ALOHA!
本日9月26日は母の命日です。主人にお墓参りに連れて行ってもらいました。母は仏花は好きじゃなかったので、あえてラブリーな小さなブーケをお供えします。そして主人やボーイズのことを報告します。主人とは母が亡くなってから出会いましたが、私は天国の母が引き合わせてくれたと信じています。
幼い頃の母です。
母は開業医の家庭で育ち、勉強大好きな人でした。それでも戦争中は製糸工場で働いて、周りに焼夷弾が降ってくる恐怖も話してくれました。開業の始祖である私の曽祖父の名前の一文字をもらって、梅子と名付けられました。以前NHK朝ドラマで「梅ちゃん先生」というのをたまに観ていましたが、まさにあの世代を生きた人でした。曽祖父も美濃の国から歩いて東京に行き、書生をしながら苦学して東大で医学を学んだのですが、その遺伝子を引き継ぎ、優秀な医学生だったようです。でも勉強しかしていなかったので、ご飯もお味噌汁さえ作れないまま父と結婚したので、その時代の普通のお母さんとはかなり違っていました。
とにかく読書好きで、仕事から帰宅すると一目散に読書。食事の支度は料理得意な父が…(^_^;)私は小さかった頃から台所が大好きだったので、料理の基本は全て父から。母からは徹底的に勉強の習慣とピアノとソルフェージュを義務付けられました。でも大好きな絵本はたくさん買ってくれますし、たまにデパートに連れて行ってくれて私の洋服を買ってという楽しいこともありました。
父と開業してからは、ひたすら眼科医として働く日々、私はなかなか話も聞いてもらえないのが寂しくて、自然に動物たちと仲良くなっていきました。年がら年中、捨て猫を拾っては綺麗に洗って世話をしましたが、そのあたりは非常に寛容でした。その代わり、勉強をサボるとめちゃくちゃ叱られたものです。私は母ほど優秀な頭脳を持っていないので、祖母に比較されると少し辛かったですね。
スパルタの勉強方針が負担で、さらに理系に進学を強制された高校生の時は厳しかったですが、やっぱり生き物たちに癒やされながら、なんとか乗り切りました。大好きな語学を専門には大学で学べなかったことが逆に今、楽しみとしての語学と付き合えるように思えるようになりました。母と初めての海外旅行は先日のシャネルジャケットの記事でも書かせていただいたフランス・スペインの旅でした。ついこの前も、その時の写真アルバムを見ましたが、母とはもっと旅行に行きたかったです。
多忙な日々の中で悪性の乳癌を患い、医師であったが故に、わからなくてもいいことまで自分でわかってしまう母にとっては、辛い闘病生活だったと思います。入退院を繰り返した一年半余り、それでも退院したらケロリとまたいつも通りに診察していました。「患者さんが待ってるから」と…私は残された時間をゆっくり母と過ごしたい気持ち、甘えたい気持ちもありましたが、亡くなる二週間前まで診察していた母を医師として本当に尊敬しています。
今日はお墓参りの後で実家の父に食事に連れて行ってもらって、母のエピソードを色々話せました。元気でいてくれる父、天国の母が守ってくれているんじゃないかしら?と思います。だって、母の最期の言葉は「パバ……」でしたから…。
両親の結婚写真です。いつもリビングに飾ってあります。
最近よく実家の昔あった庭の夢をカラーでイキイキと見ます。母も祖母もばあやもみんな元気で…夢の中で私は「なぁんだ、みんな元気だわ」と嬉しくなります。昔飼っていた猫ちゃんや大きなコリーや、とにかくオールスターで…でも決まって目を覚ますと泣いているのです。母さんとなり、ワンちゃん猫ちゃんの母さんもやって、こんなおばちゃんになって、何が心細いのか、自分でも情けないです。
母は私にいろんなものを遺してくれました…単に物だけじゃなくて…一番は私の身体半分の母の遺伝子。もうちょっと賢い遺伝子がたくさん出ると良かったのですが、父に言わせると、読書する姿が母そっくり!なんですって。美しいもの、ラブリーなものが大好きなこと。生き物たちがめちゃくちゃ好きなこと。子供の勉強に過度に期待したり一喜一憂するのも同じかも。大正ロマンの時代に日本女子大で学んだ祖母から母へ、そして私へ。祖母の口癖「勉強して頭の中に入れたものが財産。だから勉強をしっかりおやりなさい。お金や土地はなくなったり、取られたりしてしまいますからね。でも頭の中のものは誰にも取られないんですよ。」祖母は「花子とアン」のジェネレーション。
物の中では母から受け継いだジュエリーを大切にしています。手放すなんてできません。お出かけの時に何か一つ母のジュエリーを着ける事…母の愛読した本の数々も大事です。今となっては叶わぬことですが、「この本、どんな感想だったかしら?」と得意の想像力で考えたりしてます。
来年の命日までまた日々頑張って行かなければ…そして良い報告をたくさんしたいものです…σ(^_^;)そのためには自分を含めて家族が健康でいられること。天国の母にいつ再会できますか、それまではとにかく一生懸命に生きるしかありませんよね。
今回はここまでです。私的な記事を最後まで読んで下さって有り難うございましたm(_ _)m読者の皆様に感謝しますm(_ _)m
MAHALO!
iPhoneからの投稿
本日9月26日は母の命日です。主人にお墓参りに連れて行ってもらいました。母は仏花は好きじゃなかったので、あえてラブリーな小さなブーケをお供えします。そして主人やボーイズのことを報告します。主人とは母が亡くなってから出会いましたが、私は天国の母が引き合わせてくれたと信じています。
幼い頃の母です。
母は開業医の家庭で育ち、勉強大好きな人でした。それでも戦争中は製糸工場で働いて、周りに焼夷弾が降ってくる恐怖も話してくれました。開業の始祖である私の曽祖父の名前の一文字をもらって、梅子と名付けられました。以前NHK朝ドラマで「梅ちゃん先生」というのをたまに観ていましたが、まさにあの世代を生きた人でした。曽祖父も美濃の国から歩いて東京に行き、書生をしながら苦学して東大で医学を学んだのですが、その遺伝子を引き継ぎ、優秀な医学生だったようです。でも勉強しかしていなかったので、ご飯もお味噌汁さえ作れないまま父と結婚したので、その時代の普通のお母さんとはかなり違っていました。
とにかく読書好きで、仕事から帰宅すると一目散に読書。食事の支度は料理得意な父が…(^_^;)私は小さかった頃から台所が大好きだったので、料理の基本は全て父から。母からは徹底的に勉強の習慣とピアノとソルフェージュを義務付けられました。でも大好きな絵本はたくさん買ってくれますし、たまにデパートに連れて行ってくれて私の洋服を買ってという楽しいこともありました。
父と開業してからは、ひたすら眼科医として働く日々、私はなかなか話も聞いてもらえないのが寂しくて、自然に動物たちと仲良くなっていきました。年がら年中、捨て猫を拾っては綺麗に洗って世話をしましたが、そのあたりは非常に寛容でした。その代わり、勉強をサボるとめちゃくちゃ叱られたものです。私は母ほど優秀な頭脳を持っていないので、祖母に比較されると少し辛かったですね。
スパルタの勉強方針が負担で、さらに理系に進学を強制された高校生の時は厳しかったですが、やっぱり生き物たちに癒やされながら、なんとか乗り切りました。大好きな語学を専門には大学で学べなかったことが逆に今、楽しみとしての語学と付き合えるように思えるようになりました。母と初めての海外旅行は先日のシャネルジャケットの記事でも書かせていただいたフランス・スペインの旅でした。ついこの前も、その時の写真アルバムを見ましたが、母とはもっと旅行に行きたかったです。
多忙な日々の中で悪性の乳癌を患い、医師であったが故に、わからなくてもいいことまで自分でわかってしまう母にとっては、辛い闘病生活だったと思います。入退院を繰り返した一年半余り、それでも退院したらケロリとまたいつも通りに診察していました。「患者さんが待ってるから」と…私は残された時間をゆっくり母と過ごしたい気持ち、甘えたい気持ちもありましたが、亡くなる二週間前まで診察していた母を医師として本当に尊敬しています。
今日はお墓参りの後で実家の父に食事に連れて行ってもらって、母のエピソードを色々話せました。元気でいてくれる父、天国の母が守ってくれているんじゃないかしら?と思います。だって、母の最期の言葉は「パバ……」でしたから…。
両親の結婚写真です。いつもリビングに飾ってあります。
最近よく実家の昔あった庭の夢をカラーでイキイキと見ます。母も祖母もばあやもみんな元気で…夢の中で私は「なぁんだ、みんな元気だわ」と嬉しくなります。昔飼っていた猫ちゃんや大きなコリーや、とにかくオールスターで…でも決まって目を覚ますと泣いているのです。母さんとなり、ワンちゃん猫ちゃんの母さんもやって、こんなおばちゃんになって、何が心細いのか、自分でも情けないです。
母は私にいろんなものを遺してくれました…単に物だけじゃなくて…一番は私の身体半分の母の遺伝子。もうちょっと賢い遺伝子がたくさん出ると良かったのですが、父に言わせると、読書する姿が母そっくり!なんですって。美しいもの、ラブリーなものが大好きなこと。生き物たちがめちゃくちゃ好きなこと。子供の勉強に過度に期待したり一喜一憂するのも同じかも。大正ロマンの時代に日本女子大で学んだ祖母から母へ、そして私へ。祖母の口癖「勉強して頭の中に入れたものが財産。だから勉強をしっかりおやりなさい。お金や土地はなくなったり、取られたりしてしまいますからね。でも頭の中のものは誰にも取られないんですよ。」祖母は「花子とアン」のジェネレーション。
物の中では母から受け継いだジュエリーを大切にしています。手放すなんてできません。お出かけの時に何か一つ母のジュエリーを着ける事…母の愛読した本の数々も大事です。今となっては叶わぬことですが、「この本、どんな感想だったかしら?」と得意の想像力で考えたりしてます。
来年の命日までまた日々頑張って行かなければ…そして良い報告をたくさんしたいものです…σ(^_^;)そのためには自分を含めて家族が健康でいられること。天国の母にいつ再会できますか、それまではとにかく一生懸命に生きるしかありませんよね。
今回はここまでです。私的な記事を最後まで読んで下さって有り難うございましたm(_ _)m読者の皆様に感謝しますm(_ _)m
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