ひらめきご訪問ありがとうございます!

今年も年始恒例の『ダカール・ラリー』の情報が公開されています



舞台は中東🇸🇦サウジアラビア。砂漠、砂丘、山岳地帯、岩場、ダートなどの大自然を疾走する各メーカー、各ドライバーの活躍に期待大




🇯🇵TOYOTA 


昨年、一昨年とトヨタGRハイラックスの🇶🇦ナッサール・アルアティアが2連勝



2023年のW2RC(世界ラリー・レイド選手権)年間シーズンを通して5戦中3勝を挙げ、圧勝の2連覇。


あんぐりここで、びっくりビッグ・ニュース!"砂漠の王"としてトヨタで完勝を収めたアルアティヤが、2024年ダカール・ラリーに向けて、何とトヨタを離脱!?ガーン


新体制は昨年初出場3位の🇧🇷ルーカス・モラエス(中央奥)とT3ドライバー🇺🇸セス・キンテロ(中央手前)。32歳と21歳の若手二人キラキラを起用。



🇬🇧PRODRIVE


アルアティヤの新しいマシンは、創設40周年を迎える英国の名門プロドライヴが製作する「ハンターT1+」。昨年2位、元WRC9連覇の🇫🇷セバスチャン・ローブと同型車。


昨年、ローブはステージ5でクラッシュも、全13ステージ中9回ものベストタイムを記録。ローブも昨年同様BRXチームから「ハンターT1+」で参戦予定。




🇩🇪AUDI


モータースポーツ界の電動化雷をリードするアウディ・チーム。ダカール最多勝🇫🇷ステファン・ペテランセル、WRC&ダカール両王者🇪🇸カルロス・サインツ、DTM王者🇸🇪マティアス・エクストロームの最強トリオ。


あんぐりそして、新たにフォード・チームが参戦予定の嬉しいニュースが!



🇺🇸FORD


トヨタ、VWに次ぐ自動車世界セールス3位メーカーの実力やいかに指差し



🏜PARIS-DAKAR

1978-79年大会から始まった世界一過酷な冒険レース『パリ=ダカール・ラリー』(通称:パリダカ)。


フランスのパリをスタートし、アフリカ大陸を縦断、セネガルのダカールをゴールとする1万キロの旅。

事故や遭難、地雷被害、銃撃事件(アフリカ諸国の問題ですが、もちろん原因はヨーロッパ諸国にありちょっと不満)など、行方不明者、負傷者・死亡者が出たり、洪水や砂嵐によるコースキャンセル、車両の盗難など…様々な問題を巻き起こしながら、毎年開催される世界的なイベント。




国際的な実績のあるドライバーが参加。次第にパリダカの宣伝効果が上がり、メーカー販路の世界戦略として注目され始めました。


  🇧🇪ジャッキー・イクス

元F1&ル・マン6回優勝。パリダカでは1981年シトロエンCXで初参加もリタイア。83年にメルセデス・ベンツ280GEで総合優勝。

時を同じくして、日本の三菱自動車が米国ノックダウン式「ジープ」の生産を終了し、独自の四輪駆動車「パジェロ」を開発。

🇯🇵MITSUBISHI



パリダカはパジェロを世界の檜舞台にデビューさせるチャンスとなりました。


三菱パジェロは1983年に初出場。デビュー戦で「T1:市販車無改造部門」優勝(総合11位)し、ポテンシャルの高さを見せました。


翌84年に「T2:市販車改造部門」にステップアップして優勝(総合3位)85年には「T3:プロトタイプ部門」に挑戦、強敵ポルシェを破りパリダカの頂点である総合優勝を飾りました。

その後も、WRC王者プジョーが参戦して来たのを皮切りに、シトロエン、ルノー、VW…強力なライバルが次々と現れます。


🇫🇮アリ・ヴァタネン

1981年のWRC年間チャンピオン。パリダカでは"砂漠のライオン" と讃えられ、プジョーとシトロエンで4度の総合優勝。

時速230㎞/hを超えるハイスピード・レースは、まるで砂漠のF1パリダカが耐久性の冒険旅行からスピード競技へ。時代が急激に変わっていきました。

三菱はライバルに圧倒され後塵を拝するたび、新たな挑戦で迎え撃つ形になりました。



海外メーカーは国をあげて膨大な資金をバックアップされる一方、三菱は国どころか本社内でも協力が得られない状況。


エース・ドライバー篠塚建次郎でさえ「海外営業部」の"出張"扱いタラー日本でのモータースポーツへの理解がまだ無い時代でした


🇯🇵篠塚建次郎


1987年、当時38歳でT3プロト初挑戦の篠塚と、激励に訪れた歌手の松任谷由実。篠塚はこの年総合3位、翌年2位の快挙。潰瘍性大腸炎という難病を抱えながらも、97年に日本人初の総合優勝を成し遂げる。


また、優秀なドライバーを引き抜かれてしまったり、レース中もマスコミのヘリによる誘導や妨害、違反ガソリンの調達などが行われたり…勝つためには手段を選ばない海外レースの厳しさも学びました


その中で三菱は、真正面からの研究と技術開発によりライバルと戦い、勝利(23戦し12回の優勝)を積み重ねました。





🏆PARIS-DAKAR
歴代優勝回数ランキング
【1979 - 2023】

🥇位 🇯🇵Mitsubishi(12回)
🥈位 🇫🇷Peugeot(7回)
🥉位 🇬🇧Mini(5回)
4位 🇫🇷Citroën, 🇩🇪VW(4回)
6位 🇫🇷Renault, 🇯🇵Toyota(3回)
8位 🇬🇧Rover, 🇩🇪Porsche(2回)
10位 🇩🇪Mercedes(1回)



指差し最後に、パリダカ44年の歴史から、myチョイス・ベスト飛び出すハートを紹介させて頂きます下矢印

それは2001年大会


遡る1997年、三菱は🇯🇵篠塚建次郎が日本人初の総合優勝。翌年🇫🇷ジャン・ピエール・フォントネにより連覇。


🇯🇵篠塚建次郎(三菱)


🇫🇷ジャン・ピエール・フォントネ(三菱)


三菱が連勝街道を独走するかと思われたパリダカに、二輪駆動バギーで挑むジャン=ルイ・シュレッサーが立ちはだかった。


🇫🇷ジャン=ルイ・シュレッサー(ルノー)

F1やル・マンで活躍、WSPC(現SWC)王者の実力派サーキット・レーサー。1999、2000年、レギュレーションが有利なルノー製エンジンの車両で三菱を抑え2連覇。


三菱にとって背水の陣となる2001年大会は、最新型パジェロをエースの篠塚とフォントネに加え、女性ドライバー、ユタ・クラインシュミットに託した。


🇩🇪ユタ・クラインシュミット(三菱)


さらに信頼性のある旧型パジェロで増岡浩がバックアップをする体制。


🇯🇵増岡浩(三菱)


レースが始まると、序盤から三菱のエース・篠塚がメカニカル・トラブルで後退魂


増岡が先頭をリードしながら、シュレッサー、クラインシュミットが続くデッドヒートピリピリ




増岡はクラッシュやスタックに見舞われるも、チームメイトのフォントネや篠塚のフォローでなんとか終盤までトップをキープキラキラ


フランスの伝統あるスポーツ紙『レキップ』は"新たな侍(サムライ)現る"と、トップ記事で報じた。



しかし、ゴール前日に波乱が…


この日のコースは追い抜きが難しい一本道。焦るシュレッサーはスタート順を無視して増岡より先に飛び出す前代未聞の暴挙ハッ



シュレッサーをサポートするセルビアも同様に続き、後から追走する増岡をガード。シュレッサーは遥か先を走り去っていく。


シュレッサーに離されていく増岡は業を煮やし、まずセルビアを抜くため一本道のコースを外れ猛スピードで抜きにかかる。


そこに、まさかの木の切り株が草に隠れており、増岡は後輪をヒットの大クラッシュ。


コントロール不能のパジェロは、なんとかセルビアを抜き去るも、そこで力尽きた。


増岡のコドライバー、パスカル・メモンは怒り狂い、抗議のためコースに立ちふさがるも後の祭り。



ゴール前日にシュレッサーは遂にトップに立ち、増岡はフォントネのサポートでレース復帰も、大きく遅れることに。


シュレッサーの卑劣な行為に対し、フランスの取材陣にコメントを求められた増岡は一言。


「特に何も言うことはありません」と。



この一件にパリダカ主催者は協議し、シュレッサーとセルビアに1時間のペナルティを与えた。


結果、翌日のダカールのゴールは、繰り上がりでクラインシュミットがトップとなった。



パリダカ史上初、現在まで唯一の女性ドライバーによる総合優勝という壮挙となった。



増岡は篠塚に続く日本人2人目の総合優勝ならず、2位で涙を呑んだ。


増岡は若くして単身フランスでメカニックの下積み修行をやりきり、長年裏方でチームを支えてきた。


夢叶い、栄光に手が届くかと思った瞬間、谷底に落とされた。


だが、胸を張れる2位だろう。


Result

RankingDriver nameManufacturerTime
1J・クラインシュミット三菱パジェロ70:42'06''
2増岡 浩三菱パジェロ+00:02'39''
3J-L・シュレッサーシュレッサー・B・ルノー+00:23'29''
4J-M・セルビアシュレッサー・B・ルノー+02:06'24''
5C・スーザ 三菱ストラーダ+02:08'30''
6J-P・フォントネ三菱パジェロ+03:54'05''
7S・ヘンナルドフォルクスワーゲン+05:05'19'''
8G-D・メビウス日産テラノ+06:29'59''
9T・ドラベルニュ日産テラノ+09:06'26''
10L・ボーノン日産テラノ+13:58'08''


大会終了後、主催者から発表があった。


タイム集計にミスがあり、増岡のタイムがクラインシュミットを上回っていた。


しかし、順位が訂正されることはなかった。



翌年、"パリダカに忘れたものを取りに行く"と日本から旅立った増岡。


見事、雪辱を果たし総合優勝。翌年2連覇。


以後、三菱チームは連勝を7まで伸ばし、パリダカ史上最多となる12勝の金字塔を打ち立てた。



🏁Fin.






2007年以来、パリダカから遠ざかっている三菱。早く戻ってきて欲しいですおいで愛


ひらめきご閲覧ありがとうございました{emoji:092_char3.png.!}