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5月3日は「日本国旗憲法記念日」ですね。

小説家・劇作家として、日本は元より、世界的な評価を受けている三島由紀夫。

高度成長期の真っ只中、日本国憲法の矛盾を叫び、自刃に倒れた三島由紀夫。

革命家としての三島由紀夫について、亡き恩師が書き遺した考察と所感から学びたいと思います。





1970年(昭和45年)…

11月の25日のことであった。衝撃的なニュースが流れた。作家の三島由紀夫が割腹自殺したのである。


彼は、この日午前、自分が主宰する民間防衛組織「楯の会」の青年4人と、東京・市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監部で総監を監禁。自衛隊員を集めさせ、バルコニーから演説を行った。

憲法を改正し、自衛隊を国軍とすることや、天皇を中心とする伝統などの擁護を訴え、決起を呼びかけたのである。

カーキ色の「楯の会」の制服に身を包み、悲壮感にあふれた蒼白な顔で彼は叫んだ。

「俺は自衛隊が立ち上がるのを4年間待ったんだ。諸君は武士だろう。ならば、自分を否定する憲法をなぜ守るんだ」

自衛隊員からは、盛んにヤジが飛んだ。

「何を考えている!」

「英雄気取りは、やめろ!」

賛同する者はいなかった。「※七生報国」と書かれた鉢巻きをした、三島の顔が歪んだ。

※武将・楠木正成が自刃する時、「7度生まれ変わって国(天皇)に報いん」と誓った言葉。大戦中にスローガンとして軍部に利用された。

演説は終わった。

「天皇陛下、万歳!」と叫ぶ声が響いた。そして、総監室で、三島は割腹したのだ。45歳であった。


42歳(当時)の私とは、3歳違いであり、彼は私と、ほぼ同時代を生きたといえる。

三島由紀夫の事件をニュースで知った私は、愕然とした。

"いったい、なんのための死であったのか"

三島が書いた「檄(げき)」にはこうある。

「われわれは戦後の日本が、経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失ひ、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。

政治は矛盾の糊塗(こと=取り繕い、ごまかしの意)、自己の保身、権力慾、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を瀆(けが)してゆくのを、歯噛みをしながら見てゐなければならなかった」

彼は、その魂の腐敗、道義の退廃を生んだ根本原因は、真の日本人、真の武士の魂が残されている自衛隊を違憲状態に置き、国の根本問題である防衛を、ご都合主義の法解釈によってごまかしてきたことにあると訴えていた。

「もっとも名誉を重んずべき軍が、もっとも悪質の欺瞞の下に放置されて来たのである」

「共に起って義のために共に死ぬのだ」

武士道を規範とする三島にとって、恥辱にまみれて生きることは「醜」であり、義のために死ぬことこそが、「美」であったのであろう。


三島が、日本人の空虚な精神性や政治の腐敗を嘆く気持ちは、私にもよくわかった。

しかし、三島は、自分と共に自衛隊が死を覚悟で決起すれば、政治の矛盾や権力欲などの問題が、解決できると確信していたのであろうか。

私には、とても、そうとは思えなかった。

三島は、自ら小説に描いてきたように、自刃をもって人生の幕を引き、文学と行動を一体化させ、自分の美学を完結させること自体を目的としていたのではないか。

だとすれば、それは、ナルシシズム(自己陶酔)であり、生きてなすべき改革を、放棄したことではないか。大事なことは、現実に何をなしたかである。

また、その行動の背後には、どのように鍛えようとも、やがて、肉体が老い、衰えていくことへの、強い"恐れ"が潜んでいたのかもしれないと、私は思った。


私は、学生と懇談する機会をもつように努めていたが、ある時、三島由紀夫の死の問題が話題となった。

一人の学生が言った。

「三島由紀夫は"義のために起て"と言って割腹しましたが、本当の『義』というのはなんでしょうか」

私は頷いた。

「大事な質問だね。『義』すなわち、人間の行うべき道というものを突き詰めていくなら、万人の幸福と平和の実現ということになる。/『憂国の士』というならば、民衆と同苦する心がなければならないと、私は思う」

別の学生が意見を述べ始めた。

「私は、三島の文学は好きですが、"民衆"が欠落しているように思えてなりませんでした。社会は経済的に繁栄していても、その陰で、貧しさにあえいでいる人たちもたくさんいます。

たとえば、夫に死に別れ、女手で子を育てるために、日々、歯を食いしばりながら汗まみれになって働く女性もいます。病苦や家庭不和に悩む人もいます。でも、そうした民衆の息づかいは、彼の作品からは聞こえてきません。

また、戦火に追われ、逃げまどうベトナムの子どもたちもいます。彼は日本の敗戦の汚辱を嘆きましたが、その子どもたちの嘆きの声には耳を傾けなかったのか、疑問を感じます」

私は言った。

「三島文学に、民衆の息づかいを期待しても、ないものねだりかもしれない。文学を民衆の手に取り戻すことは大事だが、内容的には、さまざまな文学があっていいのではないだろうか。

しかし、社会の変革をめざすうえで、民衆を見失った思想は、観念の遊戯であり、自己満足にすぎないことは確かです。

社会の建設を考えるならば、現実の大地に足をつけ、民衆のなかに分け入って、民衆を覚醒させながら、一歩一歩、粘り強く、改革の道を開いていく以外にない。それをしないで、観念の間尺に現実を合わせようとすれば、待っているのは"破滅"です」

私は言葉をついだ。

「侮辱がなんですか。悪口がなんですか。嘲笑がなんですか。/ 皆が幸せになるためならば、私は、喜んで耐えます。「忍辱の鎧を着よ』というのが、仏法の教えではないですか。見栄や体裁、格好を気にしていては、広宣流布はできません。ナルシシズムやヒロイズムなんか捨てて、泥まみれになって戦うことです」

私は、学生たちに、軟弱で観念的な、自己中心的な知識人になってほしくはなかった。民衆のなかに飛び込み、民衆を守り抜き、先頭に立って戦う、たくましき民衆指導者に育ってほしかったのである。


池田大作
『新・人間革命』
第15巻より抜粋
※原文は小説体のため、便宜上第一人称を主人公名から「私」に改めた。また、一般的でない内容と思われる箇所は/で略した。



SGIの連帯は192カ国・地域


2001年5月3日開学

アメリカ創価大学の俊英が澎湃と


"もったいない"環境運動家

ノーベル平和賞マータイ博士


「21世紀はアフリカの世紀!」

SGIの同志を激励


南アフリカ・マンデラ大統領


キューバ・カストロ議長


ハーヴァード大学講演


"公民権運動の母"

ローザ・パークス女史


ロシア・ゴルバチョフ大統領


アメリカ・キッシンジャー国務長官


54カ国・地域へ、190回以上の訪問

SGIの同志を激励


ジャズ・ピアニスト

ハービー・ハンコックさんと師弟の語らい


何事も楽しくやろうよ!


「冬は必ず春となる」

希望を届けに民衆の中へ


権力に屈しない庶民の団結


"経営の神様"

松下幸之助氏と創価学園へ


青年を信頼


全員が幸福に


みんな未来の宝


一人一人が鳳雛


中国・周恩来首相


ソ連・コスイギン首相


恩師の思いを胸に世界へ



1960年5月3日

創価学会第3代会長に就任



人間には 立ち上がるべき時がある。

戦わねばならぬ 決定的な時が必ずある。

その「時」を逃さず

時に適う行動を起こすことだ。

そして必ず勝つことだ。



🕊Daisaku Ikeda

1928-2023




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