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🎓恩師との語らい③
〜高校生に向けて〜

学校

ひまわり自由ひまわり





Chapter①

自由とは、遊びや浪費ではない


ニコ今回のテーマは「自由」についてです。「君は自由か?不自由か?」と聞かれると、大半の人は「不自由だ」と感じる時があるようです。


🎓規則がなければ、また、お金や時間がいっぱいあれば、うちの親がいなければ(笑)、どんなに自由だろうと思っている人もいるだろう。


しかし、それは、まだ人生を浅く考えているし、社会の表面だけを見ている。


自由といっても、自分が心の底から「何を」したいと願っているのか。自由とは、遊ぶことではない。浪費することではない。時間があることではない。休日が多いことではない。気分のまま、気ままに生きるのは「放縦」であって「自由」ではない。


自由とは、いかに、自分自身を高揚させていくか、自分自身の目的に向かっていくか ー その中にこそ、黄金のような「自由」が散りばめられ、光っているのです。


うーん確かに「遊ぶことが自由だ」と、つい思ってしまいますが、違いますね。


🎓実は、自由があるからこそ、勉強ができる。自由があるからこそ、学校へも行ける。それを不自由と捉えるところに、人生の大きな錯覚がある。


学校に行くのを、権利ととるか、義務ととるか。自由か、不自由なのか ー 自分自身の哲学、智慧を持っているかどうかで、全てが変わってくる。


「受け身」になったら、どんな自由な環境であっても「不自由」な自分になる。「攻め」の一念になれば、どんな不自由な環境であっても「自由」な自分になれる。


病気の人は、学校に行けない。戦争中の国の子どもも、学校に行けない。行ける人は、行ける自由が分からない。行けることは最大の自由なんです。勘違いしてはいけない。


ウインク学校に行けるということは、本当は、凄く恵まれていることなのですね。


🎓アメリカで、多発性骨髄腫という病気にかかった青年がいる。次第に体が衰えていく、骨の癌です。


彼は、最後の2年間、全身をギプスで固め、車椅子に乗ったまま地域の高校を回り、薬物乱用が、いかに害をもたらすかを話をした。


「君たちは、自分の身体をニコチンやアルコールやヘロインで壊してしまいたいと思っていますか?自分の身体が車の中で粉々になってしまえばよいと思っていますか?気持ちが沈み込んで、金門橋から身を投げ出したいと思っていますか?もしそうなら、私にその身体をください!それを私のものにさせてください!私はそれが欲しいんです!私は生きたいんです!」


講堂での彼の演説を聴いて、皆、体が震えたという。(ジュリアス・シーガル『生き抜く力』)


旧ユーゴの戦争の中で、子どもたちは言っている。



「僕には色んな夢があったけど、戦争が全てを奪ってしまった」「僕らの夢は友だちがみんな一緒に普通の暮らしができるようになって、学校へも行けるようになることだ」(堅達京子・稲川英二『失われた思春期』)と。



最近、アフリカのルワンダでも、残酷な内戦があった(1990-94)。



ある少年は、親を失い、お婆さんと従兄弟たちだけになってしまった。


誰かが働いて暮らしを支えなければならない。子どもたちの一人は、学校を諦めざるをえなかった。結局、この少年が働くことになった。つらくて、何度も何度も朝まで泣いた。今は、学校に行っている従兄弟から勉強を教わっているそうだ。(『毎日新聞』1997年7月19日付朝刊)



アセアセそういう人たちと比べたら、日本の高校生は、どんなに自由かということですね。



Chapter②

自由とは、どんな境遇にも負けない強さ


🎓そのとおりです。しかし、それだけでは、環境が全てを決めるような考え方になってしまう。


そうではない。人間とは、人生とは、そんな簡単なものではない。本当の自由とは、この世で一番不自由な牢獄の中でも、境涯の広い人は「自由」なのです。


ノーベル平和賞を受賞した、アルゼンチンのエスキベル博士は、「獄中で私は『自由』への意識を持つことを学びました」と語っておられた。


アドルフォ・ペレス・エスキベル

【1931-】平和運動家、彫刻家、建築家。国外追放や投獄処分を受けつつ、"非暴力による闘い"をスローガンに、中南米の人権擁護運動を展開。1980年、ノーベル平和賞を受賞。


モスクワ児童音楽劇場総裁のサーツさんも、牢獄を"学校"にして、圧政と戦った人です。


ナターリヤ・サー

【1903-93】舞台監督。8歳で父親を亡くすも音楽の家庭教師として働く。モスクワ市の演劇音楽局に就職し、一人で児童演劇課を設立。人々からの理解が得られず批難されるも音楽家のプロコフィエフなどの協力を得る。子どものための音楽劇場建設など、子ども文化一筋に活動した。


幕末の吉田松陰も同じだ。野山獄で、囚人を相手に講義をし、皆を勇気づけている。最後は、獄吏までも講義を聴いた。


吉田松陰


【1830-59】幕末期の思想家、教育者。黒船渡来の際に密航を企てて捕らえられるが、萩(山口県)に松下村塾を開いて多くの志士を輩出する。安政の大獄に連座し、獄中で刑死した。


ニコどこにいようと、何があろうと、自分の境遇に負けない人が「自由」なんですね。


🎓そうです。有名なヘレン・ケラーを知っているでしょう。


ヘレン・ケラー

【1880-1968】障害者権利の擁護者、政治活動家、講演家。幼少期に盲目の日本人、塙保己一を手本に勉強したという。男女同権を主張、人種差別や死刑制度、第一次世界大戦の殺戮に反対したためFBIや日本の特高警察から監視対象となった。


彼女は1歳半で、目も見えず、耳も聞こえなくなってしまった。もちろん話すこともできなかった。しかし、サリバン先生と"師弟不二"の努力によって、読み書きを覚え、ハーヴァード大学を卒業した。


三重苦 ー 不自由といえば、これほど不自由はないかもしれない。「闇」と「沈黙」だけが彼女の世界だった。しかし、彼女は、自分の心から「闇」を追い出した。


9歳の時、彼女は初めて自分の声で「暖かいです」(It's warm)と一つの文章を発音できた。その時の「驚きと喜び」を、彼女は生涯忘れなかった。話せないという「沈黙の牢獄」から抜け出すんだと戦って、彼女は勝ったのです。


想像もできないような努力を重ねて、彼女は後に、世界中を講演して回って、身障者の人々を励まし続けた。日本にも何度も来た。世界に「勇気」を与えました。


彼女は負けなかった。誇らかに、希望という「太陽」に顔を向け続けた。勉強についても、他の学生が楽しく踊ったり、歌ったりしている間に、彼女は「指文字」で教科書を教えてもらいながら、時には、挫けそうにもなった。


「私は幾度か滑り落ちたり、転んだり、立ち止まったり、離れた障害物にぶつかったり、腹を立てたり、沈んだり、機嫌を直したりしながら、重い足を引きずりつつ少し先へ進んでは幾らか元気を回復し、いっそう熱心を奮い起こして更に高く登り、しだいに開けゆく地平線を見始めるのでありました。一つの苦闘は一つの勝利でありました」(ヘレン・ケラー『私の生涯』)


笑い泣き「一つの苦闘は一つの勝利」。本当に感動的な言葉です。


🎓彼女は言っている。「そうだ、心のワンダーランドにおいては、私は他の人と同じ自由を持つであろう」。


彼女の勝利宣言です。彼女は「自由」を自分で勝ち取ったのです。「自由」という山頂に、自分で這い上がったのです。



Chapter③

「実力」をつけずして、本当の「自由」はない


ウインク強い人生ですね。ある高校生から「やる気はあるんですが、学校、家庭、部活と忙しくて疲れます。どうしたら、こんな自分を変えられるでしょうか」という質問もありました。


🎓強くなることです。強くなればなるほど、自由になれる。体力のない人は、500㍍の山でも登るのは大変だろう。病気の人は、登ることもできない。健康な人は、楽しく、爽やかに登るだろう。


だからこそ、自分自身を強くすることです。勉強も、部活も、全てやり切れる自分になることだ。


「力」があれば「自由」になれる。スポーツもそう、楽器の演奏もそう。自由自在にプレイするためには、実力をつけなければならない。技術がなくてはならない。


そのためには、自分を不自由な立場に置いてでも、懸命に練習しなければならない。苦労と相反して、自分のしたいことだけをやっているのは自由ではない。それでは、「放漫」であり、わがままです。


イラッ悪いマスコミの言う「言論の自由」というのも単なる無軌道であり、他人の人権と自由の破壊です。


🎓自由とは「自律」の中にある。現実の社会・生活は、何かに縛られている。放縦ではない。無軌道ではない。


太陽も、朝出て、夕方には沈む。星も夜だけ輝く。皆、それぞれの役目を持っている。それぞれの軌道にのっとって、運行している。その意味では自由ではない。


朝起きて学校に行ったり、部活をすることは、今の諸君たちが歩むべき「軌道」なのです。絶対に、すべきだと思う。


それをやらずして本当の自由もない。「力」をつけずして、強くならずして、本当の自由はない。


知力、体力、精神力、生活力、経済力 ー 力があれば「自由」になれる。その最高の力が「精神の境涯」なのです。



Chapter④

苦闘の中にこそ自由は育つ


ニコやるべきことから「逃げる」のは、「自由」ではないということですね。


🎓もちろん「逃げる自由」もある。しかし、それは小さな自由だ。最後は、何の力もない、ひ弱な自分になり、行き詰まり、最大の不自由の人生になってしまう。


小さな自由に対して、大きな自由もある。「苦に徹すれば珠(たま)となる」という吉川英治氏の言葉がある。


吉川英治

【1892-1962】小説家。父親の事業の失敗で高等小学校を中退。いくつもの職業を転々とする中、懸賞小説で一等となり東京毎夕新聞社に入社。娯楽性と教訓性を持ち合わせた作風で大衆文学に新しい分野を開拓した。主著に『三国志』『新平家物語』『私本太平記』『宮本武蔵』など。文化勲章受賞。


苦しんで苦しんで自分を磨き抜いていけば、珠のように厳然と輝く自分になれるのです。「珠」となれば、何ものにも負けない。自由です。勝利です。それを自覚していれば、「苦労」でさえ楽しみです。自分が決めて、敢えて苦労していく ー それが「大きな自由」です。


船は、海があり、波があるから航海できる。飛行機は、空気の抵抗があるから揚力が生まれ、空を飛べる。おなかがすいているからこそ、ご飯が美味しく感じられる。


自由とは、相対的なものです。何もかも自由になることなどない。現実には、ありえない。不自由があるから、自由を感じられる。空気の抵抗が何もない真空状態では、飛行機は飛べないのです。また、不自由は、自由を求めているからこそ感じるとも言える。


「自分は自由だ」と言って、苦労から逃げても、「自分自身」からは逃げられない。自分の弱さや性格、宿命からは逃げられない。自分の影から逃げられないのと同じです。


いわんや生老病死すなわち、生まれ、生きる苦しみ、老いる苦しみ、病む苦しみ、死ぬ苦しみから逃げられるわけではない。


苦しみは、逃げれば逃げるほど追いかけて来る。犬のようなものだ。だから、立ち向かうしかない。


ニコ睡眠時間を削って、今、国家試験に向けて勉強しているという人がいます。その人が「一番苦しい時が、一番楽しい」と言っていたのが印象的でした。


🎓いい言葉だね。自由とは、不自由と表裏一体です。一番多忙な人は、一番不自由なようで、一番本当の自由を謳歌している。


時間的な自由というのは「空(くう)」です。時間の長さは基準にならない。時間がたくさんあるから自由とは言えない。


問題は中身です。同じ時間でも、自由を満喫している人もいれば、不自由を感じて文句を言う人もいる。同じ1時間でも、テレビを見て、あっという間に過ごしてしまうこともあれば、勉強をして充実して過ごすこともある。その1時間で、人生の大きな転機を迎えることもある。


自由とは、自分の生きる価値、自分の価値観で決まるのです。


ドストエフスキーというロシアの文豪を知っているでしょう。


フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー

【1828-81】作家。ロシア社会の諸相と人間の苦悩を先鋭に浮き彫りにする心理小説を著し、現代の文学・思想に大きな影響を与えた。主著に『罪と罰』『悪霊』『カラマーゾフの兄弟』など。


彼は若き日に、革命運動のために逮捕され、銃殺刑が宣告された。処刑場に連れ出され、仲間が縛りつけられた。小銃が囚人に向けられた。自分は5分後には、この世にはいない ー そう思った時、彼は、その5分間というものが莫大な富に思えた。そして考えた。


「もし死なないとしたらどうだろう!もしも生命が返って来たら!ー それはなんという無限なのだ!しかもそれがすっかり自分のものだとしたら!そうしたら俺はその1分1分を長い100年として、なに一つでも失わないようにし、その1分1分をきっかりと計算して、もうなに一つ無駄に費やすことのないようにするのだがなあ!」(『白痴』)


結局、処刑は直前で取りやめになった。これは極限の体験だが、人生の残り時間が5分にせよ、5年にせよ、50年にせよ、1分1分を大切に生きるべきだという点で変わりがない。


要するに、自由とは、自分の生きる価値で決まる。自分の心・境涯で決まる。


そこに自由があるのに、自分はそれを分からずに、不自由と思っている場合もあるだろう。同じ場所にいる人が、大いなる自由を感じている場合もあるだろう。


同じ「自由」を、立派に価値創造に使う人もいれば、気ままに浪費して不価値・反価値にしてしまう人もいる。自由の名を叫びながら、自由を破壊する人もいる。"自由"の中に、価値と不価値を含んでいる。


結論は、自分自身を支配できた人こそが、本当の自由なのです。賢者は自由人、愚者は奴隷なのです。



Chapter⑤

人間革命へ「今なすべきこと」に勝て‼︎


🎓今も世界には、「貧困」や「抑圧」や「恐怖」に縛りつけられたり、「無知」に縛りつけられたり、「戦争」や「差別」に自由を破壊されている人々は多い。そういう人々の自由のために立ち上がり、戦う人こそが、本当の自由人なのです。私は、諸君に、そういう人になってほしいのです。


そのためにも、今、自分自身のなすべきことに、立ち向かい、突き抜けて、勝利してもらいたい。その苦闘の中に、「自由」は自然とつくられていくのです。木が根を張りながら、大空に向かって伸び、大きくなり、花を咲かせ、実をつけるように。


だから、「青春」の君よ、希望という「太陽」に向かって進め!と呼びかけたいのです。





『青春対話』(1997)




池田大作

【1928 -2023】

創価学会名誉会長(第3代会長)、SGI会長。

創価大学・アメリカ創価大学、公明党、聖教新聞、

民音、富士美術館 創立者。文筆家。



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