本日は母の日でしたね。
私からは飾りがついた髪ゴムをプレゼント。
先程つけて貰ったんですが、素敵と言えば素敵。でもどこか変なような。
母も私もファッションの知識が乏しいので、お互い「ここが変」と明言出来ないまま、「服装が違えば似合うよね!」と、もやっとしたフォローで母の日は終了致しました。
個人の尊厳のため事の顛末を書くことは出来ませんが、去年の母の日はガリクソンも真っ青の車中泊があったり、不二家のケーキが弧を描いたりとパニックイベントになっていましたので、今年はそんなもやっと状態だとしても平和に終わって一安心しております。
今宵はカーネーション…と思いきやリビングには明後日の方向しか見ていない謎のチューリップが。
砂糖と漂白剤を混ぜて浸ければチューリップが元気に花開くとの噂を聞き、母が試しに買ってきたそうです。その結果やいかに。
片方だけでも十分に悪そうな砂糖と漂白剤。混ぜることによって奇跡は起きるのでしょうか。
今日は、母の日の会話から生まれた「呼び方」についての疑問を書こうと思います。
貴方は俺にとっての奥さんだけれど、お母さんではないから、母の日に何かするのはずっと不思議だったと父が言っていました。
更には父の母親、私にとってのおばあちゃんが、一人称を「ばあちゃん」にしていることも息子の父にとっては不思議だそう。確かに私にとってのおばあちゃんではあるけど、父にとってはお母さんですからね。息子に対して「ばあちゃんは~」という発言には疑問を抱くかもしれません。
今こうして話している父や母が、自分のことを「おじいちゃんは」「おばあちゃんは」と名乗るということです。想像してみれば成る程奇妙な気がします。
似たような状況を考えてみると、世のお母さんが子供に対して「お姉ちゃん、勉強しなさいよ」と言ったりするのも、その子は自分にとっての娘でありお姉ちゃんではないので、これまた不思議ではあります。
ただそのような不思議な呼び方は子供絡みのことが多い気もするので、まだ血縁者の関係性がよく分かっていない子供に、子供目線での各々の立場を理解させるため、そういう言い回しをしているのかもしれないと考えてみたりしました。
うーん、でもそうなると上記の「お姉ちゃん」の場合は辻褄が合わない。
私達は普段日本語に触れて慣れ親しんでいるので、この場合の「お姉ちゃん」は、
(※母・父・姉・妹の四人家族だとして)子供二人の中でのお姉ちゃんの立ち位置なので、「お姉ちゃん」と呼ばれていることがわかるのですが、この文化がわからないと、「あの子は貴方の娘なのに何故お姉ちゃんと呼ぶの?」と疑問を持つのでしょうか。
何気なく使われている、この「おばあちゃん」や「お姉ちゃん」の呼び方も、その時の状況や相手によって言葉の役割が変わってきます。これが『ニュアンス』というものだとするならば、普段から皆さんは器用に言葉のニュアンスを汲み取って会話をすることが出来ているのかもしれません。何だか人間って凄いですね
これを『ニュアンス』だけで終わらせることなく、道理のある説明を出来る力があれば、日本語教員の道へと一歩近づいたりするのでしょうか。特段志してはおりませんが。
右足がぴりぴり痛いなあ。