いちばん印象深い
海賊
交流させていただいているマサミさんの情報によりますと
1963年に初来日したお二人の海賊の鑑賞した
薄井憲二先生が
『バレエが始まり、かみ手からゆっくり登場してくるヌレエフの姿がなんとも言えない。存在感などというありきたりの言葉ではとても表現しきれない。舞台を圧し、劇場を圧し、世界を圧した。天と地の間を、ただ一人支配した」
と、あります
ヌレエフの伝記はたくさん映画やドキュメンタリーで見てきたのですが
手元に資料がありません
最近では ホワイト•クロウ
を観ました。
この映画での収穫は、亡命に尽力したのは
後のバリ•オペラ座芸術監督 ピエール•ラコットであった事を知れた事です
これが後の
パリ・オペラ座芸術監督就任のきっかけとなったのは間違いないと思います
お世話になった教師プーシキンの奥さんを寝とるなど私生活は問題児エピソードたくさんあり
彼の亡命は、彼のダンサーとしてのキャリアとしても
ヨーロッパのバレエの活性化としても
かなり貢献していると思います
当時のロシアは演目や政府の目など
拘束がかなり厳しく、自由を求めてヨーロッパへ行ったところはニジンスキーに似ているかも知れません

このことは
パートナーシップを築いたマーゴット•フォンティーンにもメリットがありました
当時マーゴは40代、英国ロイヤルバレエ団の大スターでしたが引退を囁かれた頃
でもマーゴの夫は軍人で負傷しており、彼女は働かなくてはいけなかったようです
ヌレエフとは親子ほどの歳の差がありましたが
2人のパートナーシップのおかげで
マーゴはダンサー生命が延び
ヌレエフは水を得た魚のようにヨーロッパのエレガンスとロシアの熟成された古典を融合し、体現していったのです
2019年12月にロンドンへ行き英国ロイヤルバレエや、マシュー•ボーンの赤い靴など鑑賞しました
バレエショップのフリードはロイヤルバレエの劇場
のあるコベントガーデンにあり
買い物をしたり
食事をして楽しみました
どこへ行ってもマーゴット•フォンティーンの写真や絵が飾れており
ロンドン市民がいかに彼女を愛していたかが伝わってきました
マーゴの生誕100周年ということもあったようですが、生のマーゴを見たことがない私は少し残念です
私は映像でしか2人のバレエを見たことがないのですが
跳んだり、回ったりすることは技術であり
それはバレエの表現方法の一つでしかないと
素晴らしいダンサーほど言っているように感じます
2人の海賊のパ•ド•ドゥ(本来はコンラッド、メドーラ、アリの3人で踊るが衣装からするとメドーラとアリ)の前半の半ば
2人で手を繋いで下手前を見てアラベスクする所があるのですが
2人の視線の先に大海原が見えると表現した評論家がいましたが
まさに私もそう思いました
視線だけでもパ•ド•ドゥだけでもストーリーや背景が見えるのは素晴らしいダンサーである証拠だと思います
パ•ド•ドゥの冒頭で見せる
アリのメドーラへの敬意のようなポーズ
私は気品ある優美な姫君メドーラが
首領であるコンラッドではなく、奴隷のアリと踊る様が
イギリスのクイーンに東欧の勇敢な若者が忠誠を誓っているように見えて歓迎したのではないかと
なんとなく勝手に分析しています



