主人が人工呼吸器になり、もうすぐ1年になります


主人が多系統萎縮症になって2度目の命が危なかった時です






人工呼吸器になれば、状態は改善される可能性はありますよ。


担当医に言われました


うまく管理できれば5年、10年生きられる方もいらっしゃるとか


この一年振り返って、人工呼吸器が故障したり、家族のコロナ陽性など、生死に関わる心配はつきませんが、確かに主人の状態は安定してきているような気がしますウインク


昨年10月、突然、状態が悪くなり、本人に最終確認する事が出来なくなり、人工呼吸器はつけたくないと強く言っていた主人の意向を無視して、人工呼吸器をつける事を私と子どもたちで決めました。


主人に生きていてほしいと思っていた事も理由の1つですが、訪問医と入院先の担当医にも呼吸器を、つけたほうがいいと強く勧められました。


正直なところ、主人の意向に添わない決断をする事は非常に辛かった


人工呼吸器をつけた方がよいと勧める医師に

望んでない治療をされて生きていく主人とそれを支える家族の気持ちを本当ならわかってくれてるのか?と疑問に思ったし、


主人が目覚めた時、どんな気持ちなのか?

なぜ逝かせてくれなかったのかと思うのではないだろうか?

人工呼吸器をつけた自分を受け入れられるのか?

私たちは主人を支え続ける事ができるのか?


こんな大事な事を短い時間で決めなくてはいけないのです。


でも、人工呼吸器を外す事もできるかもしれないとも言われ、外す事ができるかもしれないのに命を諦めるほうが後悔すると思い、人工呼吸器を装着しての治療を望む事に決めました。


主人は、目覚めた時、

生きててほしいと願ってくれてありがとう

と思ってくれたようでした笑い泣き


でもね


人の感情は、複雑にいろんな気持ちが入り混じっているもの

その瞬間はよかったと思っても

ずっとその気持ちのままとは限らない


いろんな方に


主人が生き続けれた事を


よかったね。

いい判断だったよ


と言ってもらったけど


私は本当によかったのかなと心の底に拭い切れない思いがあります。


だから、何度も主人に

辛くない?

 

と尋ねます

主人は、


生きたい気持ちはあったけど、迷惑かけるから

お前たちには感謝しかないよ


と笑っています


主人は、命の危険があったことを全く覚えてないようですが、死の恐怖は微かに覚えているようです


危篤状態になる前の主人は


これからどうなっていくか?

とか

死んだらどうなるのか?


と不安そうにつぶやく事もありました。


生死を彷徨う体験をして


自分は死なないよ


と言うようになりましたニヤニヤ


主人は、ものすごくポジティブな人なので


たぶん、


もう動けないこととか死んだらどうしようとか嫌なことは全部考えるのやめて


今、生きている

家族と一緒にいれる

とか楽しい事だけを楽しむようにしよう


と気持ちを切り替えたんだと思いますウインク


それから、私が辛い思いをさせてるんじゃないかと心配しないように頑張っているのかもしれませんね。


私と子ども達にとっては、主人が生きててくれてよかったと思うことがたくさんあった1年でした



それは、主人が、ありがとうと言う気持ちで生きていてくれるから


今はまだ、治療法がない病気です。


本人や家族が望むようなかたちでいつまで生きていけるかわからない。家族がいつまで介護出来るかわからない


あの時の判断が、最善だったのかは最後までわからないかもしれません。