いよいよ師走に入りました。
今年は選挙があるせいか、例年以上にせわしい12月になりそうですね。
さて、皆さんにとって今年はどんな年でしたか?
私にとっては平凡な一年でしたが、ただひとつ後悔すべき出来事がありました。
はじめはブログに書くことを躊躇ったのですが、文字に気持ちを表すことで見えてくるものがあると考え敢えて書くことにしました。
今年の10月のある日、突然見知らぬアドレスからメールが届きました。
登録していないアドレスだったので、中味は見ずに開封したまま数日放置していました。
しかし、数日後、何気なくそのメールを開いて読んでみると、東京時代の古い友人からのメールであることに気づきました。
その友人の携帯番号や当時のアドレスはメモリに登録したままでしたが、友人は最近アドレスを変えたらしく、それで私は気づかなかったのです。
メールの内容を読むと、友人はここ数年体調を崩しており、仕事もほとんどせずに自宅で療養しているということでした。
そのような内容とは知らずに返信せずに数日放置していたので、急いでお詫びのメールを送りましたが、友人は返信がないことに憤慨したらしく、着信を拒否されてしまいました。
後悔の念が頭を過ぎりました。
ただでさえ、体調不良で精神的にナーバスになっている友人に対して、私はとんでもない非礼をおかしてしまったわけです。
私としては非礼を詫びて、とにかく真意を伝えたい。
そう思ったので、さっそく東京にいる別の友人に電話をし、彼の方から私の真意を友人に伝えてほしいと依頼したところ、快諾してくれました。
以来、私は毎日のように着信拒否が解除されることを祈り続けました・・・
私にとってその友人は命の恩人といってもいい人でした。
その友人は、私よりも1歳年上で、彼と初めて会った11年前、当時彼は代用教員をしていました。
彼は生まれつき病弱ではありましたが、大変な努力家であり、学校でも生徒や同僚にとても慕われていました。
そんな彼とは忘れられない思い出があります。
平成14年の正月の時の話です。
その前年の暮れから私は実家の群馬に戻っていたのですが、ある事で家族と不和となり、年明け早々東京に戻ることにしました。
正月2日に東京の寮に戻るも、年末年始でみんな帰省しており、寮内は水を打ったような静けさに包まれていました。
その静けさが私をさらに滅入らせていたものですから、私は友人に片っ端から電話してとにかく誰かと飲みに行こうと考えました。
そんな私に多くの友人は冷ややかでしたが、あの友人だけは急な誘いにも関わらず快諾してくれたのです。
私たちは駅前の居酒屋で飲むことにしました。
私はそれがとても嬉しかったので、いつもよりも急ピッチで飲み続けました。
それから先の事は余り覚えていないのですが、泥酔した私は店を出た後、しばらくして倒れ込んでしまいそのまま意識不明になったそうです。
友人は私を安全な場所に引っ張って行き救急車が来るまで必死に介抱してくれたのです。
私は翌朝、病院のベッドで目を覚ましました。
多くの友人が心配そうに私を見つめていましたが、その時私は愚かにも自分が何で病院にいるのかさえ気づいてなかったのです。
それ以来、その友人は私の命の恩人になったのです。
しかし、私が就職すると、お互いに多忙になってしまい、いつしか疎遠になってしまいました。
私が東京を去ることになった時、その友人が体調不良であるとの話を聞いていましたが、結局、メール一本で別れの挨拶を交わしただけでそれ以降会っていません。
改めてその友人には感謝をしていますので、昔の恩に報いたいと思っていたのですが、今回こんな形で恩を仇で返したわけですから、自分がいかに情け無い人間であるか悔いても悔いきれません。
あれから一週間後にメールを改めて送ったところ、着信拒否は解除されていましたが、返信はありませんでした。
以来、電話すべきかどうか悩みつづけています。
ただ、いつの日か必ず彼自身の前でお詫びをして、和解できることを願ってやみません。
否、それ以上に彼の快復をただただ願うばかりです。
もうすぐ、11回目の1月2日が来ます。
あの思い出を胸に次会える日を心静かに待ち続けてまいります。
今年は選挙があるせいか、例年以上にせわしい12月になりそうですね。
さて、皆さんにとって今年はどんな年でしたか?
私にとっては平凡な一年でしたが、ただひとつ後悔すべき出来事がありました。
はじめはブログに書くことを躊躇ったのですが、文字に気持ちを表すことで見えてくるものがあると考え敢えて書くことにしました。
今年の10月のある日、突然見知らぬアドレスからメールが届きました。
登録していないアドレスだったので、中味は見ずに開封したまま数日放置していました。
しかし、数日後、何気なくそのメールを開いて読んでみると、東京時代の古い友人からのメールであることに気づきました。
その友人の携帯番号や当時のアドレスはメモリに登録したままでしたが、友人は最近アドレスを変えたらしく、それで私は気づかなかったのです。
メールの内容を読むと、友人はここ数年体調を崩しており、仕事もほとんどせずに自宅で療養しているということでした。
そのような内容とは知らずに返信せずに数日放置していたので、急いでお詫びのメールを送りましたが、友人は返信がないことに憤慨したらしく、着信を拒否されてしまいました。
後悔の念が頭を過ぎりました。
ただでさえ、体調不良で精神的にナーバスになっている友人に対して、私はとんでもない非礼をおかしてしまったわけです。
私としては非礼を詫びて、とにかく真意を伝えたい。
そう思ったので、さっそく東京にいる別の友人に電話をし、彼の方から私の真意を友人に伝えてほしいと依頼したところ、快諾してくれました。
以来、私は毎日のように着信拒否が解除されることを祈り続けました・・・
私にとってその友人は命の恩人といってもいい人でした。
その友人は、私よりも1歳年上で、彼と初めて会った11年前、当時彼は代用教員をしていました。
彼は生まれつき病弱ではありましたが、大変な努力家であり、学校でも生徒や同僚にとても慕われていました。
そんな彼とは忘れられない思い出があります。
平成14年の正月の時の話です。
その前年の暮れから私は実家の群馬に戻っていたのですが、ある事で家族と不和となり、年明け早々東京に戻ることにしました。
正月2日に東京の寮に戻るも、年末年始でみんな帰省しており、寮内は水を打ったような静けさに包まれていました。
その静けさが私をさらに滅入らせていたものですから、私は友人に片っ端から電話してとにかく誰かと飲みに行こうと考えました。
そんな私に多くの友人は冷ややかでしたが、あの友人だけは急な誘いにも関わらず快諾してくれたのです。
私たちは駅前の居酒屋で飲むことにしました。
私はそれがとても嬉しかったので、いつもよりも急ピッチで飲み続けました。
それから先の事は余り覚えていないのですが、泥酔した私は店を出た後、しばらくして倒れ込んでしまいそのまま意識不明になったそうです。
友人は私を安全な場所に引っ張って行き救急車が来るまで必死に介抱してくれたのです。
私は翌朝、病院のベッドで目を覚ましました。
多くの友人が心配そうに私を見つめていましたが、その時私は愚かにも自分が何で病院にいるのかさえ気づいてなかったのです。
それ以来、その友人は私の命の恩人になったのです。
しかし、私が就職すると、お互いに多忙になってしまい、いつしか疎遠になってしまいました。
私が東京を去ることになった時、その友人が体調不良であるとの話を聞いていましたが、結局、メール一本で別れの挨拶を交わしただけでそれ以降会っていません。
改めてその友人には感謝をしていますので、昔の恩に報いたいと思っていたのですが、今回こんな形で恩を仇で返したわけですから、自分がいかに情け無い人間であるか悔いても悔いきれません。
あれから一週間後にメールを改めて送ったところ、着信拒否は解除されていましたが、返信はありませんでした。
以来、電話すべきかどうか悩みつづけています。
ただ、いつの日か必ず彼自身の前でお詫びをして、和解できることを願ってやみません。
否、それ以上に彼の快復をただただ願うばかりです。
もうすぐ、11回目の1月2日が来ます。
あの思い出を胸に次会える日を心静かに待ち続けてまいります。