

YMO
高橋幸宏 坂本龍一 細野晴臣

日本語ロックの草分けバンド「はっぴいえんど」のリーダー細野晴臣(b)を中心に、英国でも活躍した「サディスティック・ミカ・バンド」の高橋幸宏(dr)、芸大卒の"教授"こと坂本龍一(k)。日本トップクラスの実力派セッション・ミュージシャンの3人でYMOを結成。
期待されたデビューも、"テクノ・ポップ"という斬新なサウンドは、日本では鳴かず飛ばずでヒットせず…苦し紛れで渡米、野外コンサートにSPゲスト(前座)出演。そこで米国が大熱狂。

幕開けと共に米国の聴衆を虜にした坂本作のオープニング曲。後にMichael Jackson、Eric Claptonがカヴァー。
2度のワールド・ツアーを成功させ、国内でもアルバムが100万枚以上をセールス。ファンが増殖し、社会現象となったYMO。
新作にも"テクノ・ポップ"を期待するファンに対して、YMOがおこなったのは、なんと"ファンの振るい落とし"!
今日は、YMOのピークといえる中期(1981年)の歩みを特集

1981年3月21日
『BGM』
坂本が(YMOに)消極的だったため、細野と高橋が先導したアルバム。リリース当初、一部ファンと評論家から酷評されるも、的確な先見性、最新テクノロジーと実験性、音楽的才能が融合した傑作。
「Ballet」
アルバム1曲目から異空間へ。矢野顕子がYMO Favorite曲に挙げる超名曲。高橋の耽美な魅力満載。
高橋
「そろそろ本当に好きなものをやろうというのは言ったかもしれない」
「Rap Phenomena」
不思議な音色、ラップとラップ現象をかけた細野による渾身の佳曲。日本初のラップ曲(?)。
細野
「たくさん売れた後だからこそやりたいことができたアルバム」
1981年11月13日
『TIN DRUM』
JAPAN
🔻JAPAN feat. 坂本龍一

土屋昌巳(g)加入時のJAPANに坂本がゲスト参加したTV出演動画。
1981年11月21日
『TECHNODELIC』
YMO
坂本が再び覚醒。近代ミュージック及びアートにおける金字塔というべきアルバム。自家製の"サンプラー"を世界初のタイミングで導入し、後世に多大な影響を与えた。

坂本の韓国滞在での経験から生まれ、ソウル(京城)とソウル・ミュージックをかけた名曲。ハイハットが高橋の"フクチキ"という声だったり、一つ一つの音が革新的で厳選されている。
坂本
「今まで持っていた知識とかをどんどん出していったんですよね。だから、僕は一番これが好きなのね」

坂本の復調と共に細野の生ベースも復活した今作。中でも、メンバーからの「チャック・レイニー風のプレイが聴きたい」とのリクエストに応え、ベースがフィーチャーされた秀逸な楽曲。



…弱冠29歳の坂本が"あの感動の名作『TECHNODELIC』を特集"と言っています(笑)

(国内9都市13公演)
11月24日 宮城県民会館
11月26日 岩手県民会館
11月28日 広島郵便貯金会館
11月29日 大阪フェスティバルホール
11月30日 大阪フェスティバルホール
12月1日 名古屋市民会館
12月7日 札幌厚生年金会館
12月16日 福岡サンパレス
12月18日 金沢観光会館
12月22日 新宿コマ劇場
12月23日 新宿コマ劇場
12月24日 新宿コマ劇場
12月27日 ツバキハウス

坂本が放つ狂気のシンセサイザー・サウンドの叫び。髪型も表情もw

インダストリアルを先取ったサウンド。細野のエレクトリック・ベース、高橋の先鋭的なドラム、そして坂本の生ピアノの妙