①から間が空いてしまいました。たくさん写真を撮ると中々簡単に選べずコラージュに時間がかかりますね。①で岡山黒住教本殿遺族参拝から翌日姫路へ。そこで亜流里句会に参加した所まででした。姫路に泊まって翌朝は姫路城に行きました。
そして、旅から戻って家のことやたくさん届けて頂いている雑誌などの対応、確定申告書類準備をして、いざ虎ノ門へ。その前にお決まりで赤坂のビルにも寄って、使わなかった初孫お食い初め石を戻しつつ久國神社にご挨拶をしてきました。
前の日の23日は生憎のお天気でしたが、翌日は晴れて白鷺の天守閣とも呼ばれる姫路城が青空に映えてキラキラと輝いていました。同行した句仲間にも感想を言いましたが、その昔わたしが(大学の専攻がギリシア美術だったのもあり)訪れたギリシアのアクロポリスを彷彿とさせる美しさでした。ギリシア神殿は元々中華街のように色鮮やかな彩色がされていたと後の研究で明らかにされているので、この姫路城こそが本当の白亜の神殿なのかもしれません。表面を薄く何度も漆喰で仕上げる、白漆喰総塗籠造工法の厚壁の城はあらゆる外敵から守ってくれます。
昭和の大修理から平成の5年をかけた修理により今のような美しい姿を観ることができるのです。
14年近く毎年岡山の墓参に通いながら姫路城に立ち寄れる機会がなかったので、とても嬉しガッタです。
六階建ての大天守を観ながら、最後は急階段で天守閣へ。二階の武具掛けや三階の忍者隠しなどマニアでなくも見所がたくさん。天守閣には長壁神社が。
姫路城は持ち主が時代を経て変わっていきました。瓦の家紋も色々と混ざり、池田輝政が使用していた家紋は「備前蝶」が心に残りました。(1枚目の写真右上)
六階建ての大天守を観ながら、最後は急階段で天守閣へ。二階の武具掛けや三階の忍者隠しなどマニアでなくも見所がたくさん。天守閣には長壁神社が。
姫路城は持ち主が時代を経て変わっていきました。瓦の家紋も色々と混ざり、池田輝政が使用していた家紋は「備前蝶」が心に残りました。(1枚目の写真右上)
この左側真ん中のお弁当は初日の岡山泊の時に買って食べたお弁当でしたが味付けが苦手でした。滅多にないことなのですが。
その上下は姫路駅のイートイン。右側上は家へのお土産、その下は兵庫の方から頂いたお土産。
そして、旅から戻って家のことやたくさん届けて頂いている雑誌などの対応、確定申告書類準備をして、いざ虎ノ門へ。その前にお決まりで赤坂のビルにも寄って、使わなかった初孫お食い初め石を戻しつつ久國神社にご挨拶をしてきました。
埼玉編に続く。