先日のNHKの放送。



とても深い内容でしたね。
紺美さんのブログは、小休止のご挨拶から更新が途絶えていたので、お元気でいらっしゃるか気になっていたところに放送を見て、紺美さんの自分に正直な気持ちを貫く生き様に深く心を揺さぶられる思いでした。
私は、もし、身近な人が根治する事の難しい病になり、延命が苦痛でしかないのであれば、本人が延命を望まない選択を選ぶならそれを尊重したいと考えてていました。
でも、遠い外国での安楽死という選択は、今の私にはできないと思いました。今はまだ...。
紺美さんのブログは、主人の病気と同じ病気の方だったので見つけて一気に読んでしまいました。読みやすく、深い考察力で、日々の生活を辛いことも悲しいことも真っ直ぐな文面で綴られていました。そこにはいつも周りのご家族への思いやりや愛情に満ちた言葉が添えられていて、ご家族も紺美さんを大事に思う、お互いを慰る姿が印象に残っています。あんなに仲の良い姉妹が安楽死を見守る為にスイスまで行くに至るまで、どんなに辛い病気の進行や出来なくなることの悲しさやるせなさがあったのか。それを見守るお姉さんたちの気持ち...。
同病である主人のこれからの姿を思い知らされるようで、涙が止まりませんでした。
主人は診断がついてまだ間もなく、日常のことは自分で出来るけれど、動かしにくそうな身体をもどかしそうにしている姿に、思わず手を貸そうとすると、「自分で出来るから大丈夫」と自分でやり通そうとしています。
病気になって、「ありがとう」や「ごめんね」と言う事が増えました。自分で出来ないことが辛く、私に申し訳なく思っているのでしょう。これから病状が進み「ありがとう」や「ごめんね」も言えなくなるかもしれない状態になればどれほど辛く思うか。
紺美さんのお姉さん達は、いろんなことを紺美さんと乗り越えて気持ちを寄り添ってこられたのでしょうね。
特定されるのを嫌がられていたのに、顔を出して取材を受けられた紺美さんとご家族の姿。想像していた通りの素敵な方々でした。
自分の病気にしっかりと向き合い、自分の言葉とやり方でメッセージを伝える姿勢は、本当にかっこいいと思いました。
まだ、主人には見せていませんが、録画しているのでいつか一緒に見たいと思います。



ずっと、昔の事ですが、私たちが結婚する前、夜遅くにガソリンスタンドも近くに無いような田舎道で車のガソリンが無くなりそうになった事がありました。主人は、免許を取ったばかりだったのでガソリンのランプが点滅している事に慌ててしまい、イライラ

「ここは、日本だし、最悪野宿しても大丈夫。こういうヤバイとか、怖いとか思った事って後で意外といい思い出になるよ」と私が言うと、
「こんな事がいい思い出になるなんてありえないだろ
何言ってるんだ
」とずっとイライラしていました。


結局、ガソリンスタンドまでガス欠になる事なくたどり着き、後日、2人で笑いながら「お前の言った通りだったね。あの時、俺もっと落ち着いてたらよかったと思うよ」話していたのが思い出されます。
あの時とは比べようも無いくらい先の見えない真っ暗な闇の中にいるような今、取り乱しているのは、私だけれど、いつか新薬が研究されて元気になった主人に「あんなにお前は心配してたけど、大丈夫だったよ。心配かけてごめんね」と笑いながら言ってくれる日が来てくれたらと願わずにはいられません。
全ての難病で苦しんでいる方やご家族にもそんな日が来ることを願うばかりです。