毎日降ったり止んだり、はっきりしない天気が続きますが、皆さん体調を崩されていないでしょうか。
日曜は自宅でゆっくりし、月曜は新橋の連句の勉強会に行ってきました。紹介してくれた友人と始まる前にカフェドクリエでお茶をし、終えてからプロントで軽食を。その頃には烏森口はサラリーマンでいっぱい。
その烏森口に港区生涯学習センターばるーんというのがあり、閉校した小学校を利用した施設で手洗い場が低くて懐かしい雰囲気でした。私の母校の氷川小学校も同じ港区で閉校され、今では高齢者施設と中高生のレクリエーション施設に。
実家のある赤坂から新橋はバスで良く行きます。母方の祖父母が保土ヶ谷に住んでいたので、新橋は懐かしい駅。
月曜日の連句の会は慣れた方が多く、捌き手は中央連句会の人生の大先輩にあたる方がしてくださいました。
母の師でもある安東次男氏の連句の本では学んではいたものの実際に巻くのは初めてで、とても緊張しました。
どこに花や月の句、あるいは無季の句を を持って行くのは知っていても、半巻の中で季節が逆流しては行けないことや、一度使ったものは漢字のみならず事象もいけないことなどルールが沢山。でも、決められた中で如何に自分を出していくのかという作業は厳しい学校制度や家庭内に置かれて来た人であらば、誰しも通った道だと感じました。
そういう観点から大学で専攻したギリシア美術も好きなのです。
全くの自由ではなく、決められ守られた中での自分のあり方を模索することは日本人に合っているとも言えるでしょう。
常に協調性を強いられる文化ですから。
兎にも角にも、緊張するとお腹が空いて、呑めない私は大概カフェへ。
これを書いている今も地元のセッテプレッソ。全体像は今いるセッテプレッソの調度品で、なんとデニーズ系列なのに今月だけケニアコーヒーも飲めます。
色々な事を同時進行しながら、様々な人の話を聞き、沢山の句を詠み、常に自身の俳句に対する姿勢や皆さんにとっての場となる篠の発展継続について考えています。
どのような風の中にあっても撓う葦のように折れず柔軟にありたいものです。