功しなかった。

彼女がようやく成功を収めるのは、のちに彼女の代表作となる「ジョン・J・マローン」シリーズが売れ始めてからである。そして、彼女はこの頃から「クレイグ・ライス」のペンネームを使い始めるようになる。
 
彼女の作品の特徴を一言で表すと「大胆かつユーモラス」である。すなわち、彼女の作風は、本格推理小説の伝統を踏襲しつつも、アメリカ的なドタバタ・コメディと完全に融合させたものであり、これは当時としては非常に斬新な手法であった。

とくに、彼女が創り出した憎めない三人の主人公たち。
ジェイク・ジュストゥスは、広告会社に勤めていて、ハンサムで人情家だけど余り賢くないキャラクターである。
ヘレン・ブランドは、裕福な家庭育ちのお嬢様だが、大酒飲みで大のパーティ好きな所が玉に瑕。のちにジェイクの妻となる女性である。
そして、ジョン・ジョセフ・マローンは、大酒飲みの三流弁護士で、彼の独特の喋り方や冴えないファッションセンスはコロンボ警部を彷彿とさせるのもがある。

彼らの事件の解決方法はしばしば捜査技術というよりも運に頼る部分が多くあり、こうした描かれ方は荒唐無稽なものであり、往年のグランギニョールを彷彿とさせる様なシュールな要素も含まれている。
特に登場人物のひとりで、いつも愚痴ってばかりいる殺人課のフラナガン警部にその要素が見られる。

セントラルパークで観光客相手に記念写真を撮っているビンゴ・リグズとハンサム・キューザックのコンビが登場する作品では、彼らはみずから犯罪に巻き込まれるが、事件を解決することにより自分たちの無実を晴らすのがお決まりのストーリーとなっている。

また、クレイグ・ライスは、自己名義の作品のみならず、英国の俳優ジョージ・サンダースのゴーストライターをしていた事でも有名である。
 
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ジョージ・サンダース(1906〜1972)

加えて彼女がアメリカの女優ジプシー・ローズ・リーが書いたとされる長編ミステリー小説についても代作したのではないかという噂まで巻き起こった。
 
ジプシー・ローズ・リーはもともとストリップダンサーであり、著述活動とは無縁の人生を送ってきたと見られていたからである。
 
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ジプシー・ローズ・リー(1911〜1970)
 
これについては、最近になって出版されたジプシー・ローズ・リーに関する完成度の高い伝記に書かれている内容から推測して、ライスはジプシーの作品の代筆をしていない事が明らかとなっている。
この事は彼女たちが文通した手紙からも裏付けが取れている。

しかしながら、ジプシー原作の「Gストリングの殺人」については、ライスがジプシーのために脚本の手助けをしていた事は事実のようだ。この作品は後に「バーレスクの女」という題名で映画化された。ちなみにこの映画の主演は当時の人気女優バーバラ・スタンウィックだった。
 
余談であるが、「Gストリング」というのは女性用のセクシーな下着で、Tバックや紐パンと同類のものである。
映画化するにあたり「バーレスクの女」と題名を変えたのも頷ける話であるが、ストリップダンサーの前歴を持つジプシー・ローズ・リーが書いたに相応しい題名と言えるだろう。
 
 
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バーバラ・スタンウィック(1907〜1990)

一方、ライスとサンダースとの付き合いは、彼女が「ファルコン・シリーズ」の脚本を書いた縁で始まった。彼女が脚本を書いたのは、1942年にサンダースが主演した「ファルコンの兄弟」と、1943年にサンダースの実兄トム・コンウェイが引き継いで主演した「ファルコンの危機」の2作品である。
 
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トム・コンウェイ(1904〜1967)


この他にもライスは、友人のミステリー作家スチュアート・パーマーと共同で脚本を書いたり、短編集を発表しているほか、エド・マクベインとの共作もある。
 
 
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スチュアート・パーマー(1905〜1968)
 
 
ただし、エド・マクベインとの共作で発表されたビンゴ・リグズとハンサム・キューザックのコンビシリーズ(最終作)については、ライスの死後にマクベインが加筆して作品を完成させたという意味での共作となっている。

この本の序文の中でマクベインは、ライスが生前書いた草稿はやりかけの状態で残されており、彼女がどのようなストーリー展開を考えていたのか知る術は残されていなかった。そのため、マクベインはミステリー小説を完成させる前にまず自分の目の前にあるミステリーを解かなければならなかったのである。
 
エド・マクベインと言えば「87分署シリーズ」で有名なミステリー界の巨匠のであるが、自分の作品を書くよりも、他人の作品の続きを書く方がはるかに難しい仕事だったようである。
 
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エド・マクベイン(1926〜2005)
 
さて、クレイグ・ライスは私生活において4回結婚し、3人の子供を設けた。子だくさんの実生活の様子は彼女の代表作『スイート・ホーム殺人事件』の中でも活かされている。
 
 
女流ミステリー作家としては成功し流行作家となって、有名なタイム紙の1946年1月28日号の表紙を飾った。これはミステリー作家として初めての快挙であった。
 
しかし、仕事に熱中するあまり生活は徐々に乱れていき、重度のアルコール中毒で入退院を繰り返し、自殺未遂を何度もするようになる。
 
結果的に彼女は50歳を目前に重度のアルコール中毒による多臓器不全によって亡くなった。享年49歳である。
 
クレイグ・ライスの名前は本国アメリカでも忘れ去られており、日本では一時期人気があったが、最近は「品切れ重版予定なし」の作品の方が多く、入手は困難な状況にある。
ただし、アマゾンのマーケットプレイスなどでは普通に売られているので、興味があれば是非一度は読んでいただきたい。
 

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