"本当の発見とは、新たな土地を見つけることではなく、新たな目で見ることなのだ"
マルセル・プルースト
今年もあとわずか
来年へ向けて新たな決意を固めたいですね
今日は、自身の原点を振り返り、初心を思い出して明年の限界突破へ
…毎年そんなこと言ってる気がしますが
ポール・マッカートニー
"We Can Work It Out
(やればできる)"
1996年、ポールが設立した総合芸術学校「L.I.P.A.(The Liverpool Institute for Performing Arts)」が開校しました。
ビートルズ大ファンの僕は、憧れの地、英国リヴァプールへ飛び立ちました
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校舎は、かつてポールとジョージが通ったアート・スクールを改修とのこと
LIPAの表門
オーディトリアム
バー
withTeachers
午前中は理論の授業、午後はセッション、夜はバーでライヴの日々
僕は朝イチでカード・キーを取りに行って教室を開け、出なくてもいい授業を受けさせてもらったり、英語を碌に話せないのに先生に質問しまくり…
休日は楽器屋、ビートルズ所縁の『キャヴァーン・クラブ』に行ったり
また、リヴァプールの街を歩くと、階級社会を感じることがありました。
ビートルズのメンバーも最下層の労働者階級ですね。かなり貧しい。
ジョンの育った孤児院『ストロベリー・フィールド』。夕暮れに行ったら「危ないから車から降りるな」と言われました。
さらに、カトリックとイングランド国教会の差違を学んだり、多国籍な人種に囲まれながら、初めて人種差別を味わったり…
90年代はIRAのテロが続いていて、英国の入国危険レベルが高かった僕が行った前後にもあったらしく、後から知りました
国際奴隷博物館や街中の彫刻では、過去にあった奴隷貿易の闇を知ったり。
そうなると、華やかな王室、秀抜な学術機関、大都市ロンドン、先端のファション&アート、そして憧れの音楽までも…魅力的な大英帝国の繁栄が、白々しい"ハリボテ"に見えてきた…あの日。
もちろん、民衆は気さくで優しく、誰もが懸命に生きていた
あと、学校で習った英語が通じない英国訛りって想像以上
ともあれ、貴重な体験となりました。
ポール
"困難にぶつかっても、擦り切れない才能を育てたいんだ"
この渡英で、僕には音楽的才能が皆無なのを思い知ったのでした
しかし、ビートルズが育った地で学んだこと、即ち「困難に立ち向かうこと、それは自己の弱さに負けないこと」というポールのメッセージとして、僕の中で生き続けました。
帰国後、自身の事業立ち上げの苦難と病気の発症と療養。さらに母親が倒れ、怒涛の約10年間の在宅介護生活が待っていました。その合間には、何人もの子たちにギターを教えさせて頂く機会があり、音楽へのモチベーションは下がりませんでした。
そして現在も、様々な出会いを作ってくれる音楽への感謝は絶えません。
来年も、「忍耐と新たな挑戦」をmyテーマに全力で自身の殻を破れるように頑張ります
"We Can Work It Out
(やればできる)"
と信じて
Thanx, Paul
Many Thanx, The Beatles
おまけ
おわり