2022年2月24日に、ロシアがウクライナへの軍事侵攻を始めてから1年が過ぎました。

多くの市民が犠牲になり、私たちの生活にも影響を与えていますが、未だ終息の兆しすら見えてきません。



今日は、歴史に詳しい直木賞作家・安倍龍太郎氏と、元在ロシア日本大使館勤務で元外務省国際情報局主任分析官・佐藤優氏の対談『対決!日本史』から抜粋致します。

日本の、一部で美化された歴史観を覆し、真実を見つめることにより、現代のウクライナ戦争の問題点を炙り出しています。シリーズ累計3万部を突破した第4弾「日露戦争編」が好評発売中です。


安倍龍太郎
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佐藤優





大東亜共栄圏の源流は、吉田松陰の『幽因録』にあり

阿部 19世紀末から20世紀初頭にかけての戦乱の時代は「終わってしまった過去の歴史」ではありません。ウクライナ戦争の停戦合意が見えず、朝鮮半島や台湾海峡で緊張感が高まるなか、現在を生きる人々にとって「過去」と「今」は直結します。

佐藤 刮目すべきは、明治維新以降、帝国主義国家へと変貌していく日本の思想的背景には、1856年に吉田松陰が獄中で書いた『幽囚録』があったことを阿部さんが指摘されたことです。

吉田松陰

【1830 - 1859】


阿部 『幽囚録』には、大東亜共栄圏構想の萌芽ともいうべき帝国主義構想があからさまに書かれているのです。吉田松陰は、「急いで軍備を整え、北海道を開墾して、日本国内に封建体制を整備する。カムチャッカとオホーツクを勝ち取った後は、琉球、朝鮮、満州、台湾、ルソン諸島まで支配下に治めるべきだ」と言っています。

佐藤 難を克服して、松下村塾を作り、後進の育成にエネルギーを投入したことは松陰の大きな魅力のひとつです。しかし、『幽因録』に潜む危険な帝国主義思想は見逃してはいけません。


安倍 功罪相半ばする傑出した思想家、指導者であったことは間違いありません。吉田松陰は松下村塾で、『幽因録』に書いているようなことを繰り返し門下生に伝えたのでしょうね。松下村塾で松陰が指導した期間は、たった2年でした。

佐藤 その間に松下村塾で学んだ門下生は、みんな松陰の思想をバッチリ刷り込まれてしまったのですよね。強力なマインドコントロールです。

阿部 教え子たちは刃物が剥き出しになったような鋭さだったことでしょう。「西欧列強の東アジア進出があったから」とか「ロシアの南下政策があったから」とか、あるいは「清国の近代化への無理解があったから」という理由で、日本が朝鮮半島へ侵攻したわけではありません。列強の帝国主義競争に日本も打って出て、植民地支配を目指していたのです。

佐藤 1876年に日本は周到な準備を重ねたうえで、朝鮮と不平等条約である江華条約(日朝修好条規)を結びました。


安倍 そこから日本と朝鮮の貿易が始まり、日本は朝鮮半島から大量の穀物を買い占めました。代わりに劣悪な綿製品を売りつけたりして、朝鮮半島の農民が困窮する経済状況を作り出します。こうした流れがあったうえで、1894年の日清戦争へと繋がるのです。19世紀後半に日本が歩んだ帝国主義路線は、まさしく「吉田松陰ドクトリン(教義)」です。

佐藤 獄中で松陰が構想した「吉田松陰ドクトリン」に基づいて、松陰の門下生たちは帝国主義路線を主導していったわけですね。

阿部 今、プーチン大統領は「ネオ・ユーラシア主義」とも言うべき「プーチン・ドクトリン」に基づいて、ウクライナへ侵攻しています。明治期の日本も、今のロシアのように「先に方針ありき」「先にドクトリンありき」で植民地支配に突き進んだと見るべきではないでしょうか。

佐藤 過去であれ現在であれ、戦争の危機において、為政者の思想、内在的論理を掴み取ることがいかに重要か。誤った思想の犠牲者はいつの時代も民衆であることを忘れてはなりません。


ウクライナ戦争と日露戦争の類似点

佐藤 日清戦争以降、日本は10年に一度戦争する好戦国家になってしまいます。日露戦争(1904年)で日本はロシアに勝利するわけですが、歴史を振り返ると日露戦争のバックグラウンドでは、イギリスやアメリカの思惑が蠢いていました。誤解を恐れず言いましょう。アングロサクソン(英語圏白人)は、自分では戦わず他人に戦わせるのがとてもうまいのです。実例をあげれば、1856〜60年の第二次アヘン戦争は、イギリスとフランスの連合軍と清国が激突したことになっていますが、英仏連合軍の最前線には相当数のインド人が参加していました。イギリスは「アジア人とアジア人を戦わせる」という構図を作り、自らは後ろに控えていました。


安倍 第二次アヘン戦争と同様の構図が日露戦争にもあったのです。日清戦争後、ロシアは清国や朝鮮に急接近して満州進出への足掛かりとします。列強のイギリスは、当時の東アジアにおけるロシアの動きに対抗することができませんでした。世界に大帝国を築いていたイギリスでしたが戦線を広げ過ぎていたのです。ひとつが19世紀末から1902年まで続いたボーア戦争(南アフリカ戦争)です。


佐藤 南アフリカの金に目をつけて植民地化しようとしたイギリスでしたが、南アフリカのボーア人に激しく抵抗され、ボーア戦争が勃発します。それ以外にイギリスはロシアとのグレートゲーム(英×露抗争)も仕掛けます。1958年、イギリスはインドを植民地化しました。大英帝国の一部であるインドから北上して、イギリスは中央アジアに至ろうと目論みます。それに対してロシアは、中央アジアからアフガニスタンを経由してインド洋に至ろうと考えました。

阿部 イギリスは先手を打ってアフガニスタンに侵攻すると、1878年には第二次アフガン戦争が起こります。

佐藤 このグレートゲームが結局どういう形で落ち着いたのでしょう。ロシアとイギリスはアフガニスタンでぶつかり、両方が膠着して動けなくなってしまいました。世界に手を広げ過ぎたイギリスは、日清戦争後に満州へと南下するロシアの動きを食い止めるだけの余裕がなかったのです。

熊(露)とライオン(英)に
挟まれたアフガニスタン


阿部 そのイギリスに代わり日本がロシアと対峙した側面が日露戦争にあったわけですね。2022年2月に勃発したウクライナ戦争は、ロシア対ウクライナという単純な図式ではありません。ウクライナの背後からNATO(北大西洋条約機構)、とりわけアメリカが支援して大量の武器を送り込み、NATOの代理戦争の様相を呈しています。

佐藤 その意味では、日露戦争における日本と欧米列強諸国との関係と似通っています。


現代と通底する日露戦争の前夜

阿部 1902年1月30日、ロンドンで日英同盟が調印されました。これによって、清国におけるイギリスの特殊権益、さらには清国と朝鮮半島における日本の特殊権益を相互に承認しています。日本とイギリスいずれかがどこかの国と戦争を始め、戦争の相手が2カ国以上に発展したときには、同盟国として参戦することも取り決めました。


佐藤 日英同盟が成立するまで、イギリスは「名誉ある孤立」「光栄ある孤立」を保ってきました。どこの国とも同盟を結ばない路線を、日英同盟によって転換したわけです。イギリスが弱くなってきた証とも言えるでしょう。もう一つ重要なのは、日英同盟によって帝国主義的な外国間の対立図式が出来上がったことです。日英同盟を結ぶ前まで、イギリスはフランスと対立し、日本はロシアと対立していました。フランスは露仏同盟を結んでいます。ということは、イギリスとフランスが戦争になったとき、日本はフランスを敵に回すことになるわけです。

阿部 日本とロシアが戦争になったときには、イギリスは日本の側に立ってロシアを敵に回すことになります。

佐藤 そういう構図が出来上がりました。近代的な帝国主義的戦争、第一次大戦の先駆けのような感じです。ただし実際に日露戦争が始まってみると、まだ日英同盟は抑制されたものでした。イギリスは集団的自衛権を発動せず、日露戦争に自国の兵士は送っていません。抑制が利いているという意味では、ちょうど今の日米同盟みたいですよね。アメリカが始めた戦争に、日本は自衛隊員を直接送りませんから。ただし日英同盟の抑制が利いていたといっても、構図としては非常に物騒です。何かのきっかけで、局地戦が世界戦争に繋がる可能性がありましたから。

阿部 今のウクライナ戦争とも通底しますね。ロシアとウクライナの局地戦ではあるものの、局地戦が大きく広がって第三次世界大戦にまで発展する可能性は排除されません。日露戦争前の状況とよく似ています。

佐藤 そこは類似的に見てもいいと思います。ウクライナはNATO加盟国ではありません。ウクライナを助けるために、NATOが集団的自衛権を発動することはありません。ただし、アメリカを中心とするNATOは直接兵士を送り込む以外のあらゆる支援をウクライナに対して行っています。その意味では、今のウクライナ戦争はとても日露戦争的であり、この局地戦が第三次世界大戦にまで発展しないとは言い切れません。

阿部 同盟機能がひとたび動き出せば、人類は第一次世界大戦や第二次世界大戦の轍を踏むことになります。




日本のニュースでは報じられない真実

佐藤 2022年9月、ウクライナ東部のハルキウ州でロシア軍が敗走し、ウクライナが優勢になったという報道がいっせいに流れました。実を言うと、ハルキウ州で暮らす住民は「我々はロシアに統合されてもいい」と思っているのです。ロシアはそうした実態をよくわかっていました。だから「ハルキウにはロシア軍を手厚く配備しなくても大丈夫だ」と判断して、軍隊をウクライナの南側に寄せてしまったのです。その様子を人工衛星で監視していたアメリカは「しめた。ハルキウが手薄だぞ」とウクライナに伝え、一気に攻勢を仕掛けさせました。

阿部 舞台裏ではそのような動きがあったのですか。「武器を使う直接戦」と「武器なきインテリジェンス戦争」が同時並行で進むハイブリッド戦争ですね。



佐藤 しかもアメリカ製の兵器を使ってハルキウの戦闘を突破した部隊には、アメリカ軍とイギリス軍の特殊部隊が傭兵として送り込まれていました。

阿部 「休暇中の特殊部隊員が、ウクライナ軍と雇用契約を結んでアルバイトをしていただけだ」なんて言い訳は通用しないでしょう。

佐藤 ロシアは通信傍受をしていますから、傭兵が淀みないアメリカ英語やイギリス英語で話している事実を掴んでいます。傭兵の正体が誰かはガラス張りでバレている。その事実を知ったプーチンは黙っていられません。いくらなんでも、これではアメリカやイギリスとロシアが直接交戦しているのと一緒です。ハルキウを奪還したウクライナは、選別収容所を作りました。

阿部 ウクライナ東部のドネツィク州にあるマリウーポリでは、ロシアが選別収容所を作りました。住民がロシア側のシンパかウクライナ側のシンパか。どちらに敵対的な人物か。拷問と尋問をやりながら仕分けていく収容所です。


佐藤 それと同じことを、ウクライナはハルキウでやっています。日本ではまったく報道されませんけどね。ロシアと協力した疑いのある人間を凄惨な拷問にかけて「自白」を引き出すのです。ロシア人から人道物資を受け取った住民で、銃殺された人もいます。これらはロシア発の情報ですが、真実の一面を表していると私は考えています。


阿部 「ウクライナ軍に協力したロシア人が殺されている」という報道がたくさん出ましたが、ウクライナはウクライナで、同じことをやっているわけですか。

佐藤 そうです。日本のニュースだけを見ていると信じられないでしょうが、ロシアはウクライナ軍に積極的に協力した住民を殺害し、ウクライナはロシア軍に積極的に協力した住民を殺しています。ヘルソン州やザポリージャ州では、ロシアに協力しているウクライナ人が大多数です。「我々が暮らす地域はロシアに編入してくれ」「ロシアに編入してもらえなければ、いつウクライナから切り捨てられるかわかったもんじゃない」という声のほうが、実は強いのです。「ロシアが編入してくれさえすれば、最後まで我々を守ってくれるはずだ。とにかくもう支配者がコロコロ替わるのだけは勘弁してくれ」。これが実態ではないでしょうか。しかし、「ロシアからかかるもの凄い圧力のもとで、ヘルソン州やザポリージャ州の人民は呻吟している。ロシア軍を追い出すために、現地でいつ住民の武装蜂起が起きてもおかしくない」というのが日本でのイメージです。


間違った常識や通説を排して真実に迫る

阿部 実際に起きていることは、日本のメディア報道とはほど遠いということですね。

佐藤 もちろん全ての住民が「これでいい。ウクライナ領からロシア領に替わるのは大歓迎だ」と喜んでいるわけではありません。「ウクライナ兵が入ってきたら何をやられるかわからない。我々が生き残るためにはこれしかない」という恐怖の結果、ヘルソン州やザポリージャ州の人々はロシアを選択しているのです。もちろん一部にウクライナの支配を望んでいる人々もいます。日本や欧米ではこういう人々の声があたかも民意全体を体現しているかのごとく報道されています。こういう状況下で、あらためて日露戦争について深く考察するのはとても重要ではないでしょうか。

阿部 第三次世界大戦が起こってもおかしくない状況の中、従来の間違った常識や通説を排して時代の真実に迫ることは、戦争を止める"知恵"を汲み出すきっかけになるはずです。

佐藤 戦争で一番最初に犠牲になるのは真実だということです。戦争が始まると、どの国でも人々は真実を語れなくなります。その結果、民衆が犠牲になるのです。まず真実が犠牲になり、続いて民衆が犠牲になる。この負のループを逆回転させなければいけません。過去の戦争で何が起こったか。出来る限り正確に真実に迫り、戦争を決して美化しない。こうした「闘う言論」が、結果的に戦争を食い止め、民衆を支えることに繋がるのです。

阿部 2022年2月以来、日本全体が戦争の熱気に興奮して浮足立っています。この対談を通じて、民衆に寄り添い、人間が真っ当に生きるためにはどうすればいいか、その視点で、ウクライナ戦争について再考するきっかけになれば幸いです。







人に巣食う"悪霊"は、

欲望により目覚め


人々の激情、勇敢さ…



愛情、優しさなどの美徳を…



焚き付け、煽り、

利用して…



喰らう