"人々が思い出すなら、希望はそこにある"

人間は過去を忘れる時、同じ過ちを繰り返す。歴史を学ぶことは、人間の心から"暴力の芽"を摘み取る契機になる。


🎓恩師との語らい②
〜高校生に向けて〜

学校

歴史鉛筆


ニコ今回のテーマは歴史です。「三度のご飯より、歴史が大好き」という人もいれば「授業は暗記ばかりで面白くない」という人もいます。

学校での歴史の授業には批判が多いようです。なかには、感動的なエピソードを話してくれたり、映像を使う工夫をしてくれている先生もいるようですが。

歴史を学ぶ意味というのは、どこにあるのでしょうか?

🎓ひとつは、ものごとを大きく見られるようになるということです。たとえば、道を歩く時も、下ばっかり見ていたら、かえって道に迷ってしまう。

大きな目印になるものを見つめて、それを、目あてに進めば正しい方向に行ける。また山の上から広々と見わたせば、行くべき道がわかってくる。

人生も、それと同じで、小さいところから、ものごとを見て、小さいことにとらわれていると、悩みの沼に足をとられて、前へ進めなくなってしまう。克服できる問題でさえ克服できなくなる。

大きいところから、ものごとを見ていけば、いろんな問題も、おのずと解決の道が見えてくるものです。これは個人の人生でもそうだし、社会と世界の未来を考えるうえでも同じです。

指導者にとって大事なことは歴史書を読むことだ。歴史から時代の方向性が見え、どのように時代をもっていったらよいかが見えてくるのです。

ゲーテも言っています。

「三千年の歴史から学ぶことを知らぬものは、知ることもなく、闇の中にいよ。その日その日を生きるとも」

ゲーテ

【1749-1832】

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ。ドイツの詩人、劇作家、小説家、政治家、法律家。小説『若きウェルテルの悩み』、詩劇『ファウスト』等、傑作多数。


だから私は、「ちっぽけなことに、とらわれるな。悩みがあればあるほど、歴史を読むことだ」と言っておきたい。

歴史を学ぶことは、自分が、その時代を生きることになる。そこには熱血の革命児もいれば、裏切りの卑劣感もいる。栄華の権力者もいれば悲劇の英雄もいる。安穏を求めながら、流浪しなければならなかった民衆もいる。戦乱と、その合間の、わずかな木漏れ日のような平和がある。

今から見れば迷信にしか見えないことのために、大勢が命を奪い合ったり、また人間愛のために自分を犠牲にしていった正義の人もいる。極限の苦悩から立ち上がって、不可能を可能にした偉人たちもいる。

そういう歴史の絵巻を、距離感をもって見ることもできるし、その真っ只中に入って見ることもできる。歴史は、人間の心の映像です。わが心に、歴史のドラマの映像を映していくのです。そこから、自然のうちに、大きな目で、ものごとを見られる自分になっていく。滔々たる歴史の大河の最先端にいる自分というものを考えるようになる。

自分はどこから来たのか、どこにいるのか、どこへ行くのか。歴史は現在の自分の「ルーツ」ー 根っこでもある。歴史を深く学んだ人は、自分の根っこを認識し、自覚できる。

「歴史を知る」ことは、結局、汝自身を知る ー 「自分自身を知る」ことに通じるのです。また自分自身を知り、人間自身を深く知るほど、歴史の実像が、ありありと見えてくるのです。


ペルーのマチュピチュ遺跡。インカ文明には、精密な石造建築、整備された道路網、麻酔による脳外科手術もあったという。16世紀、スペイン人に滅ぼされた。


えー?「歴史は繰り返す」という人もいます。「歴史は繰り返さない」という人もいます。どちらが正しいのでしょうか?

🎓歴史は、いうなれば、人類の傾向性、因果性、科学性です。「人類の統計学」ともいえる。

たとえば、天気は完全に予測することはできないが、統計的にとらえて傾向性を見ることができる。人間の心も、よくわからないが、歴史を追っていくことによって傾向性を見ることができるのです。

だから「歴史」の研究は、「人間」の研究といってよい。特に、全員が歴史家になるわけではないのだから、大切なのは、歴史を「鏡」として、未来をどうつくっていくかということです。

諸君が、新しい歴史をつくるのです。「鏡」がないと、自分の顔がよくわからない。「鏡」があれば、ここはこうすればいいとわかります。日本では古来、歴史書を「鏡」と呼んできた。「大鏡」とか「今鏡」「水鏡」「増鏡」と。

『大鏡』

【平安時代後期】作者不詳(近年は源顕房が有力とされる)。紀伝体の歴史物語。 「四鏡」の最初の作品。14代176年間の宮廷の歴史を二人の老人が語り合い、若侍が批評する対話形式で書かれている。


歴史は大事だ。歴史は過去から現在、現在から未来へ、より確実に平和を目指し、人類の共存を目指す道しるべとなる。

今、残っている歴史の全体を、個人で把握することは、なかなかできない。だから大事なのは、歴史観をしっかり身につけることなのです。

歴史を通して、人間の悪い傾向性を知れば、気をつけて、悪い歴史を繰り返さずにすむ。悪い歴史を繰り返すのは、「歴史に教訓を学ばなかったから」ともいえる。

うーんたしかに、「いつ、何があった」という表面的な学び方だと、歴史の面白さはわかりませんね。

🎓基本をしっかりと学ぶことは大事ですが、もっと大事なのは、歴史を通して「真実」を見きわめる眼を磨くことです。

ナポレオンは「歴史は合意の上のつくり話だ」と言ったが、確かにそういう面がある。

ナポレオン
【1769-1821】

ナポレオン・ボナパルト。フランス革命期の軍人、革命家。フランス第一帝政の皇帝に即位し、ナポレオン一世となった。軍士官学校時代に砲術書のほか、歴史、地理、天文、法律などの諸学書を精読。特に啓蒙思想家のレナールとルソーに傾倒した。


伝えられた歴史が、「実像」を的確に捕まえているとは限らない。もちろん、ひとつの事象の起こった年月日などは厳然たる事実だろうが ー 。


ある場合には、真実とは正反対のことを伝えているかもしれない。伝えられていない、もっと大事なことも、あるにちがいない。


歴史は意をつくさない。書かれた文字を、鵜呑みにしてはならない。


たとえば十字軍の歴史もそうです。


『十字軍のコンスタンティノープルへの入城』

(1840)

ドラクロワ


十字軍戦争について、ヨーロッパ側とアラブ側の記述には、共通するところが、ほとんどないという。日本では、ほとんどの史料はヨーロッパ側のものです。


考えてみれば当然ですが、アラブ側から見ると、まず「十字軍」などという美名はない。単なる「侵略者」にすぎない。


じつは当時はイスラム世界のほうが、遥かに高い文化水準を誇っていたという。それを侵略し、破壊し、略奪したわけです。少なくとも、アラブ側から見ればそうです。残虐極まる十字軍の行為も記録されている。


十字軍をどう見るかという歴史観は、「過去」の問題だけではない。イスラム世界への偏見は、今も根強く残っているし、世界の平和に大きな影を落としている。「現在」の問題なのです。ゆえに「未来」の問題にもなる。


『屋根の上で祈る人たち』(1865)

ジェローム


また、「コロンブスがアメリカ大陸を発見した」と、かつては、よく言われていた。しかし、当然のことだが、すでに大陸には人々が住んでいたわけです。ヨーロッパから見れば「発見」であっても、先住の人々から見れば、そうではない。


問題は、「発見」という言葉の中に、先住の人々を見下し、差別する傲慢が込められていることです。自己中心というか、「征服者」たちは先住の人々を人間と見ることさえしなかった。島々で虐殺や強制労働が行われ、人口は激減。ほとんど絶滅の危機に瀕したのです。


しかも、先住の人々は、彼らを歓迎し、優しく助け、もてなしたのに、それを裏切って、残酷な暴力を振るった。


アマゾンの森林危機を訴える

スティングとカヤポ族長老ラオーニ


こういう歴史的事実を、どう見るか。「コロンブスが発見した」という歴史観は、"発見した"側を正当化してしまう。そして、また同様の行為を許してしまう。


「発見」という一つの言葉の中に、自分たちは他民族を征服する資格があるんだという、独善的な「歴史観」「人間観」が込められているのです。



『コロンブスのアメリカの発見』

(1959)

サルバドール・ダリ


植民地史観とでも言おうか。これが、その後、500年間にわたって、南北アメリカ大陸はもちろん、アフリカでもアジアでも ー 世界中で無数の悲劇を生んできたのです。


だから歴史観は大事です。「発見」史観からは、「征服」の未来が生まれる。不幸です。悲惨です。


じつは、日本のアジア侵略の背景にも、これがあった。明治以後、"ヨーロッパに追いつけ"と走って、「アジアの中のヨーロッパ人」になることが目標になった(脱亜入欧)。


『列強クラブの仲間入り』
(1897)
ビゴー


その結果、アジアの同胞に対して、コロンブス以後の残酷な「征服者」のように振る舞った。往々にして、白人に対しては卑屈になり、その他の人種に対しては傲慢になる ー という、今も変わらぬ日本人の二面性も、こういう中から生まれてきたのです。


本当は、アジアの民衆と友好の心を結んで、全世界を平和の方向へもっていくべきであった。そういう「歴史観」即「未来観」を指導者がもっていれば、日本の近代史は、まったく違ったものになったでしょう。


ほっこり本当は、コロンブスが「発見」したんじゃなくて、そこで、お互いに「出会った」のですね。


🎓そう。「出会い」史観があれば対等です。少なくとも相手に対する敬意がある。もっとも実態は、一方的な「侵略」だったわけだが。


また、大航海時代の「英雄マゼラン」だけを教えて、「侵略者マゼラン」を倒したフィリピンの抵抗者ラプラプの戦いを教えなければ、自然のうちに「発見」史観を宣伝していることになるのです。


ラプラプ

【1491-1542】

フィリピンの英雄。キリスト教への改宗と服従を要求するマゼランをマクタン島の戦いで討ち取った。


アセアセ一つの歴史的出来事も、どう見るか、どう語るかで180度、違ってくるわけですね。


🎓歴史的出来事だけでなく、今の出来事でさえ、見る角度や意図によって、全然、違ってくる。


たとえば、ある国で民衆がデモをしているとする。止めに入った警察と乱闘になった。


その時、テレビカメラが民衆側から撮れば、「警棒を振り下ろす恐ろしい顔つきの警官」がクローズアップになる。見た人はデモ隊に同情するでしょう。


反対に、カメラが警官側から写せば、鎮圧に抵抗して「石を投げたり、暴れるデモ隊」の一部がクローズアップされるかもしれない。



えー?見た人は「暴徒が暴れている」と思うかもしれませんね。


🎓どちらの側に立つかで180度、違う情報になる。どちらの映像も、それはそれで「事実」かもしれない。しかし、「真実」がどこにあるかは別問題です。


また、「デモがあった」という事実も、なぜデモが起こったのか、なぜ、それが抑圧されたのか、そういう背景を知らなければ、本当に「真実」を知ったことにはならない。


ショック今は「高度情報社会」と言われていますが、情報の「量」は凄くても、「質」はどうかが問題だと思います。


「民衆の側」から伝えられた情報か、「権力者の側」からの情報か。また情報の意図が「金もうけ」や「人を陥れる」だけの場合も、あまりに多い ー 。


🎓いわんや、過去の真実を見きわめるのは至難のわざです。特に歴史書は、ほとんどが「勝者の歴史」です。「勝てば官軍」と言うが、「勝ったほうが正義」とされる。負ければ悪人にされる。そこを見なければいけない。


「正しい歴史」を絶対に書き綴らなければならない。そして、だからこそ断じて負けてはいけない。「正義が勝つ」歴史をつくらなければいけない。


レンガを集めただけでは家は建たない。事実を集めただけでは歴史は書けない。そこに、どう事実を組み合わせたかという、歴史を書いた人の「哲学」が隠されている。それを見抜くことです。


歴史書を見ながら自分の眼を磨き、「これは、そうであろう」「どうも違う」「こっちのほうが正しいのではないか」と、正しさを探究することです。そういう心を磨くことが、歴史観を養うことになる。


そのためには、こうすればいいという簡単な方法はない。やはり、ありとあらゆることを多く学び、多く考え、多く体験する以外にない。


大事なことは、どこまでも公正に、利己主義にとらわれず、「事実」を追究し、「真実」を探究することです。嘘はいけない。


太平洋戦争時代の歴史の取り扱いが問題になっているが、どんなに恥ずかしいことであろうが、事実は事実として残すことが、日本民族にとっても、人類にとっても、大切なことです。


その歴史は、永遠の流転の一コマですが、真実をきちんと残し、積み重ねていかないと、正しい歴史観が歪められ、また未来に不幸を重ねてしまう。


中国に侵攻する日本軍


正しい歴史を残すことが、人類の平和と幸福の道を残すことになるのです。歴史は、歪めたり、歪曲したりしてはいけない。


歴史を作ってしまっては小説になってしまう。悪いことを隠し、格好のよいことだけを残しては、歴史書ではなく虚飾書になってしまう。歴史は客観的に正確に書き、証拠・証人を大事にしなければなりません。


ニコかつての西ドイツでは、ナチスの歴史について「年間、約60時間の授業」を行うのが望ましいとされていました。強制収容所の見学も、強く勧められていたといいます。過去の過ちを、しっかり見据えようとする姿勢がうかがえます。


🎓統一ドイツの初代大統領ヴァイツゼッカー前大統領と私は会見しました。立派な人物でした。


1982年、西ベルリン市長時代のヴァイツゼッカー氏から池田SGI会長に招聘の手紙が届いた。氏が統一ドイツの初代大統領となっていた1991年6月12日に二人の会見が実現。


大統領の「過去に目を閉ざす者は、結局のところ、現在にも盲目となります」という言葉は有名です。


ウインク個人でも「嘘をつく人間」は信用されません。戦争の真実を伝えないために、どんな理屈をつけても虚しいだけですね。


🎓私の長兄は、中国戦線に行かされ、一度、家に帰ってきた時に、「日本は絶対に悪い」と怒りを込めて言っていたことを、はっきり覚えている。


「日本は本当にひどいよ。あれでは中国の人が、あまりにもかわいそうだ」と。その兄も、ビルマで戦死した。


アジアへの侵略戦争に駆り出された日本軍の兵士も、軍国主義と皇国史観の犠牲です。そんな犠牲を二度と出さないためにも、事実は事実として、次の世代に伝えなければならない。


諸君こそ、平和の希望です。ともあれ、正しい歴史観には、正しい「人間観」「社会観」「生命観」が必要です。「それが人間を、民衆を幸福にしたのかどうか」という観点で、すべてを検証し直すことが大事です。


これまでの歴史は、おうおうにして「権力者中心」「政治中心」「国家中心」の歴史でした。これを「民衆中心」「生活中心」、そして「人類的視点」の歴史に書き変えなければならない。


ニコ歴史を先取りする眼は、どうしたら、もてるのでしょうか?


🎓ひとことでは言えないが、根本は「民衆への信頼」を手放さないことではないだろうか。歴史の主役は民衆です。民衆の意識、動向、願いというものは、長い目で見た時に、何ものよりも強い。


マハトマ・ガンディーの信念も、そうです。


マハトマ・ガンディー

【1869-1948】


インドのグジャラート出身の弁護士、宗教家、政治指導者。インド独立の父。マハトマ(=偉大なる魂)とは詩聖タゴールから贈られたとされる尊称。


「私は失望すると、いつも思う。歴史を見れば、真実と愛は常に勝利を収めた。暴君や残忍な為政者もいる。一時は彼らは無敵にさえ見える。だが、結局は滅びている」と。


ゆえに「民衆の意識を変える」ことが、歴史をつくる根本の作業となる。


たとえば、アメリカの黒人が平等を勝ち取る闘争に、ランチ・カウンターの座り込み運動があった。1960年、ノースカロライナ農工大学の黒人学生4人が始めた運動です。


当時、町の軽食堂では「黒人の注文、お断り」とされていた。ところが、ある日、雑貨チェーン・ストアの店内に入った4人の黒人学生が、少しの日用品を買うと、すぐに「黒人禁制」のカウンターに席をおろし、堂々と「コーヒーとドーナツ」を注文した。


店長が来た。言い合いになる。あたりは黒山の人だかり。ありとあらゆる侮蔑が投げつけられ、唾を吐きかけられ、暴行が加えられた。


しかし、4人は耐えた。ひたすら耐えた。非暴力による抵抗を貫き、閉店まで座り込みをやり通したのです。翌日も、その翌日も、同じように座り込みを続けた。やがて他大学の白人学生も加わった。



もちろん、彼らが注文したのは、「コーヒーとドーナツ」だったのではない。彼らが求めたのは平等の権利、平等の社会だったのです。


この運動は、瞬く間に広がり、翌61年9月までに3600人の逮捕者をだしながら、少なくとも7万人もの黒人と白人の学生が参加しました。その結果、各地のランチ・カウンターで、少しずつ人種差別が撤廃されていったのです。


おーっ!私たちも、負けないで「新しい歴史」をつくっていきます。


🎓青年がやる以外にない。「日本の歴史は、民衆の泣き寝入りの歴史である」(丸山真男)といわれる。これを絶対に変えなければならない。


そのためには、何が「嘘」で、何が「真実」なのかを見破る英知がなければならない。そして何があっても真実を叫ぶ「精神的勇気」がなければいけない。


諸君は新しい時代の新しいリーダーです。これからの「地球時代」に、まったく新しい「人類一体の歴史」を綴っていかなければならない。


一人の力は小さく思えるかもしれない。しかし、「時を得た思想ほど強いものはない」(トマス・ペイン)。


歴史はヒューマニズムの拡大に向かって進む。紆余曲折を経ながらも、大局的には、必ず、その方向に向かうと私は信じている。ゆえに、人類が求める人間主義の哲学をもった諸君こそが、歴史を切り拓く「最先端」にいるのです。





『青春対話』(1997)




池田大作

【1928 - 】

創価学会名誉会長(第3代会長)、SGI会長。

創価大学・アメリカ創価大学、公明党、聖教新聞、

民音、富士美術館 創立者。文筆家。





♪「The World Before Columbus」('96)

Suzanne Vega

Those men who lust for land and
for riches strange and new
Who love those trinkets of desire
Oh they never will have you