日本の工業の原点に製糸業がある。群馬県富岡市にある官営富岡製糸場は、我が国初の機械製糸工場として、明治5年10月4日に操業を開始した。これまで人力に頼ってきた粗悪な製糸技術を改め、近代的な製糸技術を導入することで、殖産興業を推進していこうという明治政府の思惑があった。
製糸業の担い手は専ら女性たちであり、全国各地から女工が集められ、産業の一翼を担う存在となった。ただし、富岡製糸場はモデル工場であり、官が模範を示すことで、民間による製糸業の普及を狙うものであった。官営であるが故に、採算度外視の運営が出来、女工たちの労働環境も良かったと言われるが、その後全国各地に出来た民間工場における労働者の待遇は劣悪を極め、「あゝ、野麦峠」に代表される女工たちの哀しい史実からも知ることができる。
ところで、当時より絹は高級な繊維素材であり、絹の需要者は専ら、貴族階級や資産家といった一部の階級の人々に限られていた。欧州では19世紀後半にフランスのシャルドンネ伯爵が世界で初めてニトロセルロースよる化学繊維の合成に成功し、これが人造絹糸(レーヨン)のはじまりだと言われている。
しかし、ニトロセルロースは元来、綿火薬にも用いられる発火性のリスクの高い物質であり、実際に発火性の高さから燃焼事故が多発し、ファッションショーの最中にモデルが着用していた服が突然発火し、モデルが焼死するという惨事が発生したことがある。こうした経緯からニトロセルロースによるレーヨンの製造は、第一次大戦前に生産が中止されることとなった。
続いて登場したのが、キュプラ繊維である。銅アンモニア法による化学繊維であり、原料はコットンやパルプである。塩基性硫酸銅に濃硫酸を加えて銅アンモニア液をつくり、これに原料セルロースを加える。さらに苛性ソーダを加えてセルロースを完全に溶解した後、硫酸を加えることで元のセルロースに戻す製法で、再生繊維の一種である。
キュプラ繊維はビスコースレーヨンに先駆けて製造されるが、当時アンモニアが高価であったため、やがて後発のビスコースレーヨンに取って代わる事になる。