不世出の音楽家であり、20世紀最大の鬼才🇺🇸フランク・ザッパが亡くなったのは1993年12月4日。来年で30周忌となります。
今日はザッパの弟子ギタリスト🇺🇸ウォーレン・ククルロを通して、"師弟"という繋がり、そしてザッパの思想を見ていきたいと思います。
"師弟"とは、人間だけが持てる美徳であり、時に、親子や兄弟以上に強固な絆を生むようです
Frank Zappa
【1940 - 1993】
米国メリーランド州出身の作詞・作曲家。ギタリスト、シンガー。祖先はギリシャ、アラブ、フランスなど多様な血統を持つイタリア移民。 音楽ジャンルは、R&B、ドゥーワップ、ジャズ、ブルーズ、ロック、現代音楽から前衛音楽など幅広く、88年リリースの電子音楽『Jazz from Hell』で「グラミー賞」。生涯にリリースされたアルバムは79枚。 バンド・メンバーはオーディションにより優秀なミュージシャンを多数発掘、育成した。 93年、前立腺癌のため52歳で逝去。95年に「ロックの殿堂入り」。 97年「グラミー賞特別功労賞」。 さらに膨大な未発表音源が眠っているという。
この年はザッパの弟子であるウォーレンが、低迷していた🇬🇧Duran Duranを復活させた年でもありました。
「Ordinary World」('93) Duran Duran
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John Taylor(b)
Nick Rhodes(k)
Warren Cuccurullo(g)
Steve Ferrone(dr)
ウォーレンをはじめ、数多くの優秀なミュージシャンを育てたザッパ。
弟子たちに継承されたザッパの魂というのは、小手先の技術ではなく、音楽に対する真摯な姿勢、全てを捧げるような生き方そのものでした。
Warren Cuccurullo
【1956-】
米国ニューヨーク州出身のギタリスト、作曲家。若くしてザッパのバンドに加入。卒業後はザッパ門下でMissing Personsを結成。Duran Duranをサポートしながら、TM NetworkのLAレコーディング、小室哲哉のソロ活動等に参加。以後Duran Duranの正式メンバーとなり窮地を救う活躍を見せた。脱退後はソロ作品をリリース。
"フランクは俺の向上心の源だ。彼と一緒に演奏してると、ミュージシャンとしてもっと成長したいって思うようになる"
" 例えばエドガー・ヴァレーズやストラヴィンスキーなんか、彼と演奏するまで、少しも知らなかった。他に聴くチャンスがあるかい?"
"フランクといる時は、音楽が全てなんだ。決してドラッグやアルコールなんかやっちゃいけない。彼は容赦しないよ"
"それに、人の考えを自分に取り込むだけの人間性を持っている。こっちは彼からものすごく沢山のことを学べるんだ"
ウォーレンはザッパ・バンド時代の旧友ヴィニー・カリウタと追悼アルバム『Thanks to Frank』を作成。
名手揃いのザッパ門下の中で、最もザッパに近い変態 プレイをするウォーレン。それまでは余り見せなかった壮絶なインター・プレイを魅せてくれています
「The Canarsie Daiquiri」('96) Warren Cuccurullo
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Warren Cuccurullo(g)
Pino Palladino(b)
Vinnie Colaiuta(dr)
生前、弟子の活躍を何より喜んだザッパ。音楽をより高みへ
師弟の誓いは生死を超えて永遠です。
高校時代の俺は、エドガー・ヴァレーズと、その音楽に関する情報を探し続けた。ある本に、若き日のヴァレーズの写真と併せ、彼のこんな言葉が引用されていた。
「たとえ農民だったとしても、私は、作曲家でいるのと同じくらい幸せだっただろう」ー 俺は、この言葉が気に入った。
誰かが、うちに来るたびヴァレーズを無理矢理聴かせた。その人の知性を測る究極のテストだと考えたからだ。聴かされた方は、俺がバカになったと思っていた。
俺のギター奏法のアプローチは、ギター・スリムに一番近い。彼は50年代頃に活躍したブルーズ・プレイヤーだったが、誰かにアイスピックで刺され若死にしてしまった。「Story of My Life」でのソロはチェックしておいた方がいい。
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彼の心がまえ(Attitude)は、重要な指針となった。ギター・スリムを別にして、俺に影響を与えたギタリストは、あと2人いる。ジョニー"ギター"ワトソン、そしてクラレンス"ゲイトマス"ブラウンだ。
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俺みたいに風変わりなスタイルのギタリストには、ポリリズムが発想できる特化されたリズム・セクションの演奏が必要だが、それを探すのは至難の技だ。ヴィニー・カリウタは最優秀のドラマーだ。
「Five- Five- Five」('81) Frank Zappa
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Frank Zappa(g)
Warren Cuccurullo(sitar)
Arthur Barrow(b)
Vinnie Colaiuta(dr)
俺の歌を聴き「この男は間違っている」と考えた人が三千万人いたとしても、そんなことは俺にとっては全く問題ではない。 「ヒットラーは正しい」と信じた人は大勢いたけれど、その人数がヒットラーを正しい存在にすることは絶対になかった。
一般社会の常識の中で、俺たち作曲家ほど、かくも求められず、かくも面白くない芸術で、人々の貴重な時間を無駄にしているものはない。無意味であるにとどまらず、有害ですらある。
俺たち作曲家はゴミだ。地球のカスであり、悪党であり、クソの役にも立たない怠け者だ。俺たち作曲家の存在理由なんて、これっぽっちもない。
俺たち作曲家は、10代の女の子のニーズと要求に適合するポップ・ミュージックを作り消費させる。やがて、その子どもが生まれると、焦点は、その子にシフトしていく。いつの時代も、その世代が好む歌は、お坊ちゃん、お嬢ちゃんの関係を描いた短い歌に限る。
俺が思うに、資格や社会的評価、さらには、どんな形態であれ、償いを両親から求めようとする子どもは、とんでもない間違いを犯している。「親は親、自分は自分なんだから、これでうまくやるしかない」こう割り切れる時期が早いほど、その後の人生はうまくいくものだ。
両親が子どもをダメにする。この点を俺たちが認められたなら、世界規模で心の健康は、もっと改善されるだろう。子どもがおかしくなってしまうのは、ある程度まで親の責任だと俺は考えている。子どもを変にすることにかけてならテレビやロックなんかより、親の方がずっと強力なのだ。
俺は、労使双方がもっと誠意を持ち、ビジネスに当たってほしいと考えている。アメリカのビジネス界における誠意は、史上かつてなかったほど最低レヴェルにまで落ち込んでいるような気がしてならない。
理由はいくつも挙げられる。政府の指導者たちが誠意を見せようとせず、メディアを通じて絶え間無く嘘をついているような状況では、全ての国民が慣れっこになってしまう。
この瞬間、誠意は時代遅れの奇妙な美徳と化し、誠実さを求める人なんかいなくなる。誠実であろうとした人間は、敗者になるのが落ちだからだ。
今や、誠意の欠如が、むしろ普通となっているように俺には思える。統計を取ってみれば、誠実な人の方が多いのかもしれないけど、誠意のかけらもない、ごく少数の連中が全てをコントロールしているため、バランスがひっくり返されているのだ。
アメリカの大統領が誠実だなんて俺には思えないし、大統領を取り巻く連中も同様だ。議員たち、大企業で要職を占める人たちのほとんどにも、誠意なんか感じられない。
やつらが好き放題やっていられるのは、しかし、俺たち自身のせいでもある。根っからの悪党どもによって支配され、操作されているという現実に、立ち向かうだけの誠意を、俺たちは持ち合わせていないではないか。
ふう。これくらいにしておこう。おしまい。
みなさんに話ができて楽しかったよ。あっと、それから選挙・投票を忘れないでくれよな。
FZ
哲学者 オルテガ
「(盲目的な)大衆とは、良いとも悪いとも評価しようとせず、自分が、皆と同じだと感じることに、いっこうに苦痛を覚えず、他人と自分が同一であると感じて、かえって良い気持ちになる、そのような人々である。いわゆる、『慢心したお坊ちゃん、お嬢ちゃん』である」
「これらの大衆は、ゆるがない運命の土台の上に足を踏みしめることがない。むしろ、宙ぶらりんの虚構を、むなしく生きている。運命の"根無し草"が、極めて軽薄な風潮によって、いとも容易に押し流されている」
「一方で、高貴な人とは、なみなみならぬ努力のあったことを意味する。努力する人、卓越した人ということになる。常に自分に打ち勝ち、自ら課した義務と要請の世界に、現実を乗り越え入っていく。それは、自分自身であるための戦いであり、努力である」 (オルテガ著『大衆の反逆』)