11月3日のBS歴史館という番組で、オードリー・ヘップバーン主演の名作「ローマの休日」の制作秘話について特集をやっていた。


この作品の原案・脚本を書いた人物について、長らくイアン・マクレラン・ハンターとされてきたが、最近になって「本当の作者」の名前が明らかになったというのである。


「本当の作者」の名前は、ダルトン・トランボ。

第二次世界大戦後のアメリカで吹き荒れた「赤狩り(共産主義者排斥運動)」の標的にされたハリウッド映画界の著名な10人の映画人(ハリウッド10)の一人である。


トランボは当時売れっ子の脚本家であったが、連邦議会下院に設置された非米活動委員会(米国国内にいる共産主義者の動向を調査する委員会)の聴聞会に呼び出され、鼻から共産主義者のレッテルを貼られた上で、共産主義者であることを自白するよう迫られた。


これに対してトランボは、言論の自由を保障する合衆国憲法の規定を盾に断固拒否したため、議会侮辱罪に問われた挙句、逮捕され投獄されてしまう。また、これによって事実上ハリウッドから追放されることとなるのである。


約半年の刑期を終えたところで、戻れる場所もない状態であったが、これでダメになってしまうトランボではなかった。偽名を使って二流映画の脚本を書くことで、何とか食いつなぎ、振り落とそうするハリウッドに必死にしがみついたのである。


そんな状況の中でトランボが書いたのが名作「ローマの休日」である。

この作品は、友人のイアン・マクレラン・ハンターの名前を借用して発表したのであるが、当時ハリウッドから追放され悶々たる心境であった筈のトランボが何故、華やかなラブロマンスを書いたのか、最初は不思議に思った。


しかし、トランボは、このハリウッドの仕打ちに対し、本業の脚本で一矢報いようと考えていたようである。


そして実際に、トランボはこの「ローマの休日」で1953年のアカデミー賞最優秀脚本賞を受賞し(実際に賞を受けたのは名前を貸していたハンターではあったが)、さらに1956年の「黒い牡牛」でアカデミー賞原案賞を獲得するなどして、ハリウッドに対する「仕返し」をやり遂げたのである。


トランボと同様に赤狩りに真っ向から対立した映画人の中には、「ローマの休日」を監督したウィリアム・ワイラーもいた。

ワイラーと言えば、アカデミー賞監督賞を史上最多の3回受賞するなど、「巨匠の中の巨匠」と呼ばれる人物である。ワイラーもまた、赤狩りの渦中でトランボを含む多くの仲間を失うこととなったのである。


ワイラーが「ローマ休日」の撮影にあたり、セットを使わずにローマ・ロケを敢行した背景には、赤狩り吹き荒れるハリウッドを離れ、信頼のおける仲間たちだけで心置きなく撮影したいという気持ちがあったようである。


同じ「赤狩り反対・容共」の立場をとりながらも、ウィリアム・ワイラーとダルトン・トランボの進んだ道は余りにも対照的である。その後も巨匠と呼ばれハリウットの表舞台で映画史に残る多くの作品を世に残したワイラーと、晩年になるまで偽名を使い、日陰の中で生きることを余儀なくされたトランボ・・・。


番組の最後で、トランボの娘が、「ローマの休日」復刻版の中で、はじめて「脚本家トランボ」に名前が修正されたクレジットが流れたとき、涙を流していたシーンが非常に印象的であった。


実力がありながら、犯罪者のように日陰で活動することを余儀なくされたトランボの無念さは想像に難くないと思う。

しかしながら、トランボは晩年に当時を振り返り、「批判をした人間も、批判を受けた人間も、みんなこの時代の被害者だったのである」と述懐している。


運不運を乗り越え、自分を陥れた人間の事さえも「被害者」と呼ぶことの出来るトランボの素晴らしい人間性に思わず心を打たれた。


20世紀版の「魔女狩り」とも呼ばれる「赤狩り」。


赤狩りの標的にされて無実の罪を着せられ、奈落の底に突き落とされた著名人が多くいる一方、リチャード・ニクソンやロナルド・レーガンのように「赤狩り」を踏み台にして大統領という大きな夢を掴んだ人間も中には存在する。


「勝者と敗者」を作り出し「善人と悪人」を容赦なく線引きした赤狩り。時代は繰り返すというが、この先もきっと同じような現象が世界のどこかで起きるであろう。そんな中で、どう判断し、どう生き抜くのか。ダルトン・トランボの生き様が何らかのヒントを与えてくれるのかもしれない。


最後に、赤狩りの標的にされた他の著名人のその後を追って締めくくりたいと思う。


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チャールズ・チャップリン(喜劇王)


赤狩りの標的にされ、ハリウッドに幻滅し1953年アメリカを去りスイスに移住する。

その後、亡くなるまで家族とともにスイスで余生を過ごすこととなる。




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ダシール・ハメット(作家、ハードボイルド小説の先駆者)


友人のエリア・カザン(映画監督)に密告され、赤狩りの標的に。

議会侮辱罪で逮捕・投獄される。晩年は病に侵され不遇のまま生涯を閉じる



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ジョン・ガーフィールド(俳優、「郵便配達は二度ベルを鳴らす」に主演)


赤狩りの標的にされ、ブラックリストに載せられてしまう。

心労により持病の心臓病を悪化させて39歳の若さでこの世を去る。