小さな人生論2 /致知出版社 16040
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読書とはどうあるべきか。
宋学の大儒者・程伊川にこういう逸話がある。
伊川は讒言に遭って島流しにされた。
十年くらい経って都に帰ってきたが、
威風堂々として周囲を圧するような迫力に溢れている。
弟子が、「十年も島流しになると普通は憔悴して見る影もないのに、
先生はどうしてそんなに堂々として活力に溢れているのですか」
と訊くと、伊川は、
「自分はこの十年、真剣に骨身を削って勉強し、
易経やその他の聖賢の教えに通暁した。その学の力だ」
―――と答えた。
こういう話もある。
西郷隆盛が二度目の島流しで、沖永良部島に流された時、
西郷は三個の行李を持っていった。
その中には八百冊の本が入っていたという。
わずか二、三畳の吹きさらしの獄の中で、
西郷はひたすら『言志四録』や『伝習録』などを読み、心魂を練った。
吉田松陰も同様である。
松陰は萩の野山獄に送られたとき、
在獄一年二か月ほどの間に六百十八冊も本を読み、
杉家に移され幽閉された後も、安政三年に五百五冊、
翌四年には九月までに三百四十六冊の聖賢の書を読破している。
すさまじいまでの読書である。
彼らは、知識を増やすために本を読んだのではない。
心を鍛え、人物を練り上げるために読書したのである。
真剣な読書に沈潜することがいかに人間に大きな力をもたらすかを、
三人の先哲の生き方が例証している。
ああ、数をこなすことだけが目的化していなかったか。
自分は流されていなかったか。
心を鍛え、人物を練り上げるような読書をせねば。