今日は今までのような観光地案内的、旅日記的なブログではなく、自身の備忘録として書き留めておきたいことを書く。
 今、篠会員の方の句集の跋文を書いている。ここ数年の私は母、岡田史乃の体調不良から見送り、主宰継承と目まぐるしく、「作る」の中で贈呈句集の中から選ばせて頂いた句集に触れるのみであった。しかし、元来は篠の書き手として毎号一冊の句集の書評を担当していた。
その時は、まずざっと句集を一読して、心に浮かんだ風景のようなものを掴まえる。それに沿って選句をした句を書き出す。その句群をいくつかの種類に分けてプロットとして書き進めていく。
ここで一番大切なのは、最初にどのような景が全体から立ち上がるかということだった。
しかし、今回はよく知っている作者の句集跋文ということで先に言いたいことを箇条書きにして、予め付箋を貼っておいた句群を選り分ける作業をした。
ただ、実際会って得る印象以上に句集はその人そのものであり、多くを語るというテーマのみ決めてあった。果たして作者はどんな言葉を本当は伝えたかったのか、その一点に絞って文章を書いて行った。
すると、書き進めるうちに文章の方が主人となり私を引っ張って行くという不思議な体験をした。
最後に到達したのは「慈愛」という言葉であった。
文章に自分が引っ張られる、この体験は更に書きたいという気持ちにさせる。
通り一遍ではない写生、詩性、今ここ我。
暗黙のべからずルールを敷いておけば、指導は楽になり、結社にも統一感が出て、自身も選者としてどのようなタイプの俳人の句でも選句できる。
しかし、それでいいのか。
もっと、句集の句、作者に気持ちを寄り添わせて詠むべきなのではないか。まあ、そうすると時間はかかり、他人を納得させる弁を講じる事は難しくなる。
それでも、十七音に向かう時だけは、目一杯の想像力で句に寄り添っていきたい。
そう思う事ができたのも、今回の跋文の依頼を受けたからである。