「微笑もて正義を為せ!」


いいモットオが出来た。紙に書いて、壁に貼って置こうかしら。


ああ、いけねぇ。すぐそれだ。


「人に顕さんとて」壁に貼ろうとしています。僕は、ひどい偽善者なのかも知れん。よくよく気をつけなければならぬ。


中略


微笑もて正義を為せ!爽快な言葉だ。以上が僕の日記の開巻第一ペエジ。


それから今日の学校の出来事などを、少し書こうと思っていたのだが、ああもう、これは酷い埃です。口の中まで、ざらざらしてきた。とても、たまらぬ。風呂へはいろう。


いずれまた、ゆっくり、などと書いて、ふと、なあんだ誰もお前を相手にしちゃいないんだ、と思って、がっかりした。誰も読んでくれない日記だもの、気取って書いてみたって、淋しさが残るばかりだ。智慧の実は、怒りと、それから、孤独を教える。


今日、学校の帰り、木村と一緒にアズキを食いに行って、いや、これは明日書こう。木村も孤独な男だ…


✒︎太宰治

『正義と微笑』(昭和17年)より抜粋








🎓恩師

太宰治に『正義と微笑』という小説がある。16歳の「僕」の日記です。


しかめっつらした正義でなく、自然体の正義でいい。自分らしく、肩肘張らずにいけばいいと思う。


正義など、どうでもいいというのは楽かもしれないが、その代わり、人生の本当の深さも、喜びも、充実も、向上も、価値も、幸福も、何ひとつ味わえない。ただ動物のように、欲望に流されていくだけの人生です。何という、つまらない人生か。


諸君は、自分が「これは正しい」と信じるものを、まっすぐに貫いていけばいい。つまずいても、そのたびに、また立ち上がって進めばいい。


そうやって挑戦し続けるなかで、最高の正義の道に進んでいけるのです。




いかなる時も、少しずつでも歩いていれば、目的地に到着できる。当たり前のことだが、止まってしまえば、絶対に前には行けない。動いていれば、少しでも前進できる。


いかなる分野であれ、一事に精通し、また、社会の一隅を照らしゆく何らかの貢献を果たす人は、共通した道を歩んでいる。それは、絶えざる精進を忘れない「努力の道」である。それなくして、魂の結晶としての人生の成就はない。


「努力」を続けることは、決して楽ではない。しかし、「努力」した人には「勝利」が待っている。その意味で「努力」は嘘をつかない、正直である ー ともいえよう。


いかなる天才も人に倍する努力を重ねているものである。ある意味で、才能とは、長い努力に耐える力にほかならず、そこに勝利の栄冠がある。敗北とは、困難に負けて自分で自分を見放してしまうことである。


努力とは、平凡なことかもしれない。しかし、平凡なことを、倦まず弛まず持続していくことは、まぎれもなく非凡なことであろう。


そして、人生における真実の勝利を手にする人は、何か特別の才能に恵まれている人ではなく、そうした平凡にして非凡な道を着実に歩み続けた人であることを忘れてはならない。


この平凡と非凡の間にある道程から視線をそらすことなく、最後まで歩み抜く人こそ、最も賢明なる人とはいえまいか。





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