関東地方は昨日から雪予報が出ていたので、恐る恐る窓を開けたがまだ降ってないと確認。午後から降るようである。
先日何回も訪れて階下の門で諦めていた、秩父31番札所の鷲窟山観音院に行って来た。胎内くぐりのある西奥の院は立ち入り禁止に。なので観音堂から聖浄の滝、磨崖仏、地層から東奥の院へ。
この鷲窟磨崖仏は、およそ三千万年前の海底に砂や石が積もった礫質砂岩に刻まれたもので、弘法大師の作ともいわれている。
上方には南無阿弥陀仏と刻まれ、18センチくらいの仏群が浮き彫りになっている場所もある。地中にも磨崖仏が残されているそうだ。
芭蕉句碑があることから俳句寺にしようという動きが昭和61年頃にあり、厳しい石階段の途中には多くの句碑がある。
http://www.antillia.com/chichibu/fudasho/fudasho_31.html色々な案内があったがわかりやすいものを貼った。
写真を撮り忘れたが、手助け仁王という十屯の重さの石でできた手の象もある。
この石段を登る前にもう何度も訪れているお気に入りの蕎麦屋、観音茶屋にも行った。
そこから一路三峯方面へ。
前の冬に秩父三大氷柱の尾の内と芦ヶ久保に行ったので、この冬は三十槌の氷柱に。
左手のまっすぐな氷柱は自然のもの、右手の隆起した氷柱は人工とのことだ。
目の前の川の奥に見ることができ、足元にはゴロゴロと大小の岩。足下が悪いが、よく見れば緑泥石も。キャンプ場が隣接し駐車場近くではレストランや売店もあって、皆さん焚き火を囲んでいた。
三十槌の氷柱のリンク
そして、翌日の土曜日は篠の六本木句会であった。お休みの方も多く、少なめであったが和気藹々と新年句会。
篠が大人数の時代は鎌倉のお寺に百七十人集まったこともある。その時代に一度横浜のランドマークタワーで吟行大会をしたことがあり、私は惜しくも天地人の地賞となり、天賞は主宰である母を慕っていた同年代の女性に。俳句で悔しくて泣いたのはそれが初めて。その頃娘たちは小さく夫に預けて出かけていたが、帰りに横浜港の周りをぐるぐる回って帰った。その女性の句が牛の句であった。
それを思い出してこの六本木新年句会に牛の句を出した。少人数ながら(身内でもあるので申し訳なく思いつつ)天賞を頂けた。一安心である。
その後主宰(母)を家に送ってから、そのまま赤坂の街に繰り出した。
幼い頃から通りながら、友人宅にしか行ったことのなかった一ツ木通りの左手の地蔵のあるお寺。
身代地蔵と子育地蔵、平河山浄土寺。
本堂にご挨拶をしながら境内の裏まで散策。
なんとひっそりとした佇まいの和菓子屋を発見。鳳屋であったか。
赤坂には元は一見さんお断りの塩野、葛餅で有名な相模屋などあるが、ここに今度行ってみよう。
また閉店であったが入り口に兎の置物のある和食バーのようなお店も。六本木も麻布から抜ける坂などに隠れ家的な和食屋があるが、そんな雰囲気だった。
十屯の仁王の手形鐘氷る
冬ざるる地蔵の袈裟の黒き染み
凛として白き秩父の山眠る
稜線に暮れ残りたる寒夕焼
牧閉ぢて親牛仔牛の欠伸かな 麻乃