立命の書『陰騭録』を読む/安岡正篤 24142 | 年間365冊×今年20年目 合氣道場主 兼 投資会社・コンサル会社 オーナー社長 兼 グロービス経営大学院准教授による読書日記

立命の書『陰騭録』を読む/安岡正篤 24142

 

★★★★★

四回目。

この陰隲録の最も好きなところ、

安岡正篤先生の他の本では

 

 人間の運命がはじめから定まっているなら、
 なんで釈迦や孔子が苦労したのか?
 偉大な人が修行したのは、
 修行によって、人間をつくることができるからだ。
 人間ができれば環境もつくられる
 
であるが、
 
 
の際に氣が付いたのは
「孔子や釈迦の話はどこから出てきたのだろう?」
ということ。
今回、雲谷禅師と袁学海の出会いと問答を熟読したところ、
ちょっと遠回しだが、ここだろうというところはあった。
 
 袁黄も今まで信じてきたことを根柢から覆されて驚いた。
 そこで「それならば一体運命というものは
 逃れることができるものか」と
 質問した。
 すると禅師は、「天命は自分から作り、
 福は自分から求めて得るとは、
 詩経や書経のいうところであるが、
 まことに立派な教訓である。
 わが仏教の教典の中にも、
 『富貴になろうと求むれば富貴を得、 
  男女の子を欲しいと求むれば男女の子を得、
  長寿を得たいと願い求むれば長寿を得』
 と説かれてある。
 そもそも虚言は仏者の大きな戒めとするところであるから、
 諸仏諸菩薩はどうして虚言をついて人を欺くようなことをされようか、
 そんな筈はないのである」と言う。
 
のここがお釈迦様、だな。
孔子はこの問答の中で見つけることが出来ず、
他に孟子と第六祖慧能の言葉はあった。
安岡正篤先生の意訳というよりも
解釈し昇華させた言葉、
なのであろう。
あ、「論語」ばかりを探していて氣が付かなかったが
「詩経や書経」とあるからここから
孔子が出てきたのかもしれない。

 

立命の書『陰騭録』を読む/安岡正篤 21034