わたしはいわゆるブランドものを持っていない。
単純に興味がないのだ。

シャネルやヴィトン、エルメス、プラダ。
一流ブランドには一流になる理由がある。
唯一無二の存在だし、仕立ては素晴らしいし、そのデザイナーの血そのものだろうと思う。
だからこそわたしには持てない、と思ってしまうのだ。
その良さが本当に分からないのに持つ資格がない、と。

大学生のときヴィトンのボストンが大流行して、そこここで持ち歩いている学生を見るたびに疑問が湧いた。
それは、「流行ること」そのこと自体への疑問だったのだと今になって思う。
好みも価値観も違う人間が大挙して同じものを持つ、という光景が不自然に見えて仕方がないのだ。

ちょうどアムロブームまっさかりでまさにコギャル旋風が巻き起こった高校生だったあの頃も、同じ理由でわたしだけ髪の色もスカートの丈も標準値を守った。
それは別に意地でもなんでもなくて、興味を持てなかったからだ。
そうして、興味がないことに手を出すほど、好奇心旺盛ではなかったのだろう(興味を持った唯一のこと、ピアスだけは空けたけれど)。
昔から流行に馴染めない性質だったのだと思う。
個性的な人は大好きだったし、そういう人にばかり惹かれた。
アーティストならJUDY AND MARYやCHARAやスピッツ、マイナーバンドの発掘。
たぶんわたしは、大衆の中で個性を主張する自信がなかったのだ。
そうしてそれは、今でもそう。


考えてみると、「流行」というのは奇跡的な現象だ。
性差や老若男女の壁はあるかもしれないけれど、圧倒的に市場を巻き込んでしまう力。
重要やタイミングだけじゃない特別なエネルギーがそこには必要で、もしも意図的にそれを狙うのだとしたら、その時何を考えて何を捉えるのだろう。