雨が上がって日中は暑いですが、今日は風が爽やかでしたね。
さて、伸ばし伸ばしになっていた会計事務所とのやり取りのために今日も赤坂に行きました。
左上は赤坂サカス方面右上は鹿島出版ビルのエレベーターからの氷川公園、左下がアンテナショップ、その隣が夕暮れの我が家からの青山方面です。
実家の薔薇は終わりかけていましたが、例のごとく名前のわからないブラシのような花が盛り。そして前は蕾だった紫陽花が満開でした。薔薇と真ん中の画像は東側ベランダ、テーブルセットとブラシのような花はリビングのベランダ、紫陽花は書庫のあるテラスです。
小ビルながらまず郵便受けの並ぶポーチに植栽があり、三階のメゾネット入り口のポーチには色々な観葉植物があるので水やりが一仕事です。以前は近隣の方が毎日通いで手伝いに来てくれていましたが、今は私が植木職人兼大家健管理人です。
会計士さんが帰られてから俳人協会の方と電話をして、6冊の郵便を作ったり電球6個替えたり‥jwave聞きながら簡単な夕飯を食べて帰路につきました。
小中学生の頃は一番近い氷川神社と少し歩く山王神社のお祭りに行くのが楽しみでした。山王日枝神社のお祭りには様々な思い出が。でも写真だけ横断歩道から撮って再び歩き、永田町へ。
実家にいた頃の歯科のある山王グランデ←新たなビル中に健在。昔父と行ったレコード店、サンリオを取り扱ってたランデブーという小物屋さんなどが全く違う店になってしまった東急プラザを素通りしつつ永田町まで。高校の頃内緒でアルバイトで買ったロードマンで永田町や六本木、一駅先の乃木坂まで漕いで早朝にランニングしていた日々が懐かしいです。
現実に一気に引き戻されます。
ここは無人でぱっと停められますが、私は今日もその隣の昔からある公営駐輪場へ。
そこの職員さんがとても優しいです。
赤坂は年毎に様変わりして、今やビジネス街から観光地に。
御用聞きや引き売りの魚屋さんなどもういません。祭りの時の神輿の担ぎ手さえ他の市町村から雇っている位地元民が消えてしまいました。寂しい限りです。
朝霞には昔の赤坂や祖母宅のあった保土ヶ谷を髣髴とさせる懐かしさがまだ残っています。結婚してもこの街に戻る若者が多いのがうなづけます。
黒目川という荒川の支流の水も澄んでいます。
母も今ケアマンションに長期滞在しており、保土ヶ谷に空気や音が似ていると言っていました。朝霞台には東上線と武蔵野線が通り、特に隣駅にJR貨物の停留所があるため、汽笛がよく聞こえます。