「ハンティングに行く」と友人に言うと、反応は様々だ。

 

「え、動物殺したいの?」「かわいそう」「大切なことだと思うよ」

それぞれ違う反応が返ってくる。

 

実際私はハンティングに何を求めるのだろう。

 

一番は、「自分が何を食べているのか知りたい」ということかもしれない。

 

人間も動物であり、かつては食料入手に生活の全精力を捧げてきた。

今日何を手に入れて、どう食べるかということは、人間にとって最大クラスの関心事だったわけだ。

しかし今は、そんなこと誰も気にしない。少なくとも私は全く自覚していない。

カフェテリアで取ったこの食べ物が、もともとはどんな形をしていて、どこで生まれて、どのように「調理」されたのか、私は全く気に留めていない。

 

そんな私たちの背後では、驚くべきことが起きているのだという。

 

先進国の食べ物は、その大半が「トウモロコシ」で出来ているらしい。

 

牛も、豚も、鶏も、パンも、スナックも、フライドポテトも、野菜も、コカ・コーラも、果ては燃料に至るまで、すべてはとうもろこしから出来ている。

 

とうもろこしはその生産性と安価さから、飼料、植物油、コーンスターチ、肥料、エタノールなどに形を変えて、あらゆるものの熱量源となっている。

 

で、なにが問題なのか。それはどの立場から見るかによって変わるだろう。

 

とうもろこしの立場から見れば万々歳だろう。

もともとは南アメリカ大陸でしか栽培されてなかったのに、今や植物、いや生物界の覇者だ。

 

農家の立場からすると状況は厳しいらしい。

とうもろこし一点集中の画一的農業は、災害など予想外のリスクに弱い。

さらに、機械的な大規模栽培によって土壌の栄養分は大幅に失われ、結果として腐食や流出を招く。

また単なる大量生産はもはや人手を必要としなくなり、多くの農夫が職を失った結果アメリカの田舎町の多くがゴーストタウンと化した。

 

また家畜の立場からすると、例えば牛はもともと消化しにくい草を食べるように徹底的な消化器官を進化させてきたのであるが、そんなところにきわめて消化しやすいとうもろこしばかり給餌される羽目になったのだ。結果的に、消化管内の大幅な酸性化を招き、牛たちは本来かかるはずのなかった病気に苦しんでいる。

 

▲牛の多くは、病気に起因する健康管理のため体に穴をあけられている。

 

人間の立場からするとどうだろう。

コーン、コーン、コーン。そしてそれが肉、油、砂糖になる。健康に悪いのは明らかだ。

 

ファーストフードに代表される現代食料システムというのは、一見すると人間が作り出したもっとも効率的なシステムであるかのように思える。

誰しも(先進国の!)が安価にカロリーを摂取できる時代なのだ。

 

しかし実際には、人類が積み重ねてきた歴史を逆行させている、70億総後悔システムに他ならない。

 

そもそも料理が生まれてきたきっかけを考えてみよう。

 

生の魚を多く食べる地域では、ワサビと一緒に食べ合わせたり、ライムのしぼり汁をかけたりすることが除菌作用をもたらすことを人々は経験的に把握し、そうした知識の積み重ねに沿って料理文化を発展させてきた。

いわば料理というのは、その土地柄、特産物に合わせて、合理的かつ栄養バランスよく食べられるよう、自然に発達してきたものなのだ。

 

しかし、今私たちが食べているものは違う。

 

いかに安価なカロリーを大量生産できるか、いかに生活の中で食事の占める時間的、精神的リソースを削減できるかに沿って考え出されたこのシステムは、健康や持続可能性といった本来最も重要な部分をないがしろにしている。

 

<続く>