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長崎滞在中の想い出。
今回は出島を紹介します。
 
学生時代、歴史の授業で習った出島という場所は海へ突き出た扇形の人工島というイメージでした。
 
しかし、実際に現地を訪れるとイメージが明らかに覆られましたね。
 
完全に街中の一部になっているからです。
 
街中を普通に歩いていたら突然立派な門が目の前に現われました。水門と呼ばれる和風の門で、荷揚場に通じる門でした。
 
この門から日本と西洋の貿易品が出入りしていたわけです。

 

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現在は出島の中は開放されておりまして、無料で見学することができます。
ちなみに石碑の背後に写っているのは長崎市まち歩き観光キャラクターの「さるくちゃん」です。「さるく」とは長崎弁で「ぶらぶら街を歩く」という意味。
市内に多くの観光名所が点在する長崎は、路面電車を利用しながら歩いて回るのが一番です。私も二日半長崎市内を歩き倒しました。

 

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さて、出島の復元事業は1951年にスタートし、既に65年の歳月が流れました。
今では江戸時代当時の面影がかなり復元されておりますが、このプロジェクトはまだまだ続く予定で何と2050年に完結するらしく、現時点ではまだ道半ばということでした。
 
まさに日本版サクラダファミリアと言えるぐらい壮大な建築プロジェクトなのです。
 

 

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こちらはオランダ商館の館長であるカピタンが住んでいた建物です。
柱や窓枠が鮮やかな緑色に塗られており、とても美しく建物だと思いました。

 

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外の通りから見えたこの立派な洋風建築は旧出島神学校の建物です。
この建物は明治11年に建てられたもので、出島の歴史の中では比較的新しい建物ですが、現存する日本最古のキリスト教学校であります。
 
 

 

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私が訪れた時は既に夜の7時を過ぎておりまして、出島の敷地内には従業員を除くと、ほとんど観光客がいませんでした。
 
神学校の中は資料館となっていて、出島に関する様々な展示物が陳列されていました。

 

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この写真は幕末当時の出島の様子です。
この頃は間違いなく、まだ島の形をしていたことがわかります。
出島の周囲が埋め立てられて島でなくなったのは明治後期との事。
 
今ではすっかり街中の一部ですが、かつては1.5ヘクタールの人工島の中にオランダ人が押し込められていたわけです。
 
ドイツの博物学者エンゲルベルト・ケンペルは出島のことを「国立の監獄」と呼んだそうですが、身体の大きな西洋人には更に窮屈な場所に感じたことでしょう。
 
 

 

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さて敷地の外に出てみると外周を堅牢な石塀が張り巡らせてあります。
塀の上には鉄製の忍び返しが突き出してきて、来る者を寄せ付けない雰囲気が出ています。
 
そして、塀の手前に路面にガラス板が敷き詰められていて、青色ダイオードでライトアップしていました。
夜になると、とても美しい光景がひろがるのですが、塀の外側、つまり私が立っているガラス板の側はかつて海だったのです。
 
青色ダイオードに照らされて、はじめてそこがすべて海であったことに気付かされたわけです。
 
こうした工夫も出島の魅力を知る上でかなり効果的であると感じましたね。
 
古いものをただ再現するのではなく、現代の感覚でいかに出島という場所が日本にとって、世界にとっても貴重は場所であったのか。
 
それを効果的に知ってもらうための工夫がこれからも続いていく。今も現在進行形で未来の出島が形作られているのです。
 
 

 

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撮影地:出島和蘭商館跡(長崎県長崎市出島町6-1)
 

 

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