




ナポレオン・ボナパルト。フランス革命期の軍人、革命家。フランス第一帝政の皇帝に即位し、ナポレオン一世となった。軍士官学校時代に砲術書のほか、歴史、地理、天文、法律などの諸学書を精読。特に啓蒙思想家のレナールとルソーに傾倒した。
伝えられた歴史が、「実像」を的確に捕まえているとは限らない。もちろん、ひとつの事象の起こった年月日などは厳然たる事実だろうが ー 。
ある場合には、真実とは正反対のことを伝えているかもしれない。伝えられていない、もっと大事なことも、あるにちがいない。
歴史は意をつくさない。書かれた文字を、鵜呑みにしてはならない。
たとえば十字軍の歴史もそうです。
『十字軍のコンスタンティノープルへの入城』
(1840)
ドラクロワ
十字軍戦争について、ヨーロッパ側とアラブ側の記述には、共通するところが、ほとんどないという。日本では、ほとんどの史料はヨーロッパ側のものです。
考えてみれば当然ですが、アラブ側から見ると、まず「十字軍」などという美名はない。単なる「侵略者」にすぎない。
じつは当時はイスラム世界のほうが、遥かに高い文化水準を誇っていたという。それを侵略し、破壊し、略奪したわけです。少なくとも、アラブ側から見ればそうです。残虐極まる十字軍の行為も記録されている。
十字軍をどう見るかという歴史観は、「過去」の問題だけではない。イスラム世界への偏見は、今も根強く残っているし、世界の平和に大きな影を落としている。「現在」の問題なのです。ゆえに「未来」の問題にもなる。
『屋根の上で祈る人たち』(1865)
ジェローム
また、「コロンブスがアメリカ大陸を発見した」と、かつては、よく言われていた。しかし、当然のことだが、すでに大陸には人々が住んでいたわけです。ヨーロッパから見れば「発見」であっても、先住の人々から見れば、そうではない。
問題は、「発見」という言葉の中に、先住の人々を見下し、差別する傲慢が込められていることです。自己中心というか、「征服者」たちは先住の人々を人間と見ることさえしなかった。島々で虐殺や強制労働が行われ、人口は激減。ほとんど絶滅の危機に瀕したのです。
しかも、先住の人々は、彼らを歓迎し、優しく助け、もてなしたのに、それを裏切って、残酷な暴力を振るった。
アマゾンの森林危機を訴える
スティングとカヤポ族長老ラオーニ
こういう歴史的事実を、どう見るか。「コロンブスが発見した」という歴史観は、"発見した"側を正当化してしまう。そして、また同様の行為を許してしまう。
「発見」という一つの言葉の中に、自分たちは他民族を征服する資格があるんだという、独善的な「歴史観」「人間観」が込められているのです。
『コロンブスのアメリカの発見』
(1959)
サルバドール・ダリ
植民地史観とでも言おうか。これが、その後、500年間にわたって、南北アメリカ大陸はもちろん、アフリカでもアジアでも ー 世界中で無数の悲劇を生んできたのです。
だから歴史観は大事です。「発見」史観からは、「征服」の未来が生まれる。不幸です。悲惨です。
じつは、日本のアジア侵略の背景にも、これがあった。明治以後、"ヨーロッパに追いつけ"と走って、「アジアの中のヨーロッパ人」になることが目標になった(脱亜入欧)。
その結果、アジアの同胞に対して、コロンブス以後の残酷な「征服者」のように振る舞った。往々にして、白人に対しては卑屈になり、その他の人種に対しては傲慢になる ー という、今も変わらぬ日本人の二面性も、こういう中から生まれてきたのです。
本当は、アジアの民衆と友好の心を結んで、全世界を平和の方向へもっていくべきであった。そういう「歴史観」即「未来観」を指導者がもっていれば、日本の近代史は、まったく違ったものになったでしょう。
本当は、コロンブスが「発見」したんじゃなくて、そこで、お互いに「出会った」のですね。
🎓そう。「出会い」史観があれば対等です。少なくとも相手に対する敬意がある。もっとも実態は、一方的な「侵略」だったわけだが。
また、大航海時代の「英雄マゼラン」だけを教えて、「侵略者マゼラン」を倒したフィリピンの抵抗者ラプラプの戦いを教えなければ、自然のうちに「発見」史観を宣伝していることになるのです。
ラプラプ
【1491-1542】
フィリピンの英雄。キリスト教への改宗と服従を要求するマゼランをマクタン島の戦いで討ち取った。
一つの歴史的出来事も、どう見るか、どう語るかで180度、違ってくるわけですね。
🎓歴史的出来事だけでなく、今の出来事でさえ、見る角度や意図によって、全然、違ってくる。
たとえば、ある国で民衆がデモをしているとする。止めに入った警察と乱闘になった。
その時、テレビカメラが民衆側から撮れば、「警棒を振り下ろす恐ろしい顔つきの警官」がクローズアップになる。見た人はデモ隊に同情するでしょう。
反対に、カメラが警官側から写せば、鎮圧に抵抗して「石を投げたり、暴れるデモ隊」の一部がクローズアップされるかもしれない。
見た人は「暴徒が暴れている」と思うかもしれませんね。
🎓どちらの側に立つかで180度、違う情報になる。どちらの映像も、それはそれで「事実」かもしれない。しかし、「真実」がどこにあるかは別問題です。
また、「デモがあった」という事実も、なぜデモが起こったのか、なぜ、それが抑圧されたのか、そういう背景を知らなければ、本当に「真実」を知ったことにはならない。
今は「高度情報社会」と言われていますが、情報の「量」は凄くても、「質」はどうかが問題だと思います。
「民衆の側」から伝えられた情報か、「権力者の側」からの情報か。また情報の意図が「金もうけ」や「人を陥れる」だけの場合も、あまりに多い ー 。
🎓いわんや、過去の真実を見きわめるのは至難のわざです。特に歴史書は、ほとんどが「勝者の歴史」です。「勝てば官軍」と言うが、「勝ったほうが正義」とされる。負ければ悪人にされる。そこを見なければいけない。
「正しい歴史」を絶対に書き綴らなければならない。そして、だからこそ断じて負けてはいけない。「正義が勝つ」歴史をつくらなければいけない。
レンガを集めただけでは家は建たない。事実を集めただけでは歴史は書けない。そこに、どう事実を組み合わせたかという、歴史を書いた人の「哲学」が隠されている。それを見抜くことです。
歴史書を見ながら自分の眼を磨き、「これは、そうであろう」「どうも違う」「こっちのほうが正しいのではないか」と、正しさを探究することです。そういう心を磨くことが、歴史観を養うことになる。
そのためには、こうすればいいという簡単な方法はない。やはり、ありとあらゆることを多く学び、多く考え、多く体験する以外にない。
大事なことは、どこまでも公正に、利己主義にとらわれず、「事実」を追究し、「真実」を探究することです。嘘はいけない。
太平洋戦争時代の歴史の取り扱いが問題になっているが、どんなに恥ずかしいことであろうが、事実は事実として残すことが、日本民族にとっても、人類にとっても、大切なことです。
その歴史は、永遠の流転の一コマですが、真実をきちんと残し、積み重ねていかないと、正しい歴史観が歪められ、また未来に不幸を重ねてしまう。
中国に侵攻する日本軍
正しい歴史を残すことが、人類の平和と幸福の道を残すことになるのです。歴史は、歪めたり、歪曲したりしてはいけない。
歴史を作ってしまっては小説になってしまう。悪いことを隠し、格好のよいことだけを残しては、歴史書ではなく虚飾書になってしまう。歴史は客観的に正確に書き、証拠・証人を大事にしなければなりません。
かつての西ドイツでは、ナチスの歴史について「年間、約60時間の授業」を行うのが望ましいとされていました。強制収容所の見学も、強く勧められていたといいます。過去の過ちを、しっかり見据えようとする姿勢がうかがえます。
🎓統一ドイツの初代大統領ヴァイツゼッカー前大統領と私は会見しました。立派な人物でした。
1982年、西ベルリン市長時代のヴァイツゼッカー氏から池田SGI会長に招聘の手紙が届いた。氏が統一ドイツの初代大統領となっていた1991年6月12日に二人の会見が実現。
大統領の「過去に目を閉ざす者は、結局のところ、現在にも盲目となります」という言葉は有名です。
個人でも「嘘をつく人間」は信用されません。戦争の真実を伝えないために、どんな理屈をつけても虚しいだけですね。
🎓私の長兄は、中国戦線に行かされ、一度、家に帰ってきた時に、「日本は絶対に悪い」と怒りを込めて言っていたことを、はっきり覚えている。
「日本は本当にひどいよ。あれでは中国の人が、あまりにもかわいそうだ」と。その兄も、ビルマで戦死した。
アジアへの侵略戦争に駆り出された日本軍の兵士も、軍国主義と皇国史観の犠牲です。そんな犠牲を二度と出さないためにも、事実は事実として、次の世代に伝えなければならない。
諸君こそ、平和の希望です。ともあれ、正しい歴史観には、正しい「人間観」「社会観」「生命観」が必要です。「それが人間を、民衆を幸福にしたのかどうか」という観点で、すべてを検証し直すことが大事です。
これまでの歴史は、おうおうにして「権力者中心」「政治中心」「国家中心」の歴史でした。これを「民衆中心」「生活中心」、そして「人類的視点」の歴史に書き変えなければならない。
歴史を先取りする眼は、どうしたら、もてるのでしょうか?
🎓ひとことでは言えないが、根本は「民衆への信頼」を手放さないことではないだろうか。歴史の主役は民衆です。民衆の意識、動向、願いというものは、長い目で見た時に、何ものよりも強い。
マハトマ・ガンディーの信念も、そうです。
「私は失望すると、いつも思う。歴史を見れば、真実と愛は常に勝利を収めた。暴君や残忍な為政者もいる。一時は彼らは無敵にさえ見える。だが、結局は滅びている」と。
ゆえに「民衆の意識を変える」ことが、歴史をつくる根本の作業となる。
たとえば、アメリカの黒人が平等を勝ち取る闘争に、ランチ・カウンターの座り込み運動があった。1960年、ノースカロライナ農工大学の黒人学生4人が始めた運動です。
当時、町の軽食堂では「黒人の注文、お断り」とされていた。ところが、ある日、雑貨チェーン・ストアの店内に入った4人の黒人学生が、少しの日用品を買うと、すぐに「黒人禁制」のカウンターに席をおろし、堂々と「コーヒーとドーナツ」を注文した。
店長が来た。言い合いになる。あたりは黒山の人だかり。ありとあらゆる侮蔑が投げつけられ、唾を吐きかけられ、暴行が加えられた。
しかし、4人は耐えた。ひたすら耐えた。非暴力による抵抗を貫き、閉店まで座り込みをやり通したのです。翌日も、その翌日も、同じように座り込みを続けた。やがて他大学の白人学生も加わった。
もちろん、彼らが注文したのは、「コーヒーとドーナツ」だったのではない。彼らが求めたのは平等の権利、平等の社会だったのです。
この運動は、瞬く間に広がり、翌61年9月までに3600人の逮捕者をだしながら、少なくとも7万人もの黒人と白人の学生が参加しました。その結果、各地のランチ・カウンターで、少しずつ人種差別が撤廃されていったのです。
私たちも、負けないで「新しい歴史」をつくっていきます。
🎓青年がやる以外にない。「日本の歴史は、民衆の泣き寝入りの歴史である」(丸山真男)といわれる。これを絶対に変えなければならない。
そのためには、何が「嘘」で、何が「真実」なのかを見破る英知がなければならない。そして何があっても真実を叫ぶ「精神的勇気」がなければいけない。
諸君は新しい時代の新しいリーダーです。これからの「地球時代」に、まったく新しい「人類一体の歴史」を綴っていかなければならない。
一人の力は小さく思えるかもしれない。しかし、「時を得た思想ほど強いものはない」(トマス・ペイン)。
歴史はヒューマニズムの拡大に向かって進む。紆余曲折を経ながらも、大局的には、必ず、その方向に向かうと私は信じている。ゆえに、人類が求める人間主義の哲学をもった諸君こそが、歴史を切り拓く「最先端」にいるのです。
完
『青春対話』(1997)
【1928 - 】
創価学会名誉会長(第3代会長)、SGI会長。
創価大学・アメリカ創価大学、公明党、聖教新聞、
民音、富士美術館 創立者。文筆家。
♪「The World Before Columbus」('96)
Suzanne Vega