このほど、大阪府がニートの呼称を「レイブル」に改める事を検討しているらしい。
レイブルとは「遅咲き」という意味だそうで、世間一般を持っているニートのマイナスイメージを払拭させる目的でプラスイメージのレイブルを普及させたいという狙いがあるようだ。
ニートというのはイギリスで生まれた言葉であり、「学生でもなく、就職もせず、またそのための訓練もしていない人」という意味があるそうだ。
確かに本来の意味を考慮すればニートはマイナスイメージの言葉なんだろうけど、そもそもこの原義を知っている人は非常に少ないと思われる。
加えて、レイブルがプラスイメージがあるとしても、実際に多くの人がプラスイメージを持って使用してくれるのか疑問が残る。
それ以上に重要なのは、ニートの細分化の必要性ではないかと感じる。
ニートといっても、疾病などでやむを得ず仕事をするのが困難な人もいれば、単純に働きたくなくて働かない人だっているわけだ。
こういう事情の違う人々をひとつのカテゴリーに入れたままでいいわけがない。
特別な事情で働らく意志があっても働く事ができない人をニートに入れる事は気の毒なような気がする。
一方、単純に働く気のない人については早く社会の一員になるように強く促す必要がある。
今、生活保護受給者が非常に多くなっているというが、働けるのに働かない人にも保護を与えているという現状がある事も事実なのである。
こういう人たちのために我々現役世代が汗水流して働いて支えているというのは何とも割に合わない話ではないか。
先にも述べたがニートの選別化を進め、状況に応じた対策を個別にやらなければ、この先ニートはますます増大して、真面目に働く就業者の負担がさらに増大するという不平等な事態になりかねない。
そして不正規雇用の枠を広げ、それに依存している現在の産業の体質についても改善していかなければ、根本的な解決には至らないだろう。
こうした話はわかりきったことなのに、自民党政権でも民主党政権でも積極的に取り組んでこなかったのだ。一体どういうことなのか、怠惰以外の答えがみつからない。
米国だって、無為無策の政権が、ハーディング、クーリッジ、フーヴァーの十年間で終わったのに、日本の場合は何十回政権が変わっても、本当の変革が起きる気配がない。
仮に、今から雇用問題に全力投球でやって成果を出しとしても、それでも遅きに失した感があり、まさに「遅咲き」なのである。
しかし、それさえできていない今の政府である。「レイブル(遅咲き)」の本当の対象であり、またそれを目標とすべきはむしろ政府の方ではあるまいか。
ネーミングなんていう表層的なものに時間をかけないで、もっと中身に時間をかけるべきだと思う。
