トランプ氏が大統領に選ばれ、初めて迎える一日。

 

とりあえず現地の雰囲気を書いてみる。

 

朝起きてまず驚いたのは、大学総長からメールが届いていたこと。

「予想外のことに皆さん動揺していると思います。しかし、落ち着いてください。冷静沈着に、状況を見守って下さい。今こそ、大事な人との時間を大切にするべき時です。そして、これから起こる変化に備えてください。チャペルも、コミュニティスペースも、終日解放いたします。」

というような文面のメールが届いていた。

 

見たときは、本当にこんな映画にでも出てきそうなアメリカ感って、実在するんだなあというくらいの感想だったが、実際一部のアメリカ人学生にとっては、ショッキングな出来事だったようだ。

実際にチャペルへ行ってみると、十数名の学生が沈痛な面持ちで寄り添いあっていた。

 

流石に朝食のカフェテリアは、どんよりとした空気が漂ってもいた。

 

しかし、実際に数人と話をしてみると、違った意見も聞けた。

 

ある学生が言うには、「予想外でもなんでもなかった」とのこと。

ヒラリー嫌悪の雰囲気は、日本人が想像している以上に現地では蔓延していた。

 

政治学の授業では、臨時的に授業いっぱい使って、トランプについてのディスカッションになった。

 

数名の学生が「少数者につらい世の中になる」「彼のこんなところが醜い」と月並みな発言をしていたのに対し、何人かは「なるほどな」と思わされる意見を述べていた。

我々が思っている以上に、世の中には厳しい思いをしている人たちが多い事。

そしてそれはハンガリー、イギリス、フランス、日本、韓国と、世界中で起きているということ。

街をちょっと抜けて田園地帯に入ると、民主党支持者はすぐに見当たらなくなること。

この状況は自然であるが、恐ろしいという事。

 

ただただ「大変になった」と騒いでいる学生もいるはいるものの、やはり一定数は別に動じることもなく、冷静に分析している。

それにしても、政治意識のもっとも高い国の一つであろうアメリカにおいても、ここまでポピュリズムが猛威を振るっているという事は、別に根拠があるわけではないが、世界中がこの旋風に巻き込まれていくのは間違いないだろう。

 

その先に行きつく先は何か。

 

孤立主義により、歯止めの効かなかったグローバリズムに終止符が打たれるのであれば、それはよいことだ。

 

しかしこの現象がナショナリズムを土台にしていることを忘れてはならない。

 

既得権益層の妥当という同じテーマを追求しながら、社会民主主義的な方法でそれを追求したサンダースではなく、ファシズム的にそれをしようとしたトランプが支持されたことからも、それは明らかだ。

 

自国中心主義と、他国尊重主義は両立しえるのか。

 

反グローバリズムに必要なのは、狂信的なナショナリズムではなく、他者への寛容である。

 

今朝の朝日新聞で想田和弘氏が述べていたが、

「どうせ狂信的に何かを信じるならば、特定の宗教や国家ではなく、人類、地球、宇宙といった大きいスケールで出来ないものだろうか」

 

人間は物事を枠にはめることを好む。

なぜならそうすることで物事を理解した錯覚を得られるからだ。

これだから日本人は。アメリカ人は。男は。女は。

全て同じ「人」であり、多くの人が多様に動いているだけなのに、その多様な動き一つ一つを丁寧に観察しようとせずに、簡単に枠にはめて、理解した気になる。

たしかに地球規模でまとまろうと思えば、大変だ。数が多いし利害も異なる。

でも地球がなくては生きていけない、という根本では利害は一致する。

さらに簡単に枠にはめず、一つ一つの違いをじっくり考えてみれば、国籍や性別に直接起因する違いなんて、ほとんどないだろう。

 

簡単に枠にはめて、敵と味方の違いを作り出すことは簡単で気持ち良いし、勝利も得られやすい。

 

でも、一回敵に勝利すれば、それで得られる満足感を糧に生活していたのであれば、また新しく敵を作って倒さねばならない。新たな敵を作るには、今まで味方だと思っていたものの中にさらに新しく枠を建設して、区別する必要がある。

 

そんなことが続けば、いったいどこで人間はまとまれるというのか。

 

こどものために、誰かのために、国のために頑張る。それで活力が得られるのであれば、いっそ人類の未来のために頑張ろう。

 

または、私はそんな高尚なこと出来ないし、下手に集団のために頑張って他集団との利害関係を生じさせたくないので、自分の幸せのために頑張ります。