「ベイチモ号」という船が建造されたのは、1914年のことである。


スウェーデンで建造された後、カナダの貿易会社「ハドソン湾会社」の所有となり、北極海の島々に住むエスキモーとの毛皮や食料の交易用として使用された。


ところが、1931年10月の事。交易航海の終わりで毛皮の貨物を積載していたベイチモ号は流氷に閉じ込められて、航行が不能となってしまう。


船員たちは、船を降りて氷上でキャンプを張り、経過を観察するが、氷が移動しない限り船を動かすことはできないと判断。
船を放棄して近くのバローの街へ避難することとなった。船はその後、氷から解放されて間もなく船員たちの手に戻ることになる。


しかし、それから一週間も経たないうちにベイチモ号は再び氷に閉ざされてしまう。


今度はアラスカのウェインライトへ向かう途中で嵐に襲われてしまい、船は嵐を避けるように航行を試みるが、その途中で叢氷に囲まれてしまったのである。


船員たちは氷上に再びキャンプを張って1週間ものあいだ、貿易会社の救助が到着するのを待たなければならなかった。


こうして船員たちは救助されたが、船を動かすため船員のうち半分は現地に残って氷が溶け始める春先までベースキャンプで待機することになった。


ところが、それから約1ヶ月後に激しいブリザードが襲来する。嵐が通り過ぎた後に船員が船の状況を確認したところ、何と船が忽然と消えてしまったのである。


船員たちは周辺をくまなく捜索したものの、ベイチモ号のに関する痕跡を確認することができなかったため、船はブリザードによって沈没したものと判断。

船員たちは現地を引き上げようと準備していたのだが、それから数日後、交易相手のエスキモーの猟師が70キロほど離れた場所でベイチモ号を発見したというのである。


船員たちは、急いで現地に向かい再び船を捜索するが、結局またしても見つからなかったので、最終的に本社と協議してベイチモ号を放棄することにした。


ベイチモ号が「幽霊船」と呼ばれるようになったのはその後の事である。


船を所有する「ハドソン湾会社」は、ベイチモ号が春先までには氷山にぶつかったり、ブリザードによる激しい風雪などにより沈没すると判断して放棄した訳なのだが、その意図に反してベイチモ号は沈没しなかったのである。


北極海でのベイチモ号の目撃例は何とその後数十年間にわたり報告されている


タイタニック号のように氷山にぶつかる事も無く、何十年にもわたり風雪にも耐えて北極海を彷徨い続けているわけだから、まさに「幽霊船」というわけである。


そんなベイチモ号が最後の目撃されたのは1969年のことである。

この時も叢氷に囲まれているベイチモ号が確認されたらしい。
ハドソン湾会社が放棄してから実に38年後の事である。


それ以来、ベイチモ号は発見されていないようだが、2006年、アラスカ州政府はいまだ海上にあるか、沈んでしまったかに関係なく、「北極海域の幽霊船」のミステリーとベイチモ号の居場所解明プロジェクトを開始したそうである。


しかし、今のところ、ベイチモ号はまだ発見されていない。




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